甲斐田(かいだ)しぐれちゃんが優しかった。両膝を抱えていたら声を掛けてくれた。ベッドに誘われたから恥ずかしかったけどやがて受け入れた。わたしが弱り切っていた明け方の優しさだった。
ほぼ添い寝だった。右サイドのしぐれちゃんと一緒に掛け布団に包まれた。しぐれちゃんの温かみはしぐれちゃん独自のモノだった。わたしが真似しようとしても無理だし、他の女の子にもなかなか真似できないモノだと思った。なんというか、温かみの中に強くて逞(たくま)しいモノを感じた。身長168センチの抜群なスタイルがそういうモノを感じさせる要因なのかもしれないと思った。
「お母さんね」と添い寝パートナー状態の彼女に言った。「体験したコトの無い『母性』を感じてるんだけど、とにかくあなたは、今はわたしのお母さんだわ」と。
「『母性』とか、大げさだよぉ」と彼女は苦笑の声を出したけど、わたしは「大げさじゃないわ」と呼応して、「ありがとう、あったかく包み込んでくれて」と感謝した。
それから感謝のキモチを籠めて左手を握ってあげようとしたんだけど、しぐれちゃんの方が予想外に大胆で、ぽむっ、とわたしの頭頂部に左手をあててきて、擦(さす)るように撫でるのをしばらく継続してくれたのだった。
× × ×
しぐれちゃんのお母さんも優しかった。
甲斐田家の3人プラスわたしの朝食の後で、しぐれちゃんのお父さんはゴルフコースに出掛け、しぐれちゃんは自分の部屋に舞い戻った。しぐれちゃんのお母さんとわたしだけがダイニング・キッチンに残された。素早く食器類を片したお母さんがダイニングテーブルの真向かい席について、彼女とわたしの「対話」が始まった。
「スイミン不足だったんだって?」としぐれちゃんママから優しき先制パンチを食らったから若干動揺したけど、ありのままを示したいと思って、「ハイ。夜明け前に目覚めちゃいました」と嘘無く答えた。
「しぐちゃんが教えてきてくれたわ。しぐちゃん、『珍しく、私の方がオトナのオンナみたいな立場だった』って言ってた」としぐれちゃんママ。『しぐちゃん』――すなわちしぐれちゃんが自分のお母さんにどのタイミングで「教える」機会を得たのか不思議だったけど、『実の母娘(おやこ)ならば、そういう『機会』が自然と発生するのかもね』とひとまず納得するコトにした。
「わたしも、愛(あい)ちゃんのそばに来てあげようかしら?」としぐれちゃんママが言ってきた時にはヒヤリとした。しぐれちゃんママにまで寄り添われるのに対するココロの準備ができていない段階だったから。
そんなわたしに、「愛ちゃんが、こうやって向かい合う方が『やりやすい』のなら、そっちには行かないでおくけど♫」と彼女が笑顔で言い添えてくれたから、正直ホッとした。「……大丈夫です、向かい合いのままで」と控えめに応答したら、あまり間を置かずに彼女は、「だったら、この席から、愛ちゃんにリクエストを募(つの)るわ」と言ってきて、その後で、「愛ちゃんが今いちばん食べたいモノを、お昼ご飯にしてあげる♫」と、ものすごい愛情を寄せてきたのだった。
× × ×
「あなたのお母さんが作ってくれたサバの味噌煮、美味しかった」
しぐれちゃんの部屋のしぐれちゃんのベッドに腰掛けてわたしは言うけど、
「それは、私じゃなくって、私のお母さんに言ってあげなきゃ」
と、やんわりたしなめられてしまう。
両脚の間隔を縮めて、
「お母さんには、言いにくいの。今のコンディションのわたしがサバの味噌煮を作ろうとしても、彼女の味には敵(かな)わないと思ったから」
と言うんだけど、
「じゃあ、なおさら、サバの味噌煮の『感動』を直接伝えに行くべきじゃない?」
と、カーペット座りのしぐれちゃんに「くすぐる」ような眼で言われたから、つらくなる。
わたしが俯き気味になりかけていたら、
「ま、『感動』は家から帰るまでに伝えてあげたらいいとして。――私は意外だったよ、『いちばん食べたいモノ』で、愛さんがサバの味噌煮をリクエストするなんて」
と、甲斐田家のひとり娘が、苦笑気味にキモチを漏らしてくる。
わたしは、下がりかけの視線を保ちながらも、
「あまり悩まなかったのよ。ほとんど即決だった。――共感できないかな? 共感してくれた方が嬉しいんだけど。今日の明け方からの『流れ』だと、サバの味噌煮に落ち着くのよ。同じ年度産まれのオンナノコだったら、サバの味噌煮に落ち着いた理由も、ちょっとは把握してくれるんじゃないかなって……わたしは感じてる」
と結構長く話してから、
「どうかな、しぐれちゃん。わたしの期待とは反対に、サバの味噌煮リクエストに違和感を持っていても、それはそれで構わないんだけどね」
と言い足す。
「私が今朝の愛さんみたいに弱ってたのなら、サバの味噌煮じゃなくって、お刺身をリクエストしちゃうかなー」
としぐれちゃん。
「どうして?」
と訊くわたし。
しぐれちゃんは、ほんのちょっと照れ混じりの笑みで、
「お刺身リクエストの方が、『ワガママ感』ありありで、いいと思うから」
と答えてくる。
「ワガママになっちゃうのね」
とわたし。
「22歳であっても、甘えたい時は、全力で甘えたいんだよ」
としぐれちゃん。
そういう母娘愛(おやこあい)かー。
× × ×
「……あのさ。私らが出してる文芸誌だけど、9月号、愛さんはもう読破しちゃってるんだよね」
出版社で文芸誌を作っている「編集者の卵」たるしぐれちゃんの声は控えめだ。
『わたしがズバズバ感想を言ってくると思うと、身構えちゃうのかもね』と思いながらも、
「したわよ、読破。高知旅行から帰った直後に読み始めて、1週間経たずに読み通した」
と応答する。
「速いね。1週間以内で通読なんて」
としぐれちゃん。
「読書パワーは弱まってないから」
とわたし。
やはり控えめな声で、
「巻頭掲載の小説なんだけど……直感的に、『愛さんは、厳しい評価を下すかもしれない』と思っていて」
としぐれちゃんが言うから、直ちに、
「鋭いのね」
と呼応して、それから、とある30代の小説家が書いた巻頭掲載の中編小説にダメを出し始める。
悪いわたしは、
・小説の中で書き手が用いた素材が如何に卑近であるのか
・拙いレトリックによって、卑近な素材がどれだけ作品を陳腐化させている要因になってしまっているのか
というような点について、長々と語っていった。
その小説を具体的にどう批判したのかは、例によって、文字数の都合で省略する。
「――卑怯なのかもね、わたし。様々な意味で」
カーペットのしぐれちゃんに苦笑いで眼を合わせながら軽く自嘲するけど、
「卑怯じゃないよ。」
と、わたしの見下ろす彼女は穏やかに言ってくれて、
「むしろ、私の助けになってる……私だけじゃなくて、雑誌の助けにも。どんどん批判してくれた方が、雑誌にとってプラスになる。ただでさえ文芸誌は売れてないんだし、これ以上の衰退は食い止めたいから」
「ありがとう。しぐれちゃん、あなた既に、立派な出版人(しゅっぱんじん)ね。わたしが保証してあげるわ」
「まだまだだよぉ」
「言わないの、そんなコト。……ねえねえ、言ったっけ、わたし? 文芸誌を月に何冊読み切ってるのか」
「その『文芸誌』ってのは、純文学系オンリー?」
「ちがう」
「だったら……10冊以上、かな?」
「大当たり」
「そっかあ」
しぐれちゃんは、両手を後ろに突いて、前のめりの反対みたいな姿勢になって、
「愛さんは、やっぱし、『文学の怪物』なんだな」
素早くジト目を作り上げるわたしは、
「『怪物』なんて言わないのよ、ホントにもうっ」
と楽しくたしなめてから、
「美人女子大学生に『怪物』は不適切でしょ☆」
と、余計に余計なヒトコトを付け加える。