「だいぶお疲れみたいね」
夕暮れのひと時。読書の手を止め、ソファ座りの大井町侑(おおいまち ゆう)を見上げる。今週の勤務を終えた侑の肩が下がっている。視線も斜め下向き。留年大学生たるわたしには無い「しがらみ」や「苦労」みたいなモノもありそうだ。
「お疲れなのよ、愛(あい)の言う通り」
侑は素直に答えた。両手のひらをソファの座面に引っつけ、軽く息を吐く。
「そんな時は――」
丸テーブルに文庫本を置いたわたしは、
「ハンドマッサージね」
と言いながら腰を上げる。
「えっ、ハンドマッサージ?」
「だって侑、留年大学生のわたしなんかよりもずっと、手を動かしまくってると思うから」
ぺたぺたと歩を進め、侑から見て右隣にふわっ、と着座する。この位置なら、侑の利き手である右手をマッサージしやすい。
侑の右手はやっぱりキレイだ。美しい線を描く右手の形。それぞれの指も整っている。なんというか、5本の指の各々が繊細で、オトコノコの手指には無い優美さを兼ね備えている感じ。
……見とれてる場合じゃないよね。本来の目的は、ハンドマッサージ。
「あなたの右手、触ってもいいかな?」
侑に尋ねる。
「いいわよ。ご自由にしてちょうだい」
そう言ってくれたので、両手を遠慮なく侑の右手に当てる。
両手で触れてから間を置かずに、
「うわぁ、かなり消耗してるじゃないの」
「分かるの? 愛」
「分かるのよ」
× × ×
「オススメのハンドクリームとか訊きたくなったら、いつでも言ってね」
わたしはそう告げるけど、右手にも左手にもマッサージを施された後の侑は苦笑い気味に、
「あなたって、そんなに『美容系キャラ』だった?」
「『美容系キャラ』とはちょっと違うわ。YouTubeでハンドマッサージとか足つぼマッサージとかの動画視(み)るのがマイブームなだけ」
まだ苦笑い気味の顔で侑は、
「暇があるのねえ」
と言うけど、
「でも、そういう動画を視聴できる余裕があるのは、いいコトだと思うわ。少し前までは、そんな余裕も無かったでしょ、あなたは? 『打ちひしがれていて』って表現しちゃうと、気を悪くしちゃうかもしれないけど」
「切り替えるだけよ」
わたしはすぐに言い、
「来週は旅行もするし」
「アクティブでいいわね。楽しんでね」
「うん」
依然わたしの左隣に腰掛け中の侑に、頷き顔を見せて、
「3泊4日だから、思う存分高知を楽しむ。ところで――」
わたしが『ところで――』と急に会話の行き先を転じようとしたのでキョトン、となる侑に、
「――今の時間は、もっと甘えてもいいんじゃないの?」
「甘える……? 甘えるって、わたしが、あなたに……?」
わたしは侑に軽く首肯してから、
「この、マンション部屋でのふたりきりのひと時を、帰ってくるアツマくんにブチ壊される前に」
「……物騒ね。『ブチ壊される』なんて」
「とにかく!!」
ソファにより一層深く腰掛け、侑の右肩に自分の左肩を寄せ、
「できれば、わたしのカラダにカラダを委ねてほしいかなーって思う」
恥ずかしそうな声で、
「カラダを委ねるって、どうやって」
と訊いてくる侑。
「わたし、侑にフニャついてほしいの」
「フニャつく……?」
「侑のカラダの柔らかさを感じたいの。柔らかさを実感できたら、侑を癒やすコトができるの」
「……スケベなコト言うのね」
「そう?」
早くもわたしは、わたしの左ほっぺたを侑の右肩に当てている。
「ほらほら、甘えてきてよ。あなたの柔らかさをわたしに実感させて」
侑は少しだけ照れてためらうけど、
「しょーがない親友なんだから。ほんとにもうっ」
と甘みのある声で言い、
「癒やしてほしいキモチは……否定できなくって」
と打ち明けて、それから、自分自身の体温をわたしのカラダに委ねてきてくれる。
× × ×
食事・入浴その他諸々は既に全部済ませている。
『入ってきたら、土日は食事抜きよ!!』とアツマくんに釘を刺し、侑とふたりだけのシチュエーションを寝室に作り上げる。
LED照明を消して、お互いダブルベッドに身を横たえたトコロ。
わたしから見て右サイドに侑は寝転んでいる。夕暮れ時にソファでスキンシップした時とは位置が逆。
わたしはわたしの右手を密(ひそ)かに侑の左手に伸ばし、触れてあげようとする。夕暮れ時のベタつきによって90%は侑の仕事疲れも回復してると思うけど、残りの10%を回復させるのが、就寝前のわたしの『お仕事』。
腕や手の甲をサラサラと撫でてあげてから、くすぐり始める。
「もうっ愛ってば、コドモみたいなコトしないでよっ」
クレームをつける侑だけど、まんざらでもなさそうだった。
わたしに左手を遊び道具にされるのが心地良いみたいだ。
掛け布団の中で企みを持っているわたしは、
「そんなにコドモじみてもいないんじゃないの」
と言ってから、
「新田俊昭(にった としあき)くんだって、侑に、ときどきは、こういうコトしてくるんじゃーない?」
と……いきなり、侑の現・ボーイフレンドの名前を出していく。
「ちょちょっとっ、愛っ!! 心臓に悪いわよっ、就寝直前になって初めて『彼』の名前を出してくるなんて……!!」
暗いからよく分かんないけど、侑はたぶん、だいぶ慌てながら、わたしに顔を寄せている。
「大学4年間、なかなか歯車の噛み合わない侑と新田くんだったけど、侑が児童文学の新人賞に選ばれなかった辺りから、急速に歯車が噛み合っていって――」
「なにがいいたいのっ」
「今では、互いに、ホンキのキモチをホンキで寄せ合ってる」
「わたしが恥ずかしくなる表現は、NGだからっ」
「怒っちゃってる?」
「すこし」
「だったら、あなたのキレイな黒髪、ナデナデしてあげよーか」
「愛!? あなた、おかしいの!?」
「おかしくないから。侑にそんなコト言われたくない」
僅かに不満をこぼした後で、わたしは、
「頑張るのよ」
と、新田くんとの関係性を踏まえた「エール」を送り、
「わたしが侑の黒髪をナデナデしてあげて、新田くんも侑の黒髪をナデナデしてあげたなら、元気も勇気も200倍」
侑は、
「あなたのそういうトコロ、マジでかわいくない……!!」
と、侑らしくない乱れたコトバを投げつけてくるけど、
「新田くんの方が、よっぽどあなたよりも、かわいいわ!!」
と……新田くんに対する『マジの好意』を、わたしに向かって示してきてくれる。