なんで久しぶりに遭遇した元カレにあんなに攻撃的な態度を取っちゃったんだろう。ミヤジを不愉快にさせちゃった確率が70%以上。自己嫌悪に自己嫌悪を積み重ねてる、わたし。来年の春から内定先で働くコトすらも上手く意識できないでいる。
鬱屈とした水曜日が幕を開けた。目覚めた途端に昨日の情けない振る舞いがフラッシュバックしてきた。ミヤジに汚いコトバを吐きつけた後悔が脳内をぐるぐると駆け巡った。掛け布団の端を両手でグシャッ、と強く掴んだ。晴れようも無いキモチが顔面に出ているのを自覚した。
午前9時過ぎからもう蒸し暑かった。秋の気配は相変わらず見えなかった。10月になる辺りまで猛暑が残り続けるという報道もある。季節感覚がよく分からないコトになっているから、例えば俳句を作るヒトなんかは困っているコトだろう。『残暑』は秋の季語であるそうだが、どう考えても『残暑』どころではない。歳時記の季節と実際の季節が食い違っている。
クーラーの設定温度を2℃下げた。ベッドに腹這いになる。背中にクーラーの風が当たる。背中を冷やしていきながら、腹這いの姿勢のままに特に何にもしなかった。
部屋が冷える感触をだいぶ得たトコロで枕の向こうのスマートフォンを引き寄せる。まだスマホ中毒ではないけど、長方形のコンパクトな端末は退屈しのぎに「うってつけ」だから、「重宝(ちょうほう)」のレベルがどんどん上がってきている。ホーム画面をフリックするとネットニュースが出てくる。うざったい見出しや堪えがたい見出しのニュースを非表示にしながら、ニュースを適当に選んで記事の文章を適当に読んでいく。
まさに無駄な時間である。大学最後の夏季休暇を満喫しているがゆえの無為である。夏季休暇といっても9月末まで続くのだから、無為になるには「もってこい」だ。両手両足の指で数え切れないほどのニュース記事を閲覧した。あっという間に1時間が過ぎようとしていた。腹這いを継続するのが若干キツくなってきていた。
スマホをいじるのもいい加減やめたかったし、腹這いになり続けるのもいい加減やめたかった。エネルギーの大きな対価を支払って起き上がり、ベッドから離れた。押し入れの方角を向いたわたしは、思うトコロあって足を前に進め始めた。
押し入れの中には大きめのダンボールが格納されている。高校時代に部活で作っていた校内スポーツ新聞のバックナンバーが入っているダンボールだ。腕を痛めながらダンボールを勉強机近くの床まで出す。ダンボールの中からバックナンバーを雑に取り出す。
わたしが高校3年の夏に書いた記事を再読してみる。受験を意識する時期だったし、わたしもこの記事を書いた数ヶ月後には大学の推薦入試を受けたんだけど、あの夏の全精力は明らかに校内スポーツ新聞の記事執筆に注がれていた。後輩の1年生トリオ(女子2名、男子1名)の実力も育っていたんだけど、わたしの文章の実力も育つのをやめていなかった、と思う。
ただ、22歳の現在(いま)になってから再読してみると、当時あれほど自信があったはずの文体にココロをあまり動かされない。あの時点で文章力は相当極まっていたはずなのに。全力でノートPCのキーボードを叩いていたあの頃が蘇ってこない。3号分のバックナンバーのわたしの記事に眼を通しただけでダルくなってきてしまう。
勉強机の横には『高校生作文オリンピック』の『銀メダル』が今でもぶら下がっている。高校2年の時に、わたしは『銀メダル』に輝いた。『日本全国の高校生の中で2番目に高い文章力を持っている』コトの『象徴』としての『銀メダル』だった。わたしが『銀メダル』を獲ったコトはすぐにわたしの周囲に拡散した。クラスメイトのみならず、いろんな人たちから祝福されたりした。自分で言うのもアレなのだが、校内における「戸部(とべ)あすか人気」は天井を貫くような勢いで上昇した。関係者によると、卒業してからだいぶ時の経った現在(いま)でも、わたしの名前がしばしば在校生の口から飛び出たりしているらしい。
『……自画自賛も自己満足も、する理由なんてないよ。銀メダルが視界に入った瞬間に、無駄な自画自賛や自己満足をガマンできなくなるだなんて。逆に、自己嫌悪で胸が塞がっていくだけじゃん……』
ココロの中で自分自身を恨んで、銀メダルから眼を逸らし、俯いた。灰色のカーペットをグリグリと睨みつける。校内スポーツ新聞における「過去の栄光」を引っ張り出してきたのは完全に失敗だった。今のわたしには完全に逆効果だった。過去の栄光に浸って溺れるというよりも、ストレスという名の波にひたすら襲われるような感覚。
× × ×
利比古(としひこ)くんが外出中なのを確かめてから階下(した)に続く階段を下りる。重い足取りで1階フロアを移動し、『リビングF(仮)』に入っていく。『リビングF(仮)』というのはわたしの命名。この邸(いえ)で6番目に広いリビングだからアルファベットの『F』として、『(仮)』をくっつけた。
『リビングF(仮)』のソファを凝視する。コの字型のソファは、正方形のテーブルを囲んでいる。
コの字型ソファから正方形テーブルに視線をスライドさせる。
8月14日に、あの正方形テーブルにメンズ向けシャンプーのボトルを置いてから、約2週間が経過しようとしている。お邸(やしき)メンバーの誰にも見られないようにビクビクしながらこの場所に入っていってシャンプーのボトルを置いた8月14日の朝を鮮明に想い起こす。
8月14日にバースデーを迎えた人間のためのシャンプーだった。21歳のバースデーを迎えた人間のためのシャンプーだった。わたしと1歳違いのオトコノコのためのシャンプーだった。
……つまり、利比古くんのための、ささやかなバースデープレゼントだった。
バースデープレゼントは他にも用意していたけど、シャンプーだけは特別だった。特別だった理由は……胸の奥の箱の中に閉じ込めておきたい。『メモ書きを添えておいたプレゼントがシャンプーだけだった』というのだけは記しておく。
バースデーパーティーのざわめきが消えた8月14日の22時台、2階廊下でバッタリ出会った利比古くんに、シャンプーへの感謝のキモチを伝えられた。
その瞬間に、わたしの心臓は暴走する寸前になっていた。利比古くんの「甘いマスク」がわたしに炸裂してきて、わたしのココロは激しく揺り動かされた。柔らかくそして美しく整った目鼻立ちがいつも以上に目立っていた。過剰な意識が恥ずかしくて眼を背けるのは無理だった。過剰な意識が恥ずかしいがゆえに、感謝する彼の顔から眼が離せなくなったのだ。
まだ立ち尽くしている。虚空のような所を見ている。
諸々の要因によって収拾のつかない状態になっているわたしを利比古くんにあまり見せたくない。共同生活だから顔を合わさないワケにはいかないんだけど、様々な対策をとっている。例えば、自分の部屋に引きこもる時間を増やして「接触」の回数を減らすのに努めたり。それから、コミュニケーションせざるを得ない時には、彼の眼を直視しないように細心の注意を払って、ココロの「暴れ出し」を抑え込んだり。
もしかしたら、利比古くんは、わたしの様子が変(ヘン)だと感じ始めているのかもしれない。これまでにも、わたしが変な状態になったコトは、何度もあった。でも、今回のケースは、これまでとは段違いに危うい事態だった。今回の変調を利比古くんに覚(さと)られるのが過去1番怖いだけではなかった。覚られた途端に、これまでにない『何か』がきっと動き出す。『何か』とは、何か? ……『何か』の具体性を考えたくない。22年間の人生で3本の指に入るほど、動き出す危険性のある『何か』が、恐ろしい。
コの字型ソファの隅の方によろよろと歩み寄り、腰を下ろす。
「今みたいなタイミングで『覚られる』のは、早過ぎるよね、あまりにも」
独りのわたしは思いを小さく声に出す。
それから、
「ほのかちゃん……」
と、虚空に向かって、大親友の女の子の名前を声に出し、
「やっぱり、『あんなコト』を『告白』しちゃったのは、愚かな策だったのかな……」
と、虚空に向かって呟き、頭にのしかかる重みをますますヒドくさせる。
× × ×
『わたしも、好きになっちゃったみたい』
と打ち明けた。
利比古くんに対する恋愛感情を、利比古くんの現在進行形カノジョである川又(かわまた)ほのかちゃんに、告白した。
ほのかちゃんに告白した後のスマホ通話の流れは、一切文字にしたくない。
ほのかちゃんとのコミュニケーションが継続している事実だけが、ある。
数日前。
『あすかちゃんから借りてた漫画、郵便で邸(そっち)に送ったよ』
と、スマホの向こう側から、ほのかちゃんが明るい声で言ってきた。
背中がゾクゾクッと波打った。通話終了後、ココロの温度を回復するために、クーラーの設定温度を3℃上げた。