昨日はこの夏で1番楽しい夜でした。愛(あい)さんとベッドを共有するのも久方ぶりでしたし。お嬢さまのあり得ないドタンバキャンセルが、この夏1番楽しい夜を生んだのでした。
起き抜けの愛さんが、ベッドに両膝をくっつけています。まだ眠そうです。ステキな両眼がトロントロン……としています。昨日の夜、ベッドの中で、わたしが右サイドから注いであげた愛情が深過ぎたのでしょうか。
わたしより長い栗色の長髪が、朝の光を浴びて煌(きら)めきます。ヘアブラシを手に取って手入れを始めるまでもう少し時間のかかりそうな愛さんの栗色ロングヘアに目立っている寝グセがキラキラと光っています。
× × ×
「じゃあ、行くわ」
応接間の出口の所で、わたしの方を向いて、愛さんが邸(いえ)を去る挨拶をし始めます。
「アカちゃんの『ピンチヒッター』になってくれて嬉しかった。蜜柑(みかん)ちゃんのベッド、とっても居心地が良かったし」
そう言ってから、
「ありがとね」
と、照れ気味のお顔を見せてきます。
それから、クルリと玄関の方角を向いて、歩み始めようとするのですが、
「少々お待ちいただけないでしょーか」
と、わたしは声を掛けてみます。
ぴた、と静止した彼女が、半分ほど振り向いて、
「え、わたしに渡したいモノでもあったりするの」
と訊いてくるのですが、答えずに、速めの歩速(ほそく)で、彼女のもとに接近していって、
「渡したいモノは、ありません。『やってあげたいコト』なら、ありますけど」
「……なあに」
「背中、押したくって」
わたしのキモチを深く探るように、愛さんは無言になりましたが、やがて、苦笑いになって、
「背中押されたら、余韻が残っちゃって、マンションまで帰っていくコトに集中できないじゃないの」
× × ×
正午付近になって「徹夜飲み明け」のお嬢さまがリビングに緩慢に現れてきます。ナイトウェア同然のテキトーなワンピース姿だったので、たしなめます。いろんな意味で「自覚」が足りないから教育係になるのです。ほんとーにもうっ。
ソファ座りのわたしの真向かいに立つお嬢さまは、微笑しながら、左手をヒラヒラと振って、
「分かったわよ、分かったわよ。昼食のパスタの量を100グラム減らしていいから」
と、謎の譲歩をしてきます……。
「パスタ食べる前に、着替えてきた方がいいと思うんですがねー」
たしなめの続きのようにわたしは言うのですが、
「イヤよ。休日に邸(いえ)で食事をする時ぐらいは、服装に気をつかうコトから自由になりたいのよ」
と、わたしの言うコトを聴く素振りも見せず、リビングから抜け出していこうとするのです……!
× × ×
ダイニング・キッチンでパスタを茹でているお鍋を見ていました。お嬢さまの分を100グラム減らしても、まだ相当な量のパスタです。これだから、幾ら食べても太らないお嬢さまは……!! なんなんですかね!? 特別、運動みたいなモノもしてませんよね!? どういうメカニズムで、お嬢さまのカラダは組み立てられているって言うんでしょーか!?
茹で上がる3分前に、お嬢さまがダイニング・キッチンに入ってきました。ひたひた、とコンロの付近まで忍び寄ってくるので、お鍋から眼を離せないわたしの背中にイヤな汗が流れます。
購入価格がそれほど高くも無さそうなミントグリーンのワンピースに身を包んだお嬢さまは、コンロに近付いてきたというのに、お鍋を覗き込むのではなく、わたしの顔に自らの顔を寄せてきて、
「ムラサキくんとの8月最後のデートの日取りは決めてるのかしら?」
とあり得ない問いを投げつけてきます……!!
めまいを感じるほどにカラダが冷え冷えとしてきたわたしは、
「なんてコト訊いてくるんですかっ。パスタが茹で過ぎになったら、お嬢さまのせいなんですからねっ」
と言いながら、菜箸でお鍋の中を過剰にかき混ぜるのですが、
「パスタはもちろん成功してほしいけれど、あなたとムラサキくんのイチャつきも成功してほしいのよ。わたし、あなたたちには、もっと『進展』してほしいの。出会ってから、ずいぶんと時が流れてるコトだし、ワンランク上の『成功体験』を、デートを重ねていく中で……」
わたしは暴力的にコンロの火を止めて、
「お嬢さまのパスタに、『不幸』が訪れますよーにっ!!」
「エッなにそれ、罰金覚悟で、わたしのパスタに変な隠し味を仕込んだりするつもりだとか??」
「……もう知りません」