水曜日の夜を川又(かわまた)ほのかちゃんの実家で過ごすコトになった。お泊まりするコトにもなったので、生まれて初めて川又家(かわまたけ)のお風呂をいただいてしまった。
ほのかちゃんママのパジャマがちょうどわたしの体型にフィットしていた。
「わたしの母のパジャマだと、羽田(はねだ)センパイの美しさがイマイチ引き立ちませんね」
ショートボブの髪を乾かし終えたベッド座(ずわ)りのほのかちゃんが、かなりロングな髪を未(いま)だ乾かし切れていない壁際座(かべぎわずわ)りのわたしに向かって言ってきた。
わたしも自覚しているわたしの美人なトコロを褒め称えてくれた嬉しさよりも、自分のお母さんのパジャマに対して辛口になってまでほのかちゃんがわたしの美人を褒め称えてきたコトに対する戸惑いの方が大きくて、思わず眼を見張ってしまう。
ほのかちゃんは軽快に、
「わたしのパジャマなんか眺めても、楽しく無くないですかー?」
と言ってくる。
バスタオルで髪を拭う速度が遅くなるわたしに向かって、さらに、
「常日頃思うんですよ、『わたし、『幼児体型』なのかなあ……』って」
と付け加えてくるから、バスタオルの動きがピタッと停(と)まってしまう。
さらにさらに、
「中等部3年の夏休みに入った頃には……もう『諦めて』ました。夏休みが終わって2学期初めの身体測定で身長が154センチで、爾来(じらい)約7年、身長だけではなく体重もスリーさ……」
「ほほほほのかちゃんっ、ストップストップストップ」
「え、どーしたんですかセンパイ? 『ストップ』を3回繰り返したのには、何か意味が?」
ほのかちゃんより1学年オトナのわたしは、1学年『オトナ』であるがゆえの『事情』という武器を使って押し切りたくて、
「わたしもおんなじなのよ!! いっしょなのよ!! 中等部3年2学期初めの身体測定の『身長:160.5センチ』って結果から、1ミリメートルも変化無いし!! そっそれにね、あなたといっしょで体重もほとんど変動が無いし、『オトナの事情』で婉曲的(えんきょくてき)に表現するけど、『とある数字が名前に付いたサイズ』だって、あなたといっしょで全くと言っていいほど変わってないし!!」
「せーんぱいっ♫」
んっ……。
「長ゼリフ、たいへんですねえ♫」
んぐぐっ……。
× × ×
今日は全体的にダメダメだ。昼間に、ほのかちゃんのご両親が営んでおられるカフェの『しゅとらうす』で、お店お手伝い中のほのかちゃんを眼の前にコーヒーを飲んでいた。その時点で、わたしは既に相当ダメになってしまっていた。
わたしの弱々(よわよわ)ぶりをアッサリと見抜いたほのかちゃんに、お家(うち)の『ほのかちゃんルーム』へと誘(いざな)われ、『ほのかちゃんルーム』でのお泊まりを求められた。
お風呂上がりからわたしはずーっと『ほのかちゃんルーム』奥の壁際だ。チカラ無く腰を下ろし切って、水分の含まれている部分があと5%ぐらい存在している栗色の長髪の端(はじ)っこを摘(つま)んだりしているトコロ。
「髪は、乾かし切ったんですかーっ?」
ほのかちゃんの声掛けにビビッているヒマも無かった。既にベッドから床に降りてきていたほのかちゃんが、四足歩行の生物みたいに、わたしにどんどん接近してきたから。
アブない流れだと思って、
「本棚、見せて、もらったんだけど!! 黄色い岩波文庫の量が、わたしより、やっぱり多いんだね!! さすがは、新宿区戸山の某・キャンパスの国文学専攻――」
と、わたしの左サイドに坐(ましま)す本棚を凝視しながら、注意を逸らそうとしたが、
「わたしの通ってる大学と学部の『ボカし方(かた)』がヘタ過ぎませんか? ボカすのが中途半端過ぎて、99%ぐらい明示されちゃってますよ」
と、彼女は厳しいし、余裕タップリ。
それから、彼女は、溢れんばかりのポジティブな苦笑い顔になって、
「今日のセンパイ、わたしが知ってる『なんでもできる』センパイじゃない。『優等生』でも無いし、『諸芸に秀(ひい)でてる』って感じもしないし」
と言ってから、僅かにコトバを切った後で、さらに砕けた口調で、
「いつもと変わんないのは、淡麗な容姿と秀麗な眉目だけ」
と言い切ってしまう。
遂に、ほのかちゃんは、わたしの眼前(がんぜん)に正座をする。
「タメ口になるつもりはあんまり無くって」
と言いつつも、
「その代わりに、タメ口よりも親密な関係(カンケイ)を、『言語以外』で作り上げたくって」
と、ハニカミ気味になって告げてくるから、わたしのココロの全部とわたしのカラダの全部が怯え出してしまう。
3秒待たずに抱き締めてきた。3秒待たずに抱き締められた。
「ちょっと……つよすぎる、かも」
勢いそのままの抱き締めの強さだったから、もう少し手加減してほしいというキモチを懸命にコトバにしようとする。
しかし、ほのかちゃんは、緩めてくれなかった。
だから、半ば放心状態の中で、ほのかちゃんのチカラに抵抗して、無理矢理に抱き締めを解(ほど)いてしまった。
怒ったワケじゃない。『カンベンしてよ』という「お願い」を籠めて、ほのかちゃんを振り解(ほど)いたのだ。
すぐさま、
「強くギューッとし過ぎて、すみませんでした」
と、ほのかちゃんはペコリ、と頭を下げるけど、
「テイク2(ツー)ですね」
と言った途端に、わたしの全身を、またもや……!!
再度の包み込まれの中で、わたしのカラダの柔らかさにほのかちゃんのカラダの柔らかさが衝突してくる。どっちが柔らかいのか。たぶん、どっちも柔らかいんだ。優劣じゃない。わたしもほのかちゃんも、フニフニッとしてるんだ。絶対評価の通知表ならば、『柔軟性』という名の科目は、お互い5点満点の5……!!
混乱というより混濁の2文字が相応しくなっていたわたしの意識の中で、薄れてゆくモノがあった。――それは、某・採用試験失敗に伴うわたしの将来の「前途多難さ」だった。あれだけ引きずっていた将来への不安感が、何故だか、薄らいでいっている。ほのかちゃんの抱きつきによって、お互いの柔らかい感触が溶け合い、その『化学反応』によって、「前途多難」という4文字で濁っていたココロの部分が、清らかになっていく。ほのかちゃんの強烈なスキンシップがプラスに働き、長期的な不安が洗い流されていく。
問題は「短期的」な不安。「この夜」は、絶対に『前途多難』な夜になる。
わたしには、ほのかちゃんが普段寝起きしているベッドが、見えている。
× × ×
一緒のベッドで寝るのを決意するまで1時間かかったのをたしなめられた。
……日付が変わる境界線辺りの時間帯。ほのかちゃんにスマートフォンを管理されてしまっているから、現時刻が分かんない。
暗い天井を確(しか)と見て、ほのかちゃんが今までに読破した黄色い岩波文庫を推測し始める。どんな方法を使ってでも、緊張感を紛らせたくって。
しかし、
「センパイにはグッスリ寝てほしいんで、今年の夏で1番『優しく』してあげます」
という破壊力抜群のコトバが右サイドからやって来るから、大粒の汗が滝のように背中を流れていくのを押し留(とど)められなくなってしまう。
このまま絶え間無く、滝のような汗が背中を流れ続けたら、ほのかちゃんママが貸してくださったパジャマを汚くしてしまう。
窮地のわたしの頭頂部に、ほのかちゃんの感触。
いきなり頭頂部を撫でてきた、この娘(こ)……!!
「あっあんまりナデナデしないでっ、あなたのお母さんのパジャマが、ズブ濡れになっちゃうわよ!?」
「もっとお上品なコト言ってくださいよぉ、センパーイ☆」
言うコトを聴いてくれそうに無いほのかちゃんの左手を密(ひそ)かにわたしは抓(つね)り始めるけど、
「わたし、アツマさんと張り合いたいから、上手な『ナデナデ』を研究してるんですよ☆」
と、ほのかちゃんの煩(うるさ)さが、収まらない……!!
……わたしの彼氏の名前、唐突(とーとつ)に出してこないでよっ。
おバカ。