両親の住む一軒家に寝泊まりして、朝を迎えた。祝日たる今日は、おとうさんと2人きりで横浜に向かうコトになっている。
お母さんの配慮によって「父娘(おやこ)デート」が実現したんだと思う。ファーザーコンプレックス気味のわたしがおとうさんに寄り添っていたいコトぐらい、お母さんは当然把握しているから。自由に過ごせる時間が長くなる祝日ならばなおさら、おとうさんに対するわたしのキモチは強くなる。そのキモチの強まりも、お母さんは当然ながら察知している。
お母さんの配慮に対して少し素直になりにくいから、胸の中が少しくすぐったくなってしまう。
姿見で全身の身だしなみを何度も何度もチェックしながら、『娘とデートする父親のキモチって、どんな風なんだろう?』と考えていた。
わたしがベッタリし過ぎな面はあるけど、積極的に寄り添ってくれるのが嬉しいのは確かなんだと思う。おとうさんはわたしのファザコン気質に寛容で、わたしの急な寄り添いも上手に受け止めてくれる。例えば、ソファに腰掛けてテレビを視ているおとうさんの右隣にわたしが飛び乗るように着座するようなコトがあっても、じゃれつくようなわたしの態度を決して咎めるコトは無い。
わたしは現在22歳なんだから、幼(おさな)過ぎる面もあるのは事実だ。おとうさんに対する積極性は、自立できないコトの裏返しでもある。適切な距離がとれないから、スキンシップしちゃった後などに『こんなコトの繰り返しじゃダメなのかも』と軽く落ち込んじゃうコトも結構ある。
でも、疎遠になったり関係が悪くなったりするよりは1000倍マシなのは、疑いようも無い。わたしは、『別に家族と仲良く無くたっていい。むしろ、距離を取る方が望ましい』なんていう「正論」めいた考え方が理解できない。そういう考え方の蔓延(はびこ)りが近年甚(はなは)だしくなっているみたいで、嘆かわしい。
× × ×
さて、横浜の地に降り立ったワケである。スケジュールの最初は、赤レンガ倉庫周辺をぶらぶらと歩くコトだった。ウォーミングアップというか肩慣らしというか。そういう感じである。
8月であるが故に気温はもちろん高かったけど、無風というワケでは無いからガマンできる。風が結構吹いていて、一種の清涼感を与えてくれているのだ。
勢い強めの涼しい風がやって来て、わたしが被(かぶ)っていた野球帽を脅(おびや)かした。吹き飛ばされるワケにはいかないから、ぐぐうっ、とDeNAベイスターズキャップを右手で押さえ込む。
左隣を歩くおとうさんが、
「そういうキャップはどれくらい所有してるんだ?」
と訊いてきてくれた。
『ホエールズ』時代からの球団のファンなんだから当たり前なんだけど、おとうさんはわたしのDeNAベイスターズキャップに強い興味を示してくれている。嬉しい嬉しい。
× × ×
おとうさんは、わたしのお腹もわたしのココロも十二分に満たしてくれた。申し訳無いんだけど、お料理の詳細やお料理のお値段は文字数の都合で省かせてもらう。『怠慢である』とのお叱りを受けるかもしれないけど、お店の所在地やお店のジャンルも文字数の都合で省かせてもらう。
まぁそんなコトはいいとして、お腹もココロも満腹になったわたしは、食後のコーヒーをいつもよりも優雅に啜(すす)れていたのだった。
朝、2時間以上かけて身だしなみを整えた甲斐もあったんだと思う。きっと、おとうさんは、わたしの気合いのコーディネートを好ましく感じているはずだ。
だけど、お店を出てしばらく歩く中で、
『また伸びてきたなあ、教育実習のために短くした髪が』
と指摘されて、顔面が少し熱くなっちゃったんだけどね。
テレテレというよりデレデレに近い気分になっちゃったわたしは、
『おとうさん、超・ロングヘアになったわたしの方が好きなの?』
と、ちょっと甘さを含ませて言い、おとうさんの右腕に自分の左腕をコドモっぽく絡めたのだった。
× × ×
規模の大きな書店に来ている。
押さえるべきトコロはそれなりに押さえている海外文学コーナーに立っていたら、
「8000円までだったら、おれが代金出してやるぞ」
と言われたので、背筋が過剰に伸びて顔面の温度も再度高まる。
スローモーションみたいな感じでおとうさんに顔を寄せながら、
「どうして、8000円? 8000円って、中途半端な数字じゃない?」
と、訝しみのコトバを届ける。
だけど、ニコニコするばかりで、おとうさんは何にも言わない。
無言のニコニコ顔にいったんは戸惑うけど、代金を出してくれる優しさは素直に受け入れるべきだと結局は判断する。だから、書棚に向き直り、国書刊行会から出版された某国某作家のハードカバー小説に眼を凝らしていく。
× × ×
国書刊行会に捧げたのは、「購入可能上限額」の約半分。残りの分は、新書で固めた。新書の価格相場も上がっているけど、3冊購入できる余裕があった。もちろん、有象無象の取るに足りない新書レーベルなんかではなく、3冊とも由緒や信頼性のある新書レーベルだ。
ときどき思う、2000年代に入って以降の「新書ブーム」なるものは「形だけのモノ」なのではないかと。『岩波新書は全部読んでないと恥ずかしいよね』的な高度成長期の頃の空気とどっちがマシなのかは、分からない。だけど、いい加減な本もずいぶん増えたモノだと、僭越ながら思ってしまうのである。
胡散臭い社会風刺はほどほどにしておきたいから、ほどほどにしておくんだけど、
『おまえは偉いな、興味のアンテナを広範囲に向けていて』
と褒めてきたおとうさんの破壊力は、生半可なモノではなかった。
選び取った3冊の新書をチラリと見ただけでそういうコトを言えるおとうさんの凄さによって、わたしの体温は38度以上になる。
「哲学専攻だけど、宗教の知識もやっぱり必要になってくるの」
購入した本の入ったバッグを左手に携えて歩道を突き進みながら、わたしは言う。
「卒論に向けても、か?」
わたしの右サイドでわたしと共に歩道を突き進みながら、おとうさんが短く問う。
その問いに首肯したら、
「あんまり気負い過ぎるなよ」
と言われて、それから背中を軽く優しく叩かれた。
わたしの彼氏とは一味違うわたしの父のスキンシップが、幸せだった。
× × ×
某所に鎮座しているストリートピアノを発見したおとうさんが、
「弾くか?」
とストレートに問いかけてくる。
おとうさんの期待を感じ取る、わたしのピアノの腕前を知っているのだから。
でも、わたしは、首を横に振った。
目立つのがイヤなのが、理由その1。
おとうさんの前でのピアノ演奏は「温存」しておきたかったのが、理由その2。
フラレたおとうさんは、『どうしてだ?』と問うコトも無く微笑するばかり。
すぐさま、
「レコード店の方がいいの、ストリートピアノよりも」
と言いながら、おとうさんの左手首を右手で引く。
× × ×
「クラシックだったら、バッハ。ジャズだったら、オーネット・コールマン」
レコード店がもうすぐそこという地点で、最近の音楽的嗜好をわたしは打ち明ける。
おとうさんが、
「おれとはレベルが1つ違うんだな」
と言ってくるから、わたしは急激にテンパり出す。
テンパった結果、
「わたしはわたしの音楽趣味がレベル5(ファイブ)なワケじゃないしっ」
とワケの分かんないコトを口走ってしまう。
「急ごうよおとうさんっ」
そう言って、いったん右手を離した左手首を再び掴む。
立ち止まったのは、某・大貫の妙子さんのアナログ盤の手前。
おとうさんを背後に、
「このアルバムの1曲目が好きなの」
と言ったんだけど、
「シュミが昭和か~~??」
とおちょくられてしまったから、向けたままの背中にドロリとした冷や汗が流れてしまう。
反発したくないのに、ジャケットの大貫の妙子さんを凝視し続けて、ツンツンとした感情を背後のおとうさんに示してしまう。
でも、結局は、
「1万2000円までなら出してやるぞ」
という声の到来によって、わたしの感情は急速にソフトになっていく。
× × ×
アナログ盤の詰められた袋は、おとうさんが持ってくれた。『どこまでも娘優先』というようなキモチが、ぐいぐいと伝わってくる。言わば、『両思いの父娘(おやこ)』といった感じ。いろんな意見はあるかもしれないけど、互いのこういう距離の近さは、『美しい』と思っている。
「時間が余ったし、カラオケにでも行ってみるか」
おとうさんが提案。
あまり大きな声では言えないが、おとうさんの出身大学は、稲葉の浩志さんの出身大学でもある。もちろん、あっちの方が年上。面識も、あるワケ無い。
さすがに彼ほどではないけど、おとうさんもなかなかの歌唱力だ。
だから、おとうさんの提案につきあってあげても、いいんだけど、
「カラオケなんかより、お外で風に吹かれてる方がいいわ。今日は、涼しい風もずいぶん吹いてるんだし」
というのが、わたしの返答。
大好きなおとうさんがいる右サイドへと、眼を寄せる。それから、カラダの向きも換えて、わたしをいつも支えてくれるおとうさんを、より一層味わおうとする。
おとうさん、わたしの彼氏のアツマくんほど背は高くないしガッシリとしていないけど、アツマくんがまだ体得できていないオトナとしての『強さ』や『優しさ』に満ちている。
愛(あい)という名前の娘に対する父の『愛』は、彼氏の『愛』とは一味(ひとあじ)も二味(ふたあじ)も違ったモノ。
幸せな時間の幸せな空気に包まれながら、
「わたしの歌声は、おとうさんのために、温存しておきたいの」
と、両手を後ろで組みながら、ワンピースに包まれたカラダを少し前方に傾かせて、娘のキモチを伝えてみる。