『来てくれ』と言われたので、両親の住む一軒家にやって来た。
100%、試験に失敗したわたしを気づかっての呼び出しだ。
選考を通過できなかったのを最初に伝えたのは、お母さんの方だった。最初に伝えるのがおとうさんだった方がショックやダメージが緩和されたのは間違い無いけど、選考結果の発表時に電話に出られるのはお母さんの方だった。結果を伝える時の声音が、ザラザラし過ぎていたような気がする。いつも以上に、反抗期の延長線上みたいになってしまっていた。お母さんに素直になれないというか、なんというかだ。
おとうさんもお母さんも、わたしの様子を間近で確かめたいんだろう。顔を見せてリアルでコミュニケーションをするのも、割合(わりあい)久しぶりな気がする。前回2人の一軒家に来てから、それなりに時間が経った気がする。
「結果」に打ちひしがれ過ぎていないかどうか、娘の様子が見たいのは、親として当たり前の中の当たり前。そのことは、理解できている。
ただ、お母さんと「サシ向かい」のシチュエーションになったのは、不都合で不幸だった。ダイニングテーブルの真正面にお母さんがいる。席についている母娘(おやこ)の手元には、湯気の残ったホットコーヒー。
おとうさんには所用があったんだから仕方が無い。だけど、『母娘2人きりの空間において、どんなコトバを浴びせられるんだろう』と思うと、胃が痛くなってしまう。
お母さんに『浴びせられる』前の時点で既に、かなりの胃の痛みを感じてしまっている。だから、コーヒーを注入して、痛みを払拭しようとする。『いやいやちょっと待て。人類の90%以上は、カフェインが胃腸に負担をかけると認識してるはずだが?』といったようなツッコミが来るのは、当然想定している。だけどたぶん、わたしの体質は、全人類の10%未満の方なんだと思う。つまり、カフェインによって、胃腸に負担がかからないのだ。
胃の痛みを払拭する「よすが」としてのホットコーヒーを、口に含んだ。悪い意味で、苦かった。砂糖やミルクを一切投入していないせいだとは、思えない。舌が、心理的に作用しているのだと思う。
コーヒーカップを卓上に置くわたしは、母のコトバによって揺さぶられるのが依然として怖い。
でも、お母さんは、なかなか試験結果のコトに触れてこなかった。わたしが家に入った時に、『残念だったわね』と短く言ってきただけだった。母なりの優しさであるのなら、それもまたくすぐったい。『予想外の優しさは、あんまり見せてきてほしくない』というのが、本音だった。
こうやってお母さんに向き合っていると、わたしはどうしてもピリピリとしてきてしまう。おとうさんと向き合う時とは、真逆。おとうさんが真向かいの席についていたら、穏やかで心地良い気分になれるのに。現実で真向かいの席についているのは、お母さんの方。こういう苦手意識は、言わば『逆・オイディプスコンプレックス』なのだろうか。……分かんない。フロイトの主な著作には眼を通しているんだけど、分かんないモノは分かんない。
「キルケゴール読んでる?」
まったく唐突に、お母さんがこういうコトバを飛ばしてきた。驚きで、お母さんの微笑に眼を凝らしてしまう。どういう意図で、キルケゴールの名前を出してきたのよ。さっきまで、哲学関連の話なんか少しもしてなかったじゃないの!?
わたしは、
「どうして、キルケゴールなの? どういう意図があって、キルケゴールの話題をわたしに振ってこようとするの?」
と、問うけれど、
「書くんでしょ、卒業論文。あなたの卒業論文のテーマ的にも、キルケゴールを読むのは必要不可欠だと思うし」
と、上から目線的なニュアンスの含有された答えを、返されてしまう。
「あなたが書く卒業論文は、哲学を専攻した総まとめになるんだし――」
だんだんと、お母さんが長話になる兆しが出てくる。娘として、何を長く話すのかはある程度予測できる。予測できてしまうから、もう既にウンザリとなり始めてしまっている。
その後25分間、お母さんはベラベラ喋り続けた。話の種(タネ)は、キルケゴールを主軸とした実存主義。少人数教育で名高い某・私立大学においてリベラルアーツを叩き込まれたお母さんは、哲学にも詳しい。そう言えば、この一軒家、本棚にキルケゴール全集も収められていた気がする。お母さんが収めていたとしたら、怖い。
ウンザリとなり切って、自分のコーヒーカップをキッチンまで運ぶ。もちろん、目的は、お代わりコーヒーを注ぐこと。飲まなきゃ、やっていられない。
しかし、背後から、
「あなたとアツマくんの恋愛、実存主義みたいな香りがしてくるんだけど」
と、母のコトバが降り注ぐ。
瞬時に、
「なによそれ!?」
と、わたしはキッチンのステンレスに向かって絶叫する。
× × ×
茶番は、確かにあった。茶番は、確かに繰り広げられていた。わたしも、ずいぶん「その気」になって演じてしまっていた。
救いは、おとうさんの帰宅予定時刻がだんだん迫ってきている事実だ。ココロが、ウキウキする。ココロが、ワクワクする。そして、若干恥ずかしいんだけど、ココロが、ドキドキする。
お母さんは依然として好き勝手だから、
「そっちのマンションで、アツマくんは最近どんな筋力トレーニングをしてるの?」
だとか、余計な質問を執拗に投げかけてくる。
だけど、3杯目のコーヒーを飲み切る直前だったから、余裕が出てきていた。コーヒーの効果によって、22歳の成熟した女子らしく落ち着いた対応ができる。面倒くさい存在と化した実母(じつぼ)に落ち着いて対処する方が、わたしらしい。
「腹筋の回数を減らす代わりに、背筋の回数を増やしてるわ」
虚偽がまったく含有されていない答えを、眼前(がんぜん)の母に届けてあげる。
「あらぁ」
とリアクションする母は、
「やっぱり、20代中盤にもなってくると、背筋力の方を重視するようになるのねぇ」
と、あたかも何もかもを把握し切ったような口ぶり。
残りのコーヒーを静かに啜った後で、
「科学的根拠は別として、背筋力重視の流れにはなってるわね」
と、わたしは手堅く応答する。
× × ×
そして、おとうさんが、帰ってきた!
わたしが一軒家に入った時におとうさんの顔は既に見ていたはずなのに、なんとも言えない感動がまた湧き上がってくる。それほどまでに、わたしはファザコンなのだ。アツマくんと出逢う前は、『おとうさんのおヨメさんになりたい!!』としょっちゅう言っていた。……現在(いま)は、言わないけどね。アツマくんが、わたしのそばに居るんだし。
お母さんがキッチンの前に立って食材の下ごしらえを始めたので、おとうさんとサシ向かいでの会話が実現する。
お母さんなんか問題にならないぐらい娘に配慮してくれるおとうさんは、
「愛(あい)。おまえ、ハマスタに、今度いつ行ってみたい?」
と問いかけてくれて、わたしの「痛み」を軽くしてくれる。
嬉しいわたしは、
「そうねえ。明日は、おとうさんとわたしの2人でひたすら横浜の街歩きの予定でしょ? その次の横浜行きの主目的を、ハマスタでの公式戦観戦にするのはどうかな?」
と、答えてみる。
「よーし承知した」
娘に対してなのに、『承知した』と言っちゃうおとうさん。そんなトコロも、良い意味でわたしをくすぐったくさせる。
しかし、せっかくおとうさんとの「対話」が本格的に活発化してきたトコロだったのに、
「卒業論文の体裁をある程度整えてからよー、『父娘(おやこ)水入らずのハマスタデート』は」
と、母からの横槍。
「ちょっと待ってお母さんっ」
わたしに背中を見せて野菜をリズミカルに俎板(まないた)で切るのと並行して横槍を入れてくる器用なお母さんが許しがたく、椅子から腰を上げてしまった。
「どこまでこだわるのよ、卒業論文に!? キルケゴールがどうとかそういうハナシをお母さんがいきなり挿入してきたせいよ、卒論のコトが引き伸ばされたりしてヘンテコな流れになっちゃってるのは!?」
喉が乾き始める、一気にコトバを浴びせて「反撃」したから。
ここで、おとうさんから、
「あんまりよくないぞ~、お母さんに怒鳴ったりするのは~」
と、軽くはあるけれど重い「たしなめ」が。
叱られちゃった。
もちろん本気のお叱りでは無かったんだけど、わたしは必然的に萎(しぼ)んでいってしまう。
物理的に萎んでいっているように、おとうさんには見えちゃっているのかも。
しかし、ここからだった、おとうさんの「本領発揮」は。
まず、あまり間を置かないで、
「シュンとさせちまったか、おれの『たしなめ』のせいで。悪かったよ」
と、お母さんとは違ってとっても誠実になって謝ってくれる。
「わたしこそ、ゴメン……」
恥ずかしさ混じりに謝り返したら、
「思うけどな、お母さんに『言い過ぎちゃった』って言った方が良いって」
と、おとうさんからの促(うなが)しが到来する。
おとうさんに対してならどこまでも素直になれるから、促しに従うわたしは、フライパンで野菜を炒めているお母さんの背中に温かい視線を送ってから、
「お母さん。言い過ぎちゃった。ゴメンナサイ」
と、『5・7・6』のほとんど俳句の如きリズムで謝罪する。
やがて、お母さんによる夕飯の配膳が、始まった。
回鍋肉(ホイコーロー)が盛られた皿が、ダイニングテーブル上にコトリ、と置かれる。
いい匂いの立ちのぼる回鍋肉にわたしは軽く嫉妬するけど、
「ありがとう、わたしが作るより美味しそうな回鍋肉を作ってくれて……」
と、またもや素直なキモチを籠めて、感謝のコトバをお母さんにプレゼントする。