【愛の◯◯】水曜の夜に楽しい通話を2回

 

まだ実家暮らしだ。本当は1人でやっていくべきだと思っているんだけど、『律(りつ)にはもう少し間近に居てほしい』と言っている両親のキモチの方を優先してあげている。職場への交通の便も良(い)いし、しばらくは実家暮らしが妥当なのかもしれない。

水曜の夜である。夕飯の食卓で兄さんも一緒だから嬉しかった。ゴハンのオカズの味が2倍美味しかった。兄さんは専門学校の卒業に向けて順調みたいだ。来年の春に兄さんが卒業して、晴れて「自立」できたなら、幸せな麻井家(あさいけ)が本当の意味で戻ってくる。

水曜の夜のアタシの部屋のアタシは「その春」を期待しながら、ベッドに腰掛けて小さな胸でクッションをぎゅうっ、と抱き締めていた。

でも、いつまでもクッションを抱き締めているワケにはいかなかった。なぜなら、親友の甲斐田(かいだ)しぐれと今日の晩に『通話する』と約束していたからだ。だから、アタシはクッションを脇に置き、立ち上がって勉強机に歩み寄り、スマートフォンを取って再びベッドの同じ場所に着座した。

 

『愛(あい)さんから長文のお手紙が来たんだ。これで4ヶ月連続。私の編集部が作って出してる文芸誌、毎号欠かさず読んでくれてる。読んでくれてるだけじゃなくて、長文の感想を手書きで送り届けてくれてもいる。並大抵の文学少女じゃないよねー』

「彼女が『並大抵』なワケ無いでしょーが、甲斐田。あと、愛さんもう少しで23歳なんだから、文学『少女』って呼ぶのはちょっと失礼だと思うよ」

『失礼かなあ?』

「うん」

『だったら、どう呼べば良(い)いってんの。『永遠の文学少女』って呼ぶってか』

ネットスラング的なニオイがする呼び名だねえ……」

『そっかなぁ』

ハナシが逸れていっているみたいで、良くない気がする。

だから、アタシの方から、

「愛さんは、どういう感想を書いてたの?」

『知りたい?』

「もちろん」

『手紙持ってくるから、ちょっと待ってて』

甲斐田は、いったいどんな場所でアタシと通話してるんだろう。

……ま、いいか。

 

× × ×

 

甲斐田の編集している純文学系雑誌の執筆陣について羽田愛(はねだ あい)さんはずいぶん辛辣なようだ。

『だって、日本の現代文学、ずーっと海外に負けっぱなしなんだもん』という愛さんの何時(いつ)かの発言が鮮明に蘇ってくる。具体名を挙げるのはあまりにも危険過ぎるから挙げないけど、数千冊もの文芸書を読んできた彼女には、この国の文壇の現状が甘っちょろく見えて仕方が無いみたいだ。

 

甲斐田との楽しい通話を終えて、スマートフォンを一旦左横に置いた。またベッドから立ち上がって、勉強机に立てかけていた平凡社新書を手に取って、再度ベッドに着座して読み始めた。

21時30分になったのをスマートフォンのタイマー機能が告げてきた。読書の時間はここまでである。もう1人、通話の約束をしている女子が居るのである。

戸部(とべ)あすかちゃん。

羽田愛さんの妹分、羽田愛さんの恋人の戸部アツマさんの妹、他にもいろんな風に説明はできるんだけど……ともかく、スマートフォンを持ち上げて、電話帳のあすかちゃんのページを開いてみる。

 

挨拶を交わした直後から、あすかちゃんの「感想ラッシュ」が始まった。「感想ラッシュ」というのは、アタシが所属する編集部が作って出している某ファッション雑誌の感想の連発だ。本格的な夏も来ているコトだし、今月号を無償で提供してあげた。夏の本格化というコトで水着特集も載っている。あすかちゃんの水着姿をときどき思い浮かべる不埒(ふらち)なアタシもいる。だって彼女、巨乳なんだもん。

……余計な記述を挟んでしまったのだが、アタシたちの雑誌に対するあすかちゃんの「感想ラッシュ」はずいぶんと長く続いた。貴重なご感想・貴重なご意見を沢山頂いたから、アタシは素直に嬉しかった。

ただ、たしかにあすかちゃんはご感想・ご意見を沢山提供してくれていたんだけど、アタシには、彼女の声のテンションが若干低めのように感じられた。

なぜだろう、と思った。いつもはあすかちゃんは、もっと元気なのに。某スポーツ新聞社に内定しているというのに、持ち前の明るさがイマイチだ。

テンションを落としちゃう出来事でもあったんだろうか?

あるいは、何かの弾みで、ココロにモヤッとしたモノが産まれてきちゃったんだろうか?

 

コトバのキャッチボールがひと段落したトコロで、スマホを手から離さないまま、アタシは軽く息を吸って吐く。

とある「心当たり」があったからだ。

それは、彼女の生活環境に起因する、「心当たり」。

『麻井さーん? どうかしましたかー?』

妙な沈黙をアタシが生み出してしまったので、あすかちゃんが訝しむ。

けど、

「どうもしてないよ。ビミョーな間(ま)を置いちゃって、ごめんね」

と、アタシは歳上らしい対応をしてから、

「あのさあ」

と、『切り返し』の『助走』を始めて、それから、

「『アイツ』は、まだそっちに帰ってないの?」

『……『アイツ』? 誰のコトでしょうか』

やっぱり、にぶい。

驚いちゃうほどに、にぶい。

あすかちゃんには、『異変』がある。

「決まってんじゃんよ」

アタシは、グイグイと押していくように、

「羽田利比古(はねだ としひこ)だよ、羽田利比古」

と、羽田愛さんの弟にして戸部あすかちゃんの共同生活者のフルネームを声に出す。

あすかちゃんが絶句し始めた。

ラジオだったら放送事故確定の無音が、持続していく。

あっちゃーっ。

仕方無いと言えば、仕方無いんだけど。

こっちの方が些(いささ)か「押し過ぎ」だったかもな。

――でも。だけど。

「もしかして羽田のヤツ、まだお外?」

イジワルなアタシは、間の抜けた口調を故意に作って、

「夜遊びしてんのなら、アタシが『どこでもドア』でアイツのもとまで飛んで行って、お仕置きだなっ」

と、明るく、言っちゃう。

アタシが言った約5秒後、

『……それはやめてください』

という、あすかちゃんのシリアスな声が、返ってきた。

良心が少しチクチクする一方で、愉(たの)しさがどんどん増していく……!!