終業式の日の午後だった。とある渡り廊下でとある男性(ひと)と遭遇した。
ココロの準備も無いまま出遭ってしまったから、眼の前の若い男性美術教師の顔が上手に見られなかった。
ほんのりと火照(ほて)るわたしに、
「1学期お疲れ、かなえ」
と、幼馴染の男性教師が言ってくる。
菱田志貴(ひしだ シキ)ちゃんに向けて、わたしは、
「そんなに気安く呼んで大丈夫なの、『かなえ』だとか……。他の先生や生徒に見られたら、都合悪くなるんじゃないの」
朗らかに笑うシキちゃんは、
「おまえだって、タメ口になってるんじゃんか」
わたしの顔が急激に火照っていく。
感情の露出を抑え込みたくて、
「菱田先生の方こそ、1学期お疲れ様でしたっ」
と、『菱田先生』と呼び、敬語を使う。
「ありのままじゃないな。ありのままの方がいいと思うが」
苦笑いを含ませた微笑み。
胃が痛くなってくる。
『ありのままになれるワケ無いじゃん。『あんな経験』をした後なんだから……』
そんな風な思いを抱く。
『あんな経験』とは何か。……詳しくは述べないけど、わたしにとってひどくショックだった出来事の経験。
「かなえ」
わたしの下の名前を再度呼んでくる。わたしの顔が下がっていく。
「この後、旧校舎に行くんだろ? KHKの活動するんだよな」
KHK(桐原放送協会)。同学年男子と共に2人だけで運営しているクラブ。
「頑張れよ」
そう告げてわたしの上半身をますます熱くさせた直後に、シキちゃんは、
「トヨサキくんをあんまりイジメるんじゃないぞ」
と、釘を差し、とどめを刺してくる。
× × ×
ふらふらとしながら、旧校舎に続く道を歩いていた。
熱中症対策は万全だけど、主にメンタル的な作用によってふらふらしてしまう。シキちゃんとの遭遇が大ダメージを与えているのは明白だった。殴られたみたいな感覚。夏休みに突入すればシキちゃんに遭う機会が減るから、終業式の日の今日までは、あの手この手を使ってでも「避けたかった」。例えば、シキちゃんが通りそうな渡り廊下を避けて通るとか。だけど、わたしの「対策」は直感的なモノに過ぎなくって、それゆえにさっきみたいな事態を招いてしまった。
『シキちゃんは、シキちゃんの彼女さんと、どのぐらい『進んでる』んだろうか……?』
そういう思いがやって来るたびに頭痛がする。
シキちゃんと顔を合わせてしまった直後だったから、そういう思いが必然の如く食い込んできて、旧校舎入り口の間近まで来たわたしの側頭部がズキズキと痛くなっていく。
× × ×
覚(さと)られたくない。
トヨサキくんだけには。
覚られたくないが故に、【第2放送室】の扉の前で立ち止まり、胸を押さえながら深呼吸する。いつもは立ち止まりなんかせずに中に入っていくけど、今日は例外だった。
ゆっくりとドアノブに手を伸ばし、乱暴にならないように注意しながら扉を開ける。
トヨサキくんは部屋の奥の木椅子(きいす)に座って本を読んでいた。
トヨサキくんが読書しているコトに対する驚きで、『覚られたくない』というキモチが薄まる。
「どうしたのトヨサキくん。お昼にヘンなモノでも食べたの」
彼の眼つきは険しくなるけど、構わず、
「『ヘンなモノでも食べないと、本を読む気になんかならない』って思ってたよ」
眼つきがますます険しくなった彼は、
「おまえは、『読書感想文』っつー夏休みの課題を忘れたんか」
え。
『読書感想文』っていう課題があるのは、知ってるけど。
でも、感想文のための本って、こんな時期から読み始めるモノなの?
違和感あるよ。
「感想文書くために本を読んでるってコト? 取り掛かりが早すぎるんじゃないの?」
そう言って彼との距離を詰めたら、
「おれ、1冊読み終えるのに、かなり時間かかるし」
と、なぜか照れくさそうな声で、彼が答えた。
彼の照れを訝(いぶか)しみながらも、ミキサー横のパイプ椅子に腰掛けて、
「読書よりも先に、KHKの活動に取り掛かってほしいトコロなんだけど」
と言うけど、彼は、
「番組作り終わった直後だし、取り掛かるっつったって、新しい企画を考えなきゃ取り掛かれないし」
自然と腕を組むわたしは、
「だからキミは甘いんだよ」
と言い、
「今この瞬間から次の番組の企画を考えていく以外に、やるべきコトは存在しないよね?」
と強く言う。
トヨサキくんがパタッ、と文庫本を閉じた。
その仕草を見て、『やる気になってくれたかも』と一旦は思った。
しかし、斜め下向き目線になったトヨサキくんは、次の番組企画に向けた前向きなコメントを言うコトも無く、奇妙な会話の「間(ま)」を作り上げていく。
なんなの、そういう沈黙が、いちばんイライラするんだけど??
わたしは腕組みを強め、右人差し指で左肘を連打する。
強い腕組みと厳しい目線で、トヨサキくんへと自分の怒りを示す。
「……おれさ」
呟くような声音でひとまずは沈黙を破るトヨサキくん、だったんだけど、
「マスダ先輩の影響、近頃、受けていて」
マスダ先輩!?
なんでこんなタイミングで、マスダ先輩が出てくるのっ!?
「ちょちょっとっ、バカなのトヨサキくんっ」
一気に前のめりになるわたしは、
「3年生男子で文芸部所属でわたしが最近『敵意』を向け始めてるマスダ先輩のコトは、KHKの番組づくりとは全く関係が無いよね!? そのコトは幾らキミであっても分かってるはずなのに、なんで!?」
と一気に大声で言う。
「おちつけタカムラ」と彼。
「おちつけないよ」とわたし。
「落ち着いておれの説明を聴け」
「イヤだ」
「イヤならイヤなりに聴いてくれ」
「……イミ分かんないよ」
「あのな? マスダ先輩、木陰(こかげ)とか壁際(かべぎわ)とかで読書してる姿が、とっても『サマになってる』だろ?」
「だからっ、キミは何が言いたいのっ!」
「ああやって落ち着いて読書してるマスダ先輩の姿に、おれは憧れてるんだ。『1冊読み終えるのに時間がかかる』というコトの他にも、『マスダ先輩の読書の姿のカッコよさに少しでも近付きたい』という想いも、読書感想文のための本を今から読み始めている理由なんだ」
× × ×
絶交したいぐらいトヨサキくんのコトがキライになった。
……ホントに絶交するワケじゃ、ないけど。
だけども、KHKの活動とは関係無い方面にどんどん話を逸らしていくし、その上、わたしの「天敵」みたいになっているマスダ先輩をヨイショしまくってくるし……「あり得ない」の上に「あり得ない」を重ねてくるような感じだから、マジでダイキライだ。
キライなキモチが激しいから、スタジオの方に引きこもり始めていた。『入ってきたら物理的にお仕置きするよ!!』と絶叫して、スタジオのドアをバシン!! と閉めた。
自分専用ノートを開いて、ブレインストーミング的に、次の番組企画のネタになるようなキーワードを走り書きしていっていた。
『ブレインストーミングは、本来多人数でやるモノで……』という指摘は甘んじて受け入れる。
孤独なブレインストーミングに没頭していたわたしは、没頭することでトヨサキくんの存在を意識からかき消したかった。
それなのに、ドアを3回叩く音が、明確に耳に響いてくる。
わたしと約束したでしょ!? 『入ってきたら殴る』ってコト理解してるよね!? 理解できてなかったのなら、小学1年生からやり直してよ!?
……ノートを右手で掴みつつ、ドアに急接近するわたし。
暴力的な勢いでドアを開いて、
「言いたいコトがあるのなら、敷居をまたがないで言って。1ミリメートルでも侵入してきたら、このノートでキミの頭を破壊する」
「――だったら」
気持ち悪くて不可解な陽気さで、トヨサキくんは、何やらチラシのようなモノを両手に持ち、わたしに示してきて、
「この立ち位置のままで告知するけど。実はな、校内の某組織から、『アンケート用紙を配ってくれ』って依頼が来てるんだ。この用紙をひと目見れば分かる通り、『お祭りの夜店で売ってたら嬉しいかき氷アンケート』。タカムラおまえ、かき氷とかたぶん大好きだろ? 『かき氷大好きっ子』なんだよな? おまえがどんだけ否定しても、おれの眼はごまかせないぞ」
瞬時に、トヨサキくんの両手からアンケート用紙を強奪し、猛スピードでアンケート用紙を丸めて、彼の頭部へと振りかざす。
丸めたアンケート用紙による頭部往復ビンタをしこたまお見舞いした後で、不要になった頭部往復ビンタの武器を投げ捨てて、今度は、自分専用ノートによって彼の顔面を歪めていくのを目指していく。