池袋駅の東口から出てきたトコロだ。ギラギラとした陽射しの中を沢山の人間が右から左へ、左から右へと通り過ぎていく。池袋という街はホントーに人間の数が多過ぎる。『もう少し減らしたっていいんじゃないの?』とか思っちゃう。『減らす』とはもちろん人間の数を減らすのである。東京一極集中がこれ以上エスカレートしたら、今までに無くマズいコトが起こっちゃうかもしれないよ……?
ひっきりなしの人間の往来を眺めていたわたしは腕時計をチラ見する。12時30分の約1分前だ。戸部(とべ)あすかちゃんがなかなか姿を現さない。あすかちゃんは時間にルーズな方じゃないのに、約束の時刻に間に合わない寸前になっちゃっている。
『遅刻するのなら、わたしのスマホに連絡入れてくれてもいいのに。……もしや、よっぽどな理由で遅刻せざるを得なくなってるとか?』
内心でこう思ったわたしは少しだけ不安になる。
もう一度、眼前(がんぜん)で動く人々の様子をよく眺めてみる。もしかすると、過剰な人混みの中にあすかちゃんの姿が紛れ込んでいるかもしれないから。
× × ×
よく眺めてみた甲斐はあった。
戸部あすかちゃんは群衆の中に紛れ込んでいた。群衆(モブ)キャラとは全然違うはずの彼女なのに、存在感が薄くなっていて、こちら側に歩いてくる姿を眼に映すコトができたのは、よく眺め始めてからだいぶ後だった。
かなり気になるコトがあった。
『おはよう』
と挨拶した彼女の元気が、いつもの元気の50%を下回っていたコトだ。
昼なのに『おはよう』という挨拶だったのは許容範囲にしても、どよよ~~んとした空気を彼女が身に纏(まと)っているのは否定しがたいから、出鼻をくじかれたような気分がしたし、疑念めいたモノがわたしの内部で形作られていってしまう。
『案外』というコトバを使ったら失礼かもしれないけど、あすかちゃんの髪はわたしよりもサラサラだ。適度な長さの黒髪は、わたしがちょっと羨(うらや)んじゃうほど涼(すず)やかさを醸し出している。わたしよりもきっと手入れが上手なのね。
こんなに黒髪ストレートは整っているとゆーのに、どよよ~~んとマイナスなオーラを発しているのが眼に見えるようなのは、どーして?
わたしはあすかちゃんのTシャツをガン見(み)してみる。黒地のTシャツで、『DEEP PURPLE』と紫色の横文字が書かれた部分が大きく膨らんでいる。
その膨らんだ箇所から敢えて眼を離さずに、わたしは、
「もっとシャッキリとしてほしいんだけどなー」
と不満を表明し、
「会うの、久しぶりでしょ? わたし、会うのを楽しみにしてたんだよ、たぶん、あすかちゃんが思ってる以上に。『女子同士だけど、デートみたいな雰囲気に持っていきたいな……』みたく考えてたのに、今のあすかちゃんの雰囲気は、わたしをデート気分にさせてくれない」
と長めに述べてみる。
わたくし板東(ばんどう)なぎさは忙しい。戸部あすかちゃんだって同等に忙しいはず。いろんな兼ね合いもあって、なかなか顔を合わせる機会を作り上げられなかった。
せっかく機会を作り上げられたんだし、明るく笑顔なあすかちゃんをできれば見てみたかったとゆーのに、ドヨンドヨンな状態なのは明白だから、期待外れじゃないの。
「もっとシッカリしてほしいよ」
自然と、そんな不満コトバがわたしの口から出てくる。
『元来、あすかちゃんって、わたしよりもココロが強い女の子のはずでしょ??』
こんな問いかけは、胸の中に閉じ込めておきながらも……。
東口なのに『西』の漢字が付いた某・百貨店の入り口手前にわたしたちは佇んで留まっている。
『滞留する』という選択肢を選んだのはわたしの方だ。
「あすかちゃんさー、わたしより早く就職が決まったんだからさー」
右足の靴でトントン、と道を軽く叩きながら言ってみる。
彼女の就職成功の話題に持ち込むコトで彼女を揺さぶらせたかったから『滞留』を選んだのだ。
だから、
「就職活動すこぶる上手くいったんだから、もっとシャッキリシッカリしてくれないと。わたしだって気分が乗ってこないじゃんよ」
と意地悪に言うのをわたしは躊躇(ためら)わない。
「……なぎさちゃん。辛(つら)くなるんじゃないの、『比較』しちゃったら?」
俯き気味に言うあすかちゃん。
将来が確定していないわたしを慮(おもんぱか)ってくれているキモチの顕(あらわ)れだから、素直にありがたく受け取っておくけど、
「辛くなんかなんないよ。キー局(きょく)の採用ハネられたからすぐに凹(へこ)んじゃうほどには打たれ弱くないんだし、わたし」
とコトバを返して、向かいの彼女の顔面をジッと見る。
語弊があるかもしれないけど、キー局アナウンサーの採用試験は『半分捨てていた』。早い段階で選考から漏れて当たり前なんだから、『全滅』に終わったからって大ダメージを受けたりなんかしなかった。
こうやって池袋であすかちゃんと遊べる日はとっても貴重。結構、アナウンサー採用ゲットのために日本各地を飛び回ったりもしているのだ。
だからこそ、
「おコトバ返すようだけど、どーしてあすかちゃんの方が、わたしより20倍ぐらい辛(つら)そうになってんの? 陰気なあすかちゃん、わたしはイヤだな」
「陰気とは……違うよ」
弱い声で否定するあすかちゃんは、
「20倍? 20倍って……なにかな? それほどまでにわたし、辛そうに見えちゃってる?」
わたしは、向かいの彼女からのクエスチョンをばっさりスルーして、
「分かった。わたし分かったよ。腹ペコだから、気分が全く上がらないんだ」
飛び上がるが如きリアクションをあすかちゃんが見せた。後ろに通行人がいるんですよー。
「ヒドい驚き方だね。決めてたじゃん、会ったらすぐにビストロに行くって」
あすかちゃんは惑い気味に、
「ビストロって……なんだっけ」
おいおい。
それすらも分かんないってか。
憐れみたくなるぐらい、ヒドい状態なんだね。
「フランス語で言うトコロの、『気軽に利用できる小さなレストラン』」
模範解答的な説明をしてあげるわたし。
眼前の同学年の女友達がヒドく不甲斐無いので、次第に、右腕を引っ張ってビストロへと連れて行きたくなってきてしまう。
× × ×
食欲が無いワケでは無かった。むしろ旺盛と言って良かった。
あすかちゃんのお皿はわたしのお皿よりもかなり早く空っぽになっていた。
彼女の胃袋には、メインディッシュもパンも、まだ入る余裕がありそうだ。
もっとも、食欲旺盛なのはいいんだが、食べている間(あいだ)にわたしと眼を合わせてくれた回数はたったの2回だけだったんだけど。
「赤ワインでも飲んどく? あすかちゃん」
こう訊くコトで攻め込むわたしに、
「なななななにいってんのなぎさちゃん!? 金曜日のランチタイムなんだよ!? 金曜日のランチタイムに過ぎないんだよ!?」
と、向かい合うあすかちゃんは唖然の表情を見せてくる。
動じないわたしは、軽く握った右手を右ほっぺたよりも少し右にくっつけて、
「理解できてないみたいねー。金曜日のランチタイムに赤ワイン飲める特権なんて、現在(イマ)ぐらいしか無いのに」
あすかちゃんは少し眼を逸らして、
「ゴハンでじゅうぶんだよ……。金曜日の白昼堂々赤ワイン飲む勇気なんて、わたしには無いよ」
ふうん。
『勇気』ねぇ。
× × ×
赤ワインは結局オーダーしなかったのに、歩いているあすかちゃんのほっぺたが、西武百貨店の前であーだこーだ話していた時よりも赤くなっている気がしてならない。屋外の暑さに起因しているとは思えない。わたしに対して明らかなる劣勢だからこその「赤み」なんだろうか。
さて、わたしとあすかちゃんはわたしの大学近辺に近付いている。池袋という土地である以上、わたしの現在通っている大学が何であるかの候補は絞られる。勘(カン)のいい人間は好きじゃないけど、特定する権利は認めてあげてもいい。
「ここらへん、全然来たこと無いよ」
右斜め前をゆくあすかちゃんが言った。
即座にわたしは、
「あすかちゃんのお母さんの出身大学があるのに?」
不意打ちを食らってあすかちゃんはいったん黙りこくるけど、
「憶えてたんだね、お母さんの学歴」
また即座にわたしは、
「そりゃー、明日美子(あすみこ)さんの母校の大学とわたしが在学中の大学が同一なんだからねぇ」
明日美子さん。すなわちあすかちゃんのお母さん。「大学が重なる」という偶然のコネクションは正直嬉しい。わたしはたぶん、あすかちゃんよりも明日美子さんの方をリスペクトしている。いつもいつも聖母のように優しいし、美味しいゴハンを作ってくれる時もあるし、何より、幼いわたしとの会話を弾ませてくれるトコロがいちばんリスペクトできる。
「わたし、明日美子さんがどんなJDだったのか、ちょっと知ってみたいかも」
「じぇい……でぃー……?」
「女子大学生の略でしょっ。今日のあすかちゃん、徹底的に鈍いんだね」
坂道をのぼりつつディスっていくわたしは、
「『長嶋茂雄さんが突然キャンパスを訪ねてきた』とか、そういう出来事は明日美子さんの在学中に無かったのかなぁ」
「なんで、長嶋さん……? 時事的なネタに、引っ掛けてるの?」
「まさかあすかちゃん、長嶋さんの学歴知らないワケ無いよね?」
わたしを裏切ってあすかちゃんが無言になった。しかも立ち止まってしまっている。
5秒、10秒、15秒……とわたしは耐え忍び、立ち止まりの彼女が再び口を開くのを期待し続ける。
ジリジリとした暑さによってわたしの半袖に汗が滲み始めた頃になってようやく、あすかちゃんは進行方向に向き直って、歩きを再開。
そして、150メートルから200メートルほど進んだ後で、
「お母さんは、平和な大学生活を、送ったみたいだよ。それなりに優秀な成績で、それなりに六大学野球の試合にも足を運んで、それなりに飲み会とかにも出席して――」
わたしはあすかちゃんの背中目がけて、
「サークルは?? サークルも、それなりのサークルだったの?? 例えば、あんまし激しくないテニサーだとか――」
「お母さんがテニサーなんかに入り込むワケなんて無いよっ」
すぐにコトバが返ってきた。
声に、今日いちばんの強さが籠められていた。
「入学したての時にね、テニサーのチャラい男子学生が寄ってきて勧誘しようとしてきたらしいんだけど、ちょうどその時抱えてた何冊かの文学全集をチャラい男子学生に突き出して、『わたし、そんなコトやってるヒマ無いんで。ラケットよりも文学全集と友達になりたいんで』って言って断ったんだって」
えええ……。
それって、それってさぁ、あすかちゃん。
そのエピソード、だけど……現在(イマ)の明日美子さんのイメージと、結びつかなくない??
「若い頃の明日美子さんってそんな尖ってたの?? 『平和な学生生活を送る女子大学生』とは、なーんか違くない??」
明日美子さんの意外なエピソードに少し動揺中のわたしは、
「『それなりな女子大学生』だったなんて思えなくなっちゃったよ……。むしろ、エキセントリックな女子大学生だったんじゃないの!?」
「『エキセントリック』ってのとは、ちょっとズレてると思う、けども」
「『けども』……?」
ひと呼吸置いた後で、明日美子さんの娘たる彼女は、
「わたしのお父さん、もうその頃には大学で教えてて。もちろん、お母さんの大学で教えてたワケじゃないよ。でも、その頃から、お父さんとお母さん、定期的に会ってたんだ」
提示された情報を整理するのに少しだけ時間がかかり、間(ま)ができてしまった。
けど、
「それ、つまり……亡くなったあすかちゃんのお父さんの良馬(りょうま)さんと、明日美子さん……2人は、明日美子さんが大学生だった時には、もう、交際を……」
「そゆこと。」
あすかちゃんが再び振り向いた。振り向かれたわたしはざわめいた。胸の奥の方のざわめきがしばらく止んでくれそうに無かった。
何と言っていいのやら見当もつかなくなってくる。
あすかちゃんにしたって、コンディションの落ち込みを脱して、朗らかな笑顔を顔面に蘇らせているし。
負けそう。逆転負けを、喫しそう。
あすかちゃんのTシャツで膨らんでいる『DEEP PURPLE』の紫色の文字が、わたしの眼に焼き付いていく。
ディープ・パープル。70年代に大活躍したイギリスのハードロック・バンド。
代表曲の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のイントロのギターリフぐらいなら、わたしだって知っている。
……「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のギターリフ以上に重要なのは、あすかちゃんがだんだん、ディープ・パープルみたいな強いパワーを取り戻そうとしているコトだ。