授業が午前中で終わり、学食でランチを食べてからすぐにお邸(やしき)に帰ってくるコトができた。
そして今は午後2時55分である。あと5分したら午後3時00分、日本全国「おやつタイム」である。『平日だろ? おやつなんか食べてるヒマある人なんてそんなに多くねーだろ!?』というツッコミは、受け付けません! 誰が何と言おうと、日本全国「おやつタイム」なのですっ!!
……エキサイトしかかった精神(ココロ)を鎮(しず)め、ダイニングテーブルの前で姿勢を正す。
冷房が存分に効いていて快適なダイニング・キッチン。眼前(がんぜん)のダイニングテーブルにはガラスコップに入った麦茶、そして白い丸皿に出された某パイの実的なお菓子。『キミはパイの実が麦茶に合うとでも思ってるのか? 不思議な趣味(シュミ)をしてるんだな!?』というツッコミは、一切受け付けません!!
……本日は何故か「見えない何か」と闘うコトの多いぼくは、テーブル上に立てたタブレット端末の画面を左人差し指でスクロールしながら、右親指と右人差し指でパイの実を摘(つま)む。
タブレット端末で何をしているのかというと、全国各地の「テレビ・ラジオ事情」が好きなので、沖縄県のテレビ・ラジオ事情について調査しているのだ。
沖縄県にはAMラジオ局が2つある。当地のAMラジオ番組のウィキペディアを読む傍ら、パイの実をさっくりと噛み、ゆっくりと味わう。
誰かの足音が聞こえてきた。
ぱたぱた、というスリッパの響き。いつもよりややテンポの速いスリッパの響きだった。
ダイニング・キッチンに突入してきたのは、あすかさん。ぼくの予想は難なく的中する。
「利比古(としひこ)くんがパイの実食べながらウィキペディア読んでる」
タブレット端末の画面も見ていないのに、ぼくが何を閲覧しているのかをいとも簡単に言い当てたあすかさんは、
「ヒドいね」
ちょっと待ってください。ヒドいってなんですかヒドいって。
ぼく、疚(やま)しいコトなんか、なんにもしてないんですけどねぇ。
必然的に上昇するぼくの目線。あすかさんのせいで、パイの実をさくさくとゆったりと味わっていた流れが中断され、眼つきを険しくさせられてしまう。
『ヒドいね』と言われた弾みであすかさんを睨みつけるぼく。しかしぼくのトゲトゲしい目線など意に介さず、キッチンの下部の扉を開いて醤油煎餅(せんべい)が入った大型サイズの袋を取り出し、キッチンの台の上に素早く置いた水色の深皿に袋の中身の醤油煎餅をどばばばばばば、と注(そそ)ぎ込む彼女がいた。
それから彼女は、醤油煎餅山盛りの深皿をダイニングテーブル上に叩き付けるような勢いで置いた後で、乱暴な音を立てて椅子に着座した。
あすかさんと真正面から対峙(たいじ)する格好になったぼくは、
「イラついてますね」
と詰(なじ)るような口調で言う。
あすかさんは、ぼくが冷蔵庫から出した2リットルサイズの麦茶ペットボトルに右手を伸ばし、コップを用意するコトも無く中身を直接喉(のど)に流し込んでいく。いわゆる「ラッパ飲み」だ。
「あすかさんらしくも無い。あなたはもう少し上品な人間だと思ってたのに」
ぼくは再度、詰るような口調で言う。
しかし、ぼくのコトバを両耳から完全にシャットアウトするあすかさんは、2リットル麦茶ペットボトルを強いチカラで置いた直後、高山(こうざん)のように盛られた醤油煎餅を右手で鷲掴(わしづか)みし、「攻略」を開始するのであった。
× × ×
バリバリバリバリ……。大量の煎餅を物凄い勢いで食べていくあすかさんに呆れてしまったぼくは、
「煎餅をあんまり食べ過ぎると、夕ご飯が入らなくなりますよ?」
とたしなめたのだが、
「よけーなおせわ!!!」
と、大声のヒトコトで拒絶されてしまったのだった。
× × ×
そして夕方。ぼくの部屋に引き上げたぼく。
醤油煎餅を食べまくるあすかさんの勢いが未(いま)だ耳の奥に残っている。歯医者さんのお世話になっちゃっても知らないですよ……。
それはそうと。
『7月に入ってから、あすかさんのイラつきが凄みを増してるよなぁ。もちろん、良くない意味で』
ベッドに腰掛けながら、胸の中で、ぼくはこう呟くのである。
殺伐なあすかさんなのだ。殺伐なあすかさんになってしまっているのだ。せっかく就職も決まって未来が明るいというのに、彼女はしばしば、『攻撃的過ぎるんではないか?』と感じてしまうほどの表情をお邸(やしき)のぼくたちに見せてくる。噛みついてきそうな猛獣……みたいな喩(たと)えはあまりにも失礼だけど、口から出てくる声だけではなく、手や足の動かし方にまで攻撃性が滲(にじ)み出ている。さっきのダイニング・キッチンだってそうだ。醤油煎餅を深皿に流し込む勢い・2リットル麦茶ペットボトルを鷲掴みで飲む勢い・バリバリバリと醤油煎餅を食べまくる勢い。攻撃的な時の彼女に慣れていなければ、ビビってしまってダイニング・キッチンから逃げ出したくなってしまう可能性が高い。
どうして、こういう異変が、彼女に?
ぼくの胸にまず浮かんでくるのは、
『誰かとイザコザでもあったんではないか』
という思いだ。
しょっちゅう、というワケでは無いけども、誰かと衝突するあすかさんの姿を、これまで何回も見てきた。頻度は高い方ではないにしても、5年以上も一緒に暮らしているのだから、誰かとケンカしているあすかさんの様子を結構クリアに思い出せてしまう。
実の姉妹と言っていいほど普段は仲睦(なかむつ)まじいにもかかわらず、ぼくの姉と大きく衝突してしまったコトが2021年の初冬(しょとう)にあった。関係が改善されないままに2022年を迎えてしまうんではないかと恐れていたが、どうにか「冷たい戦争」は終わりを告げ、ふたりはふたりの最大の危機から抜け出すコトに成功したのであった。
あれ以来、あすかさんとぼくの姉はいっそう仲睦まじくなり、大きな衝突は一度たりと発生していない。
あすかさんは、姉と「こじれた」ワケでは無い。
となると。
……川又(かわまた)ほのかさん?
川又さんはあすかさんと同い年、互いが高校生の頃からの親友である。川又さんはぼくの姉の女子校時代の後輩だったりぼくの『ガールフレンド』だったりするのだが細かな事項は脇に置いておくとして、あすかさんと川又さん、あのふたりにいきなり亀裂が入ったりするモノだろうか?
あすかさんと川又さんの関係は、あすかさんとぼくの姉の関係以上に、平穏であり平和であると言ってもいい。あのふたりが言い合いになるトコロなど見たコトが無い。長いつきあいなのだから、1回ぐらいは「同じ空間に居ても、無言で一切眼を合わさない」ような事象があっても良いモノだと思うのだが、そういう場面すらもぼくは眼にしたコトが皆無だし、双方の口からも「そういうコトが起きてしまった」という報告を一度たりとも聞いたコトが無い。
ふーーむ。
『誰かとイザコザ説』は、もしかすると、「有力」ではないのかもしれない。つまり、「近しい誰かとの関係にヒビが入って、あんな風な状態になってしまっているワケでは無い」というコトなのかもしれない。
それはそれで「迷宮入り」に一歩近付いてしまうから厄介なのだが、
『――考え過ぎたって仕方ないし、あすかさんの問題なんだし、夕ご飯の時間になるまで、自分の作業を進めるとしようか』
と、ぼくは切り換えていくコトに決めて、左サイドに置かれていたタブレット端末を手に取って、ベッド座(ずわ)りのままに、ウィキペディアの「琉球朝日放送」の項目を読んでいくのを再開するのだった。