夜といっても短夜(みじかよ)だ。まだ暮れ切っていない。
ピンポーン♫ という音が玄関方面から聞こえてきた。アツマくんがダイニングテーブルの椅子から立ち上がった。
アツマくんが玄関扉に歩み寄っていく。彼は自分の妹にどういう風に対応するんだろうか……。ワクワクが募(つの)る。
扉を開けてあげるあすかちゃんのお兄さん。ダイニングに入ってくるあすかちゃん。あすかちゃんを追ってお兄さんもダイニングに戻って来る。
「おねーさん。ここの椅子、座ってもいいですか?」
わたしが今座っている椅子の真正面の椅子に座りたいみたい。
でも、
「今夜はそこはアツマくんの席よ。さっきまで彼、座ってたんだし」
わたしに告げられてあすかちゃんは一気に戸惑い顔になり、
「え……。だったら、わたし、どこに座れば」
ここで、
「ちょーっと待ったあすか」
というアツマくんの声。
ビビりながらもあすかちゃんがアツマくん方面に顔を向ける。兄妹で向かい合って立つシチュエーションになる。
「おれ、言いたいコトがあるんだ」
アツマくんのコトバによってあすかちゃんが感づき、感づいたせいでアツマくんの顔を上手に見られなくなり、床方面に視線を下げていってしまう。
アツマくんは気にせず、
「就職、おめでとう」
とクッキリした声で言い、
「内定が出てから顔を合わせるの、今晩が初めてだろ?」
と言い、それからあすかちゃんに向かって何歩(なんぽ)も歩(ほ)を進めていき、
「全力で祝ってやりたいんだよ」
と宣言すると同時に、あすかちゃんの背中へと腕を伸ばし始めた。
3秒後には包みこまれるあすかちゃん。
反抗のコトバが無い。いきなり包みこまれたから、言語が上手く浮かんでこないのかもしれない。あれだけ文才があって、日本語を自在に操れるあすかちゃんなのに。
今はあすかちゃんがあすかちゃんじゃない。そこが、わたしには、しょーじきカワイイ、とってもカワイイ。
× × ×
「わたし何歳なのか知ってるよね……お兄ちゃん」
あすかちゃんが真剣味を籠(こ)めて言う。わたしから見てアツマくんの左隣の席。視線の向きはダイニングテーブルの中央近くで、自分のお兄さんの顔を見るコトができていない。
「21歳。6月9日になったら、22歳」
あっさりと答えるアツマくん。
対するあすかちゃんは、
「そーゆー事実を認識してるのなら、小学校高学年であるかのようにわたしを取り扱わなくたっていいでしょっ」
「あすかあすか。言い回しがなんだかヘンテコだぞ。回りくどい。おまえらしくもない」
わたしもそう思う。抱き締められたショックでコトバがぎこちなくなっちゃっているみたい。カワイイ。
「すっごく恥ずかしかったんですけど」
これは、コトバ通りだ。恥ずかしさがカラダの隅々まで露出している。特に、顔。炎上一歩手前の赤み。下向き目線であっても覆い隠すコトはできない。
「火に油を注いでやろうか」
アツマくんが面白そうに言った瞬間、『!?』という記号が飛び出るかの如くに、あすかちゃんがアツマくんに一気に顔を向けた。
「どどどどんな油を注ぐってゆーのっ。ごま油!? サラダ油!? オリーブオイル!?」
混乱するあすかちゃん。
『しょーがねえなぁ……』とココロの底から思っていそうなアツマくん。
アツマくんは微笑を崩さず、
「『あいつ』は当然、おまえの就職活動成功を喜んで祝ってやってると思うが――」
「……『あいつ』?」
混乱を拭えないから、『あいつ』が誰を指しているのか、あすかちゃんは理解できない。
「――ひとりしか、いないだろ?」
促すように言ったけど、具体的な名前を口からまだ出せずにいるから、見かねてとうとうアツマくんは、
「利比古だよ」
あすかちゃんの顔がぶわぁぁぁ……とさらに紅潮し始めた。
倍になった紅潮の度合い。視線はお兄さんに釘付け。もうマトモに喋られそうにない。
そんなあすかちゃんが本当に愛くるしいから、
「わたしも知りたいわ、利比古があすかちゃんをどんな風に祝福したのか。利比古からは詳しく聞かされてないから」
と、アツマくんに加勢してみる。
「お、おねーさんまでっ」
慌ててこっちを向いてくるあすかちゃん。
彼女の可愛過ぎるオデコを凝視しつつ、
「だって、わたし利比古の姉なんだもん」
わたしのヒトコトであすかちゃんは固まり始め、時間経過とともに視線を沈み込ませていってしまう。
慈悲深くなってみたかったから、わたしは、
「ゴメンゴメン、つらいわよね、いきなり2人から同時に請(こ)われたら」
と謝り、
「ゆっくりでいいのよ」
と、甘みを含ませた声で言ってあげて、
「おなか、すいてるでしょ? 夜も7時半を回っちゃってる。おねーさんが爆速でお料理作ってあげるから、おなかもココロも満たして、それから『利比古レポート』をしてちょうだいよ」