駆けつけた妹は速やかに愛の介抱を始めた。
「おねーさん」
自分の姉貴分たる愛に優しく呼び掛けて、
「着替えるの、手伝ってあげるから」
と半分タメ口になって告げる。
おれはどうするべきか……と思いながらソファの様子を立って眺めていたらやはり、
「寝室に行くんだよお兄ちゃん」
と言われてしまった。
弱り切った愛の口から、
「アツマくんが居ても、平気よ……」
と声がこぼれるものの、
「それはダメだよおねーさん。今は兄貴を寝室に退(しりぞ)かせるのがベストなんだから」
おれは、
「ベストってなんやねん、ベストって」
とツッコんだが、
「唐突にエセ関西弁だとかあり得ないよバカ兄貴」
と罵倒されると同時にクッションを投げつけられてしまうのだった。
× × ×
しかしおれの妹も大したものだ。駆けつけてから僅かな時間で愛の消耗を軽減させてやれたのだから。着替え→入浴→食事という流れの中で完璧なるサポートを成し遂げていた。晩飯を終えた頃には愛の顔色はだいぶ良化していた。妹様々(さまさま)であった。
就寝時のおれは当然のごとくリビングに追いやられていた。寝室のダブルベッドで妹が寄り添って愛を看(み)てあげていたのだった。
翌朝。午前6時前に妹が寝室から出てきた瞬間に妹の「お説教」が始まった。「お説教」の中身は文字数の都合で略すのだがおれは妹の厳しいコトバを甘んじて受け止めるしか無かった。
× × ×
教育実習10日目に赴く愛を見送った時も懸念はまだあった。実習中のおれのパートナーがどんな様子なのか過剰なほど気になったから仕事場でソワソワしてしまうのをガマンできなかった。
『おまえのカノジョのコトが気になって仕方無いってか~~? 母校で教育実習中なんだよな~~?』
仕事場のセンパイのお兄さんに満面の笑顔で言われてしまったので自分自身の顔面が青ざめてしまった場面もあった。
お盆の上のお料理を床に撒き散らすような失態はどうにか回避できた。しかし帰りの電車内でも落ち着きを欠いてしまっていた。あいつはどんな状態(コンディション)で帰宅してくるのだろうか? 当番を代わってやった夕食でどれだけあいつを満たしてあげられるだろうか? 吊り革を握る右手に過剰にチカラが入った。『吊り革を破いてしまうような事態になると厄介だ……!』と過剰な心配をすると共に初夏の季節とは真逆の冷え込みが背中にやって来た。
午後6時過ぎのキッチンの前でおれは16回連続で深呼吸をした。
昨日よりも少し早めの時間帯に愛は帰宅した。おそるおそる歩み寄って愛の現在の状態(コンディション)と逃げるコト無く向き合った。
おれは文字通り胸を撫で下ろした。いつもの愛とほとんど変わりなかったからだ。
『おまえのおかげだよ、あすか』
妹の献身(けんしん)が効果を発揮したのは明らかだった。だからココロの奥で妹に対して呟いてやった。
そして妹へのささやかな感謝の数秒後には帰ってきた愛のカラダを全力で抱き締めていた。
「アツマくんっ。もうっ」
包みこまれたおれの彼女は甘めの呆れ声を出して、
「どーしてこんな大げさなスキンシップするかな」
とツッコむ。
おれは、
「大げさにもなるよ。なっちまうんだよ」
愛は、
「ぜーんぜん答えになってないじゃない」
抱き締めるチカラを弱めずに、
「答えは……おれの作った、夕食」
からかうように、
「なにそれー。わたしの味覚は厳しいのよ?」
と言ってくる愛。
すこぶる元気だ。
× × ×
昨夜は食後のコーヒーだとか言っていられる状況ではなかったが今夜は違った。ダイニングテーブル。おれの席の真正面に着席している愛が自分専用のマグカップを口元に持っていく。ホットかつブラックなコーヒーをほとんど音も立てずに啜(すす)り始める。忘れていた。こいつには「猫舌」という概念は無いのだ。
専用のマグカップをコトンと置いてから、
「明日と明後日は土日で実習も休みだし、思う存分カフェインが摂取できるわね。こうやってコーヒーを味わってると、むしろココロが落ち着くわ」
そーですか。カフェイン激強(げきつよ)で何よりですね。
いつもの愛さんの語り口が戻ってきたので彼氏としてボクは嬉しいです。
……だけども、
「夕食の、味の評価を、してくれんか」
訊きながら俯き気味になっちまうおれに対し愛は、
「どーして俳句っぽいリズムで訊くワケ? しかも『5・7・6』の字余り」
「……余計なご指摘は勘弁してくださいませんか。おれが聴きたいのは、おれのお料理の評価でして」
愛は盛大に爆笑してから、
「アツマくんがおかしくなってる~~」
と言ったかと思えば、
「――100点満点よ」
と……『評価』を即刻繰り出してきた。
おれはモゴモゴと、
「それは、どこまでが、本音なんだ?」
と言うコトしかできない。
対する愛は、
「『どこまで』なんていう概念、無いから」
と天真爛漫な声と天真爛漫な顔で言って、
「100点満点の決め手は、エビフライの絶妙な揚げ加減」
と言ってくれる。
おれが作ってあげた夕食の中で最も自信があったのがエビフライだった。嬉しかった。俯き気味になるのをやめた。解きほぐされたココロでもってパートナーの美しい眼に眼を合わせた。
安心の感情がどんどん膨らんでいっていたから、
「だったらさ」
と言っておれは、
「料理の他に、もう1つ、100点満点をいただきたいモノがあって」
「え? なになに」
興味津々に前のめりになるパートナーに向かって、
「洗濯物」
とおれはハッキリと告げる。
「おれが『全部』、洗濯してやったから」
そう付け加えたおれのコトバによってパートナーはほんのり顔を赤らめるが、
「……ありがとう。大変だったでしょ、わたしがあんな状態で昨夜(ゆうべ)帰ってきてから、洗濯したんだから」
と言ってくれて……なおかつ視線を優しく優しく伸ばしてきてくれる。