【愛の◯◯】伊吹先生リバイバル

 

ホワイトボードからみんなの方へ向き直って、

「これで終わり。お疲れ様でした」

と言うわたしに、拍手の音が響いてくる。

ホワイトボードの板書はそのままにして、両手のひらを机上(きじょう)に引っ付けてみんなに向かって前のめりになって、

「どうだった? 感想を聞かせてほしいんだけど」

すると、サークルの後輩会員たちは口々に、

「すっごく分かりやすかったです!」

「僕が高校で習った先生よりも断然お上手でしたよ」

「羽田センパイに教わる子たちが羨ましい」

という風に、わたしを評価してくれる。

良かったな。「模擬授業」は成功だったみたいだ。ワガママを言ってサークル室を教室に見立てた甲斐があった。

わたしも満足できたから、板書を消すためにホワイトボードに振り向こうとする。

しかし、本日これまで存在感が薄かった4年生の和田成清(わだ なりきよ)くんが、ホワイトボードを見ようとする教師志望の5年生のわたしに向かって、

「あのー、羽田センパイ」

成清くんが着席している入り口付近のテーブルに顔を向け、

「どうしたの?」

とわたしが訊いたら、

「センパイは、尊敬する先生がいたりするんすか?」

という質問が返ってきた。

どうしてそんなコト質問してくるんだろう。女子校時代のわたしに対する興味が強いのかな。

……いるコトは、いる。だから、『彼女』のコトを成清くんに話しても良(い)いんだけど、長くなりそうだし、『開示』するのはまだ早いとなんとなく思ったりもしたので、

「いるわよ。プライバシー保護の観点から名前は出さないけど」

と答えて、お茶を濁す

 

× × ×

 

夕ご飯を作るまでのひと時(とき)を、わたししか使ってはいけない小さなテーブルの前に腰を下ろして過ごしている。

テーブル上には開いた日記帳。日記帳といっても今日のコトを書きつけているのではなく、女子校時代の回想をひたすら書きつけている。

高等部時代に授業を受けていた先生の名前を列挙していたら、

『尊敬する先生がいたりするんすか?』

という成清くんの問いが頭の中に蘇った。

即座に浮かんだのは伊吹(いぶき)みずき先生の顔だった。

国語教師で、高等部3年時のわたしの担任で、わたしが部長を務めていた文芸部の顧問だった。わたしが通っている大学が出身大学だというオマケまで付いてくる。

高等部1年の時にわたしを文芸部に引き入れようとしてきたコトで関係が深まった。昭和最後の年度産まれで教師としてのキャリアをかなり積んできたはずなのに、オトナの女性とはとても思えないような言動が眼に付く先生だった。

だけど、時には、オトナとして教師として務めを立派に果たしていた場面もあったし、親元を離れて暮らしていたわたしを気づかってくれていたのか、まるで母性本能みたいな愛情を注(そそ)いでくれる場面もあった。

その愛情に素直になれなかったりもしていたわたしが、ある時、

『生徒みんなに優しくするべきだと思うんですけど』

と疑問を呈すと、

『優しくしてるよ?』

と答えられたから、焦り気味に、

『わたしを特別扱いしてるんじゃないかって思っちゃうコトがときどきあって……』

と言ったら、

『あるいは、そーなのかもねぇ』

と涼しい顔で答えてきたから、なおさら焦った。

 

× × ×

 

愛情の偏りの是非はともかくとして、ちゃらんぽらんなトコロもあったのは否定できず、たとえば、わたしが高等部3年に上がったばかりの頃に、

「居候先の『彼』とは、順調!?」

と言いながら、校舎の外の日陰で缶コーヒーを飲んでいたわたしに迫ってきたコトもあって。

『彼』とは、もちろんアツマくんのコト。現在(いま)ではマンションで「ふたり暮らし」をしているパートナーのコト。

缶コーヒーを持っていた右手が震え、

「教師がそんなコト訊かないでくださいよっ。伊吹先生って、ホントに……!」

と震えた声を出したら、

「『これだから、ゆとり世代のオトナになり切れないオトナは……』とか、言いたいんじゃないの~~?」

と、わたしの心情を見透かしてきたから、怖くなって、

「『自覚』っていう漢字2文字を、もっと意識してくださいっ」

と言って、顔を逸らした2秒後に走り出してしまった。

 

翌日は、起きた瞬間から伊吹先生に対するイラつきがあって、1時間目の授業が始まるまでずっと、替わってもらった窓際の席で頬杖をつき通(どお)しだった。

しかも不幸なことに、1時間目は伊吹先生の現代文の授業だったから、イライラにムカムカが混じるのを止めるコトなども無理だった。

伊吹先生が教室に入ってくる。お決まりの「起立、礼、着席」をわたしだけがボイコットする。教壇の彼女は気にする素振りも無い。気にしなかったのも気に食わなくて、窓の外の風景に視線を突き刺す。

遠くを眺め通しのわたしだったけど、現代文は最高の得意教科だったから、教壇の彼女の声を耳で聞いているだけでも授業内容が98%理解できる。

授業開始から30分近く経って、

「んーっと、教科書、誰か読んでくれないかなーっ」

という先生の声が耳に響く。

『来た』とわたしは思った。誰に『振る』のか眼に見えていた。

「――じゃあ、今日の教科書読み当番は、羽田さんで」

『当番ってなによ、当番って……』とピリピリピキピキしながら、席から立ち上がり、教科書を両手に持つ。

わたしは、窓の外の方にカラダを向けたまま、教科書の評論文を声に出し始めた。

教壇の伊吹先生の方なんか、授業が終わるまで一切見たくない。

評論文を音読するわたしの声が響く教室に不穏なムードが漂い始める。

不穏を感じ取っていないのは、伊吹先生ただ1人。

彼女だけがニコニコしているのが容易に想像できて悔しかった。

 

× × ×

 

「現在(いま)では、こんな思い出も、良(い)い思い出に成り代わっちゃったんだけどね」

キャベツをまな板に置くわたしは、そう独(ひと)りごちる。

日没までには時間がありそうなのが、キッチンの窓を見たら分かる。

伊吹先生は、わたしの母校で、お仕事中のはずだ。