「わたしのところよりだいぶ新しいアパートね」
俺の部屋をひと通り見てから大井町侑(おおいまち ゆう)さんが言う。
立ったままの彼女は、デスクの前の椅子に座っている俺に向かい、
「新田くんのお家(うち)、もしかしてブルジョア?」
と笑みをたたえながら言ってくる。
そしてさらに、
「格差社会の反映がこんなところに在(あ)るなんてね」
と、いきなりの社会風刺を繰り出してくる彼女。
「そこまでブルジョアじゃないよ」
俺はそう言っておく。
それから、
「一刻も早く漫画家デビューしなきゃいけないんだ。でないと直(じき)に部屋を引き払わざるを得なくなる。そうなれば子供部屋おじさんコースだ」
とも言っておく。
例によってジーンズ穿(ば)きの彼女がどんどん俺に向かって前進してきた。
1メートル未満の距離感でもって、
「じゃあ、全力で頑張らないとねえ」
と言い、椅子座(ずわ)りの俺に視線を注いでくる。
後ろ手の彼女は完全なる見下ろし姿勢だ。部屋に入ってきてからずっと立ったまま。
『どこかに腰を下ろすよう促さねば……』と思い始める俺、だったのだが、
「スマホを出しなさい」
と、彼女が突然に右手を差し出してくるではないか。
こう言ってくるということは……つまり。
「スマホの誘惑に負けずに漫画を描(か)き続けるための、『没収』か」
「そーゆーことよ。理解したのなら、早くスマホ出して」
これが大井町さんの厳しさだ。彼女らしさが前面に出まくっている要求。
素直に従うしかない。スマートフォンを手渡す。
「言うことがすぐに聞けて偉いわね~。頑張るのよ~~☆」
大井町侑さんの笑顔が、厳しい。
× × ×
「そろそろお昼時ね。わたし、ゴハン作ってあげるわ」
ペン入れの最中(さなか)の衝撃的なひとことだった。
背中にいきなり衝撃発言を突き刺されたがゆえに、ペン入れを失敗し、原稿を1ページダメにする。
「俺の心臓をあんまり揺さぶらないでくれ」
ダメになった原稿を丸めながら言う。ひ弱な声しか出せない。
「何が言いたいの? あなたのためなら、幾らでも食材を買いに行ってあげるし、幾らでもゴハンを作ってあげるわよ?」
明るく透き通った大井町さんの声が耳に響く。
重くのしかかってくるモノを首や背中の辺りに感じてしまう。ペンを持つ手が完全に停(と)まり、俯いて原稿をじっと見る。
「お昼ゴハン作ってエネルギーを補充してあげるのぐらい、当然の務めよ。だって、世界でいちばんあなたを応援してるんだもの」
そんなコトバを浴びせてくる彼女。
ペンを持つ右手に余分なチカラが入ってしまう。恥ずかしさめいたモノがこみ上げてきて顔面が熱を発する。
ペンを置く。両手の指を組む。
重くのしかかってくるモノと恥ずかしさめいたモノがミックスされて、俺の精神状態はグンニャリとなっている。『ゴハン作ってあげる』という彼女の申し出に対して、どう応答していいか分からない。
背中を押してくれるのは嬉しい。
でも、『ゴハン作ってあげる』ってのは、ちょっと違う気がする。なにか違う気がする。
指を組み続ける。
違和感の正体をハッキリさせたくて、眼を閉じる。
× × ×
一方的に与えられるのは、やっぱり、イヤだ。
それは、間違ってると思う。
根拠は、あやふやだ。
だけど、根拠を明確化するよりも、彼女に対して、言うべきことがあるし、するべきことがある。
× × ×
ベッドに腰掛ける大井町侑さんの眼の前に俺は立っている。
浮かせていた大井町さんの両脚が床に引っ付いた。
『ゴハン作ってあげる』という申し出に対する応答がなかなか返ってこなかったからだろうか、やや困惑の表情で、
「どうしちゃったのよ……。真剣過ぎるぐらい真剣な顔で、仁王立ちになって」
俺はすぐさま、
「仁王立ちじゃないからっ」
彼女は、
「……新田くん?」
と狼狽(うろた)えの声で呼んでくるが、
「あのさぁ!!」
と、決心の大声を、俺は、彼女に対して、発する。
彼女は怯(ひる)んだ。そして、仰(の)け反(ぞ)った。
ビビらせてしまうのもある程度は仕方無いんだ。彼女に「分からせる」ためならば。
……そう。分からせて、納得させるためならば、大声だって出す。
そしてきっと、コトバだけじゃ納得させられない。「行動」が必要なんだ。
俺は両手を彼女の両肩に伸ばし始めていた。
彼女の両眼がとても大きく見開かれた。
怖がらせてしまっている。自覚している。
でも、下手に何かコトバを出すよりも、彼女の両肩に自分の両手を一気に置きたかった。
だから俺は俺のココロに忠実に、「実行」した。
両肩を掴んでいく。チカラの入れ方が分からない。痛くなっていたら申し訳ない。
「ごめんよ」
謝るべきだと思うから謝る。チカラを和らげるよう努力する。
その努力と同時に、
「驚かせてすまない。だけど、俺、約束してほしいこと、どうしてもあって」
惑いの色が濃くなり続けている彼女の顔。
よく見れば、いつもより幼い。
でも、そういう感想は、胸の奥底に速(すみ)やかに閉じ込めて、
「俺のために料理を作るのは、やめてくれ」
とハッキリキッパリ告げ、
「そういう関係性は、ちょっと違うと思う」
と、確かなチカラを籠(こ)めて言い、最大限の優しさを振り絞って、戸惑いっぱなしの彼女を見つめ続けていく。