「読点(とうてん)が多過ぎる文章は却(かえ)って読みづらい」
文庫本を読みながらおれは言う。
「しかし、接続詞の後には読点を付けてくれた方がよろしい」
こんなコトも呟く。現在このマンション部屋(べや)にはおれしか居ない。したがって、ダイニングテーブルの前に座って文庫本を読んでいるおれはヒトリゴトを放っているコトになる。ヒトリゴトを放つ理由。文章の読点について意見する意図や意味。とりあえずここら辺は気にしないでおいて頂けると大変ありがたいです。
「副詞が文頭(ぶんとう)に置かれる文はあまりよろしくない、と有識者は言っているようだ」
思わせぶりなヒトリゴトを3連発してしまったおれは文庫本を閉じて置き、キッチンまで歩み寄り、18時半までには帰ってくると思われるパートナーのために食事の下ごしらえを始めていく。
× × ×
鶏もも肉に下味を付け終わってひと休みしていた時だった。
ガチャリ、という音が玄関方面から。続けて玄関ドアの開く音。愛が帰ってきた。おれのパートナーのご帰宅だ。
ダイニング・キッチンに身長160.5センチの均整のとれたカラダが現れる。
均整のとれたカラダと同時に麗しく長い栗色の髪が現れるはずだった。腰の下辺りまで伸びた超・ロングな栗色の髪が現れるはずだった。
しかし、おれの予測はひっくり返された。
おれの心臓が大ジャンプする。胸を押さえてオーバーリアクションするのを回避できない。
「ただいま~~、アツマくん」
卑怯なまでの強烈に美しい笑顔で言い放たれる愛の『ただいま』。しかし、強烈に美しい笑顔からおれの眼は自然と逸れる。
「なによぉ」
おれと対照的な精神状態と思われる愛が、
「『ただいま』ってどーして言えないの? 胸を押さえたり顔を逸らしたり、変なリアクションを見せてくるばっかりで」
「だって。だってよ、愛っ。おまえ、おまえ……髪の長さが……その、今までよりも」
「あーっ」
いかにも『ニヤけてますよ』と言わんばかりの口調で、
「そんなに衝撃的だったの? わたしのステキな髪が、背中にかかるぐらいまでの長さになってるのが」
胸の内部を落ち着かせ、髪をバッサリ切ったパートナーへ視線も戻して、
「当たり前だ。ディープインパクトが何頭(なんとう)居ても足りないぐらいに衝撃的だっ」
愛は大層(たいそう)可笑(おか)しそうに、
「なにそれー」
と言ってきてから、
「あなた相当混乱してるのね。競走馬を喩(たと)えに持ってくるなんて珍しいし」
と指摘しつつ、おれが棒立ち状態と化しているキッチンに接近してくる。
それから、
「言ったはずでしょ、今日の午後『アリア』に行くってコトは」
確かに愛は言っていた。『アリア』。愛がいつも髪を切ってもらっているお店だ。
でも、
「そこまでバッサリ髪を切っちまうなんて……思いもしなかったし」
そう告げたのだが、驚くべき髪の短さとなったパートナーはより一層カラダと顔を近付けてきて、
「にぶいわね~」
と言ったかと思えば、
「わたし、『教育実習が間近に迫ってる』って毎日のように言ってるんですけど。ケジメよケジメ。たしかに実習先の母校は規則は緩いけど、生徒じゃなくて先生という立場で通うんだから、その立場に相応しい髪の長さにしたかったの」
そんな語りの後で自らの髪を右の人差し指と親指で少しだけつまみ、
「半分近く切ったから、寝グセみたいなのができる危険性もだいぶ減ったでしょうし」
と言い、
「そーゆーワケで、この髪の長さで、しばらくよろしく☆」
と笑顔を輝かせる。
しかしながらおれには、今度は不安が芽生えてきて、それゆえに、
「『危険性もだいぶ減った』っておまえは言うが……おれには安心できない」
愛の表情にムッとしたものが浮かんできて、
「なによっ、これだけ切っても、寝グセやアホ毛の発生確率が変わるコトは無いとでも言いたいの!?」
おれは正直に、
「ああ、そうだ。そこが懸念材料だ。それに……」
と言って、ムカムカ色(しょく)の強くなった愛の顔面を見据えながら、
「やっぱ、バッサリ切っちまった後だと、あの超・ロングヘアが名残惜しくなってくる。『生活に支障が出てくるんでは?』とハラハラしながらおまえの超・ロングヘアを見ていたコトもあったが、ああいう飛び抜けた髪の長さは、髪色が栗色であるのも相まって、おまえの魅力の何割かを形作っていて……」
「ああっもうっっ!!!」
強引に、愛がおれを遮った。
そして遮ってから、瞬時に背中を抱きかかえてきた。おれの胸の上部にぐぐぐぐ、と頭部が押し付けられる。
爽やかな香りがする。散髪帰りに特有の爽やかさが鼻腔(びこう)に到来する。
だから、ビックリするほど短くなったパートナーの栗色の髪をおれは撫でてやりたくなってきて――実際に、さらりさらりと撫で始める。
『うけいれてよね……。』
ふにゃけた声が胸元から聞こえてくる。
可愛い声だ。