1限の時間帯。文学部キャンパスのラウンジの隅っこにて、5年生のわたしは5年生の城神明(じょう ミア)さんと雑談している。
城さんが、
「この時間帯はラウンジがやかましくなくて良(い)いねえ」
と言い、
「同感よ。『早起きは100文(ひゃくもん)の徳』ね」
とわたしが応える。
城さんは少し苦笑して、
「それを言うなら『三文(さんもん)』でしょ」
わたしは軽快に、
「そーとも言う」
と言って、笑顔を創(つく)り出す。
城さんは某・読書サークルに『いちおう』所属している。なぜ『いちおう』を付けるのか? それは、『5年以上在籍するサークル員は週に2回しかサークル室に来てはいけない』というローカルルールが彼女の読書サークルには存在しているからだ。つまりは、留年学生に対しての入室制限。そういう点はわたしの『漫研ときどきソフトボールの会』よりも厳しいのね。わたしなんか「留年幹事長」として5年生になっても君臨してるのに。
「あのね」
握った両手をテーブルに置いている城さんがやや前のめりになって、
「入室は制限されちゃったんだけど、まだ続けてる『活動』があるんだ」
わたしが、
「どんな『活動』?」
と訊くと、
「『新潮文庫を卒業までにどれだけ読めるかチャレンジ』をしてるの」
ほほお。
新潮文庫。
興味が湧き出すから、
「城さん、その『チャレンジ』のコト、もうちょっと詳しく」
と促すのをガマンできない。
彼女は、
「新潮文庫を1冊読み終えるたびに必ず記録をつけるの。記録はスマホで管理してる。『読書メーター』のアプリとかは使ってなくて、感想を添えるんじゃなくて書名を記録するだけなんだけどね」
と説明してくれる。
わたしも前のめり気味になって、
「その『チャレンジ』で、これまでに何冊読んだの??」
と訊いてみる。
彼女はためらうコトも無く、
「現在、398冊」
とご回答。
「スゴいわねえ。4年間で、1年あたり約100冊ってコトでしょ?」
「そうだけども」
彼女は照れるようにして、
「この『チャレンジ』のせいで、読書がほぼ新潮文庫オンリーになっちゃってるし。……羽田さんはさ、たぶん、『1年間で365冊の本を読む』タイプなんでしょ?」
こくん、と頷いたわたしは、
「まー、そんなトコね。大学入学してからの通算読書数、1000冊超えてるわね」
と答えつつも、
「山あり谷あり、の4年間だったんだけど」
と言い添える。
山あり谷ありの大学生活を送らないと、留年なんてなかなかできない。
かなりビミョーなニュアンスをコトバに含ませたわたしに、城さんは、
「山あり谷あり、なんだから……『凄み』を増すんでしょ」
「『凄み』?」
「うん。羽田さんは、いろいろ凄いし。漠然と『凄い!』って思ってるんじゃなくて、具体的に『凄い点』をいっぱい挙げられるんだよ、わたし?」
「それは嬉しいな~~」
わたしは、そう告げつつも、
「列挙してくれても良いんだけど、わたしは新潮文庫の話題を深く掘ってみたいわ」
「深く掘る?」
城さんの疑問に対してわたしは、
「あなたは史学科(しがくか)の日本史専攻よね?」
「うん、そーだけど」
「歴史小説とか時代小説とか、相当読んでるんじゃないの?」
「読んでるよ。『相当』がもしかしたら付くのかもねえ」
「ほらほら、新潮文庫って、池波正太郎や藤沢周平がたくさん入ってるじゃないの。城さんはこの辺りの作家を愛読してるんじゃない?」
「んー」
城さんは上目づかいでラウンジの上方(じょうほう)に視線を傾け、少しだけ考えた後で、
あら。
少し意外な答えね。
とりあえず、
「そっかーっ。まあ新潮文庫だったら、時代小説も歴史小説も、他の作家の作品、星の数ほど収められてるもんね」
と言っておく。
わたしは、『時代小説作家は藤沢周平だけは読み込む』という我ながら謎の『主義』を貫いているんだけど、そんなコトはこの場では打ち明けない。
「時代小説も歴史小説も、なんだけどさ」
わたしのコトバを承(う)けて城さんが、
「時代モノや歴史モノに限んないでしょ、新潮文庫って? あらゆる分野から作品が来るじゃん? しかも、文学作品だけじゃないし。業界最古参級かつ業界最大手級のレーベルなんだから」
と言い、
「松本清張を相当読んできたんだ、わたし。村上春樹も、かなり。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』なんて、例外的に2回読んじゃった。安部公房だって読むし、カフカの『城』も、先月読破いたしました」
おおおおぉーっ。
「城さん!! わたしは、カフカの『城』と『審判』、それぞれ3回ずつ読んでるの」
気付いたら自慢を大声で伝えている。――そんなわたしがいたのであった。
× × ×
わたしたちはラウンジから移動をした。
閑散としている事務所裏の古めのベンチに並んで座り、春の陽光を浴びているのである。
身も心も『ぽっかぽか』な状態になりつつあるわたしに、右隣の城さんから、不意に、
「ねえ羽田さん。わたしたち、卒業まで、助け合っていこうよ、支え合っていこうよ」
という声が届いてきた。
城さんは、続けて、
「ひとりぼっちだとゼッタイ辛いよ。5年生以上は絶対数が少ないんだから、なおさらでしょ? 羽田さんとキャンパスで一緒に居る時間、わたしは、増やしたいな」
わたしとの友情を強く結びたいという熱いキモチが、しっかりと伝わってくる。
だから、わたしの方からも……決してほどけないように、強く、結んでみたい。
だからだから、彼女の熱い想いが身にしみているがゆえに、
「そうしましょう。是非、そうしましょうよ」
と言いつつ、彼女と向かい合って、彼女の両手をわたしの両手でそっと握って、
「2人で一緒に、来年の3月を目指しましょう?」
と自分自身のキモチを伝える。
「ありがとう」
朗らかな笑いで彼女は感謝してくれて、それから、
「わたし、これからは、『羽田さん』じゃなくって『愛さん』って呼びたいんだけど」
わたしは即座に、
「『愛ちゃん』の方が良いわ」
「――わかった。それじゃあ、『愛ちゃん』で」
「うん。――わたしも、あなたのコト、これからは『ミアちゃん』って呼ぶ」
両手は両手で握り続けている。
下の名前で呼ぶコトを互いに約束した彼女とわたしの、新たなる1年間が、始まる。