【愛の◯◯】後輩の優しさ、同期の優しさ。

 

寝不足過ぎる。

『横浜DeNAベイスターズペナントレースで優勝する妄想エッセイを書いていて夜更(よふ)かしだったから、体調がすぐれない』

こんなコト、サークルの後輩に言えるワケも無い。

漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋には、留年幹事長のわたしの他に後輩会員が何人か居る。

彼らには、わたしのコンディションを覚(さと)られたくない。その一方で、『もう覚(さと)ってしまってる子も居るのかも……』という諦めのキモチに似た感情も芽生え始めている。

留年幹事長のわたしには「仕事」があった。

4月アタマの新入生歓迎ウィークの報告書を作って、学内サークルを取りまとめている会に提出しなければならないのだ。

『わたしが書く!』って既に宣言していたのに、こんなコンディションでは、間近に迫る締め切りまでに間に合いそうにない。

報告書こそ席の近くのテーブル上に置いてはいたけど、夜遅くまでベイスターズの妄想エッセイを書いていたのも手伝って、今この場で文章を書けるようなチカラが全く湧いてこない。

しかも、わたしは元来、活動報告書のようなカッチリとした文章を書くのが苦手なのだ。ベイスターズにまつわるコトならば無限に書けるのに、公的な側面の強い文章を書かなければならなくなると、ペンが遅々(ちち)として進まなくなってしまう。

真向かいには4年生男子2名が着席している。幸拳矢(みゆき けんや)くんと和田成清(わだ なりきよ)くん。2人が留年幹事長たるわたしに次ぐポジションであるがゆえに、わたしに向けてくる視線がどんどん怖くなってきてしまう。

「羽田センパイ」

拳矢くんの方が口を開いた。わたしの背筋がぶるっ、と震える。背筋の震えを自覚した結果、怯え混じりの俯き顔を真向かいの2人に見せてしまう。

拳矢くんが、

「提出しなきゃいけない新歓報告書の件ですけど」

と言ってきたから、背中がぶるぶるゾワゾワとしてきてしまうけど、

「ぼくと成清の2人で書こうと思うんですが、OKしてくれますか?」

という意外な申し出が耳に食い込んできた。

申し出た拳矢くんの声は優しかった。最悪に近いコンディションであるのも影響しているのか、拳矢くんの優しい声で胸の温度が上がる。だけど、優しく申し出てくれたから嬉しいだけではなく、「情けなさ」のようなモノに胸の内部をグニュッ、と抉(えぐ)られたりもしている。

それから、成清くんからも、

「おれたち、羽田センパイにあんまり負担かけたく無いんすよ。むしろ、こっちの方で負担を背負いたいぐらいで。――どうっすか? OKしてくれますか? OKなのなら、報告書の紙、おれたちの方に回してくださいよ」

と優しくて暖かい声でOKを求められてしまう。

2人の後輩男子のコトバで胸が熱い。でも、それだけじゃなくって、胸の熱さに「むずがゆさ」のようなモノが濃厚に混じってきている。

熱くなった胸に「むずがゆさ」のようなモノが浸透する。その結果、泣きたくなるような感情が一気にこみ上げてきてしまう。涙をこぼす準備ができてしまう。優しさに対する嬉しさだけではなくて、情けなさや不甲斐なさも、わたしの涙腺を刺激していく。

泣く寸前で懸命に踏みとどまるわたしは、弱々しく、

「わたし、マジでダメなオンナよね。幹事長失格の烙印(らくいん)を押されても仕方が無いわ。だって、新歓ウィークの時、あなたたちにあんなに強く当たってたのに、今はこんな体(てい)たらくなんだもの。ヒトコトで言えば、口(くち)だけ状態。書くべき報告書をここまで放置するだなんて、だらしがないとしか言いようが無い。ほんとうにだらしがないのは、わたしの方だった。ホントのホントで、ごめんなさい……」

 

× × ×

 

黄昏(たそがれ)色の空だった。もうすぐ、この公園の街灯が光を放ち始めるだろう。

学生会館間近の公園なのである。今年になってから3本の指に入るぐらいショゲているわたしは池の近くをトボトボと歩いているのである。

歩いているのはわたしだけではない。大井町侑(おおいまち ゆう)が、トボトボとした足取りとは真反対のキビキビとした足取りで、わたしの右隣を歩いている。

池のほとりの街灯が輝き始めた。その輝きが侑を照らす。綺麗な黒髪も凛(りん)とした横顔も、その輝きによって一層(いっそう)際立ってくる。だからわたしは、今のわたしが色んな意味でブサイクなのを自覚して、侑の横顔から眼を逸らしてしまう。

「どーしたの、愛? なんだかくたびれてる感じがするわよ? 幹事長職が激務だったとか?」

そう指摘してくる侑。わたしはくちびるを噛んだ後で、

「激務とは違う。社会人になったあなたとは比べ物にならないほど、わたしは『ぬるま湯』。でも、くたびれてるのは、事実。肉体的にというよりも、精神的に、くたびれて……」

わたしの同期であり既に社会に出ている親友女子が、

「前を見て、愛。あそこにベンチがあるでしょ? あのベンチにとりあえず座ってみなさい」

本当だった。前を向いたら、視線の先にベンチがあった。

そして、『座ってみなさい』という侑の要求。命令形に近い表現ではあったけど、侑の声は暖かさに溢れていた。

サークル部屋での「一件」の時も、拳矢くんや成清くんの声が暖かった。侑の労(いたわ)る声も暖かい。ただ、男子と女子の違いからだろうか、侑の声の暖かさは、拳矢くんや成清くんの声の暖かさとは少し違う種類のモノのように感じられる。たとえるのなら、本来は同い年なんだけど、彼女の方が『お姉さん』であるかのような。そう思わせてくる暖かさで……。

立ち止まるわたしのもとに侑が寄ってくる。彼女の横顔を思わず見たら、わたしをベンチへと優しく優しく誘(いざな)いたいというキモチに満ちあふれた表情だったから、なおさら棒立ち状態になってしまった。

「どーしちゃったのよー」

軽やかな声を発して、わたしの顔に顔を近付けてくる侑。

「棒立ちで動けないぐらいツラいのなら、わたしが手を引いてあげるけど?」

わたしはドッキリとして、

「手を引いてあげるって……なに」

「わたし、なんとしても、あなたをあのベンチに座らせたいの。そしてそれから、あなたのくたびれにまつわる諸事情を聴いて、それからそれから、あなたの隣に座ってあげたいの」

侑の言っている意味を理解した瞬間、形容しがたい「くすぐったさ」が、ぶわぁーーっ、と上半身に拡がり始める。

今のわたしの顔面の温度はたぶん40℃超え。またしても、侑の顔を上手に見られなくなってしまう。

7メートルか8メートル先にベンチが見える。本来ならば、侑の促しに従って、向かって行って着座するべき。

だけど……かなりの混乱を呈しているわたしは、素直になれず、侑に手を引かれるより先に、顔を逸らしたまま自分の右腕を彼女の左腕に伸ばして、それからそれから、その右腕をその左腕に絡め始める。

顔を見る勇気は出ないけど、肩ならば、寄せられる。どうしようもない状態であっても……肩に肩をくっつけるみたいな、そんなスキンシップならば。