大学の入学式の日を今年も迎えた。麗(うら)らかに暖かい春の光が朝からキラキラしていた。新入生を祝福しているみたいだ。
午前10時過ぎ。式典は既に始まっていると思われる。わたくし羽田愛は学生会館の所属サークルのお部屋に来ている。『漫研ときどきソフトボールの会』というサークルだ。サークル名が示す通りの活動をしている。そして、大学生活5年目を迎えたわたしは昨年に引き続き幹事長を務めており、サークルをまとめる役目を担っている。
室内の最も奥が幹事長の『指定席』だ。そこに座っているわたしは窓からの木漏れ日を背中に浴びている。新入生だけではなくわたしまで祝福してくれているみたいなお天気。でもいったい、わたしの何を祝福するっていうんだろうか。留年を祝福されたくはないわよ、わたし。
あるいは、今浴びている木漏れ日は、祝福ではなく「激励」の木漏れ日なのかも……と感じながら、真向かいの席に並んで座っている4年生コンビに眼を凝らす。
幸拳矢(みゆき けんや)くんと和田成清(わだ なりきよ)くん。拳矢くんは声優に青春を捧げていて、成清くんはアニメソングに詳しくて歌が上手い。ただ、2人の趣味だとか特技だとかは今はどうだっていい。
拳矢くんと成清くんをじーーーっ、と凝視しながら、わたしは、
「そろそろ、あなたたちが本部キャンパスに向かう時間よ。新入生歓迎ブースのコトはあなたたち2人に任せるわ」
拳矢くんが困ったように、
「えっ……。羽田センパイは、ブースに行かないんですか?」
わたしは即座に、
「『お留守番役』が居ないといけないでしょ」
拳矢くん同様に困り顔の成清くんが、
「『任せる』と言われても、具体的には……?」
わたしはまたもや即座に、
「あなたたちはホントに4年生なの!?」
と言う。
わたしの「お叱り」に男子2名はコトバを失(な)くしてしまう。
わたしは続けざまに、
「もう4年生なんだから、新歓ブースでの立ち回りぐらい自分たちで考えられるでしょ。あなたたち2人には副幹事長みたいなポジションになってもらいたいの。だから、敢えてこうやって厳しく言ってるのよ」
拳矢くんも成清くんもショボショボと萎(しぼ)みかけている。
『追い詰めちゃったかな。これから新歓って時なのに、ショボショボさせちゃった……。反省ね』
2人に対して申し訳無くて、わたしは苦笑。
その苦笑を、優しさいっぱいの微笑み顔に変えていきつつ、
「期待してるんだから。ちょっとの失敗ぐらい、大目に見てあげるから」
と、1つ上の『お姉さん』としてのキモチを籠(こ)めた声で、柔らかく包み込むように言ってあげる。
× × ×
拳矢くんがサークル部屋に連れてきた新入生の男の子が、幹事長席のわたしの間近に立っている。
犬伏竜(いぬぶし りゅう)くんという男の子だった。メガネこそかけていないけど、わたしの同期だった新田俊昭(にった としあき)くんを彷彿とさせるモノがある。背丈も174センチぐらいで、新田くんとほぼ同じである。
犬伏くんにまっすぐカラダを向けたわたしは、
「名前はインプットできたから、次に自己PRをしてもらいたいわ」
と要求する。
拳矢くんの「幹事長権限で、採用面接みたいなコトを……」というボヤきを完全に無視して、
「犬伏くん。好きなコトや得意なコトは、なあに?」
と訊く。
すると犬伏くんは、後ろの椅子に置いていたリュックからスケッチブックと思しきモノを素早く取り出す。
取り出したモノを突きつけるように見せてくる。紛(まご)うことなきスケッチブックだ。
『スケッチブック持ってるだなんて。この子、新田くんとやっぱりダブる……』と感じたわたしに、
「『好き』も『得意』も、このスケッチブックに詰まってます」
と犬伏くんが勢いよく言ってくる。
開いて見せてきた1枚目には、見覚えのある美少女キャラのイラスト。
……否、正確には、『美少女』ではなく、
わたしが確かめるように訊いた瞬間に、
「よくご存知で!!」
と犬伏くんが叫び、
「これもご存知ですよね!?」
と2枚目を見せてくる。
一気に2段階上がった犬伏くんのテンションにたじろぐわたしは、
「ご、ご存知よ。メジロマックイーンちゃんよね」
「流石です!!」
初対面のわたしに『流石です!!』と言ってくる不可解さを見せる犬伏くんは、
「そして、メジロマックイーンとくれば、同じ芦毛の、オグリキャップ!!」
とすごい叫びを上げると同時に3枚目のオグリキャップちゃんを見せてきて、
「ここで伝えておかなきゃいけないコトがあります!! 俺、しばらくは、日曜午後はサークルには来られないです!! なぜなら、JRAの最終レース直後に、『ウマ娘 シンデレラグレイ』のアニメが放映されるからです!!」
「んっと……犬伏くんって、まだ未成年よね。多浪(たろう)して入学したとかじゃーないわよね」
訊けば、瞬時に、
「ハイ現役です、18です!!」
「馬券は、くれぐれも、ハタチになってから……」
わたしは、勢いに押されながら念を押すが、
「馬券はハタチからですが、ウマ娘には15歳からのめり込んでます!!」
……どうして胸を張って『のめり込んでます!!』なんて言っちゃうの。
頭痛が兆してきながらも、
「確か、ちょーどその頃、テイオーとマックイーンが主役のアニメ2期が放映されていて、大人気だったわよね」
と、犬伏くんに合わせてあげようとするわたし。
「よくご存知で」
『ご存知で』を連発する彼。
彼の笑顔に不穏さの兆しを見てしまい、背筋に寒気を覚える。
わたしの背後から木漏れ日は最早こぼれてこない。いつの間にか雲が拡がってきているみたい。
「それとですね」
犬伏くんがウマ娘の話題から逸(そ)れようとしてくれない。自己PRが際限なく続きそうな悪寒がする。
拳矢くんの存在感が薄過ぎる。こんな時に「調整役」になるべきはあなたなんじゃないの、拳矢くん??
とどまるコトを知らない犬伏くんは、スケッチブックのページを尚(なお)もめくろうとして、
「まだウマ娘化されてない競走馬についても、俺独自のイメージイラストを『用意』していて。たとえば――」
慌ててわたしはカラダを動かした。スケッチブックに掴(つか)みかかり、彼のページめくりを全力で止めようとした。
犬伏くんは慄(おのの)かずにキョトーンとするばかり。
すごい度胸。
……なんだけど、
「い、犬伏くん?? これ以上は、やめておきましょ?? あのね、某馬主さんに『事情』があるように、わたしたちのサークルにも諸々(もろもろ)の『事情』があるのよ」
と、わたしは、説得を試(こころ)みる。
しかしながら、わたしの説得を受け止めていないのだろうか、彼は、
「某馬主さんって、『ホールディングス』が付いてる、あの人のコトですか?」
ズキズキと頭痛に苛(さいな)まれながらも、わたしは、
「……『ホールディングス』が付いてる馬主さんは、何人もいるはずよ」
という抵抗の声を、振り絞る……!