朝食後。キッチン。兄のおれと妹のあすかは食器を一緒に片付けている。
おれは、鍋をスポンジでゴシゴシしながら、
「悪いな、手伝ってもらって。任せてくれても良かったんだが」
あすかは、皿を布巾(ふきん)でキュキュッと拭きつつ、
「お兄ちゃん、日曜出勤でくたびれてるでしょ? ホントは、わたしが全部やってあげても良かったんだよ」
予想外のサービス精神に驚くおれは、
「全部やってやるだなんて。おまえに負担がかかり過ぎる」
あすかは、手を上に伸ばして棚を開き、拭いた皿を置いてから、
「わたしの体力舐(な)めないでよ。お兄ちゃんなら分かるでしょ? お兄ちゃん譲りのパワーがわたしに備わってるコトぐらい」
……いや、イマイチ分からんのですが。
……まあ、いいか。いいとするか。
妹がサポートしてくれて普通に嬉しい。そんな朝だ。
そんな朝であるので、おれは右の手のひらを右隣の妹の背中に伸ばし、ぽーん、と軽く叩いてやる。
× × ×
おれに背中を優しく叩かれた恥ずかしさを引きずりながら、斜め下向き目線で、
「11時30分までは部屋(ここ)に居られるんでしょ? 遅番(おそばん)だから。録(と)り溜(だ)めてたベイスターズのオープン戦中継、一緒に観ようよ」
と、リビングの間近に立つ妹が言ってくる。
横浜DeNAベイスターズ信者の愛がオープン戦中継を大量に録画していた。愛ファミリーは全員ベイスターズの熱烈なるファンであり、その影響で、おれとあすかの兄妹までもベイスターズの青い色に染まりかけている。
今から1試合の録画を観始めれば、観終えた時にちょうど出勤予定時刻間近になる。おれは妹に素直に従い、リビングのソファへと歩き始めた。
× × ×
観始めてから30分ほど経過した時。前のめり気味に液晶テレビに見入るおれに、
「ねえ」
と左隣のあすかが唐突に声を掛けてきて、
「そーいう姿勢のままでいいからさ、『3月の反省会』もやろーよ?」
妹の唐突の申し出に意表を突かれたおれは、
「月末(げつまつ)だからか? 反省するんなら、『的』を絞りたいんだが」
妹はすぐに、
「じゃ、『おねーさんの様子』に的を絞る。おねーさんの『ふたり暮らし彼氏』としての目線で、報告をお願いしたい」
愛に関するレポートってか。
あすかの意思も理解できる。本当の姉のように愛を慕ってるから、こっちでの様子がとても気になるんだろーな。
愛の『ふたり暮らし彼氏』と言われたおれは、姿勢を正す。背筋をきちんと伸ばして、両手を行儀良く膝上(ひざうえ)に置き、
「まずは、怒られちまったコトから。夜、愛がリビングの奥で日記を書いてるのを覗(のぞ)こうとしたら、烈火(れっか)の如(ごと)く怒られた」
「それは最低だね」
すぐさま妹から、『最低だね』が、ズブリ。
「『わたしの日記は絶対に見てこないで』って再三言われてるんでしょ!? なんでバカ兄(あに)は約束守れないの!? 烈火の炎がおねーさんから立ち昇るのがリアルに想像できるよ」
「おまえの言う通りだ」
「まったくっ」
「えーと、次に、良かったなーと思うコトだが……」
「早く教えて」
「ウム。――先日、愛の大学で卒業式が挙行され、あいつの同期たる4年生が、学び舎(や)から巣立った。5年生になってしまうものの、あいつはキャンパスに赴き、親しかった4年生の子たちの卒業を祝ってあげた。……立派なもんだ」
「ホントーに立派だよね。つまづいちゃったから、キャンパスに残されちゃう。あと1年間は独(ひと)りで学ぶコトになるから、絶対に不安だと思うよ。いくら、わたしの尊敬する強い強い『おねーさん』であっても」
「ああ。おまえの言う通りだな。だが、重荷を背負いながらも、あいつは先に巣立っていく同期の子たちにキチンと向き合い、祝福をした」
あすかが、締まりの無い声で、
「お兄ちゃんも知ってるでしょ?? 式が終わった後、式典会場の間近で、おねーさん、侑(ゆう)さんをハグしちゃったって」
「……知っていますが何か」
「他のサークルメンバーに取り囲まれながらのハグだったんだよ。勇気がスゴくない!? 大親友の女子に対してとはいえ」
思わず口ごもるおれ。
ベイスターズの打者が快音を響かせ、打球をスタンド方向に飛ばす。再び前のめりになってしまいながら、おれはテレビ画面を凝視してしまう。
左の脇腹を妹が厳しくつねってくる……。
× × ×
出勤予定時刻が近付いてきたので、おれはソファから立ち上がり、
「さてと。身支度すっかなあ」
しかし、
「待ちなさい、お兄さん」
「へ??」
「お兄さんがマンションを出る前に、妹として、どうしても伝えておきたいメッセージがあるのですが」
「それは……座り直して聴くべきなのかな」
「座らなくても構いませんが」
あすかは、
「わたしが伝えたいコトバはねぇ」
と、元通りの口調になって言い、それから、
「お兄ちゃん、この1年が、大事だよ。おねーさんにとって、だけじゃない。おねーさんを大切に想ってるお兄ちゃんにとっても、おねーさんと等しく、この1年は超大事」
……ふむ。
「160キロの豪速球的なメッセージだったけど、ちゃんと届いた? お兄ちゃん」
「届いたよ」
返事を迷うことなく『届いたよ』と言ってやり、ソファ座(ずわ)りのあすかの眼の前に立ち、
「おまえは、おれよりも、160倍ちゃんとしてるよな」
と言いながら、あすかの頭頂部をナデナデしてやる。
『……160倍とか、テキトー過ぎるんじゃん』
微(かす)かな妹の呟きが聞こえてくる。おれに聞こえないと思ったかもしれないが、呟きを実の兄に隠蔽(いんぺい)できるワケも無く。