【愛の◯◯】お兄ちゃんの左手はオモチャ

 

妹のあすかがおれたちのマンションに泊まる。愛は葉山むつみの家に泊まりに行くから、兄妹(きょうだい)2人きりだ。

 

割りと珍しい日曜出勤を終え、マンションに帰ってきた。

部屋の玄関ドアを開けて出迎えてくれたのは、もちろん、愛ではなくあすかだった。

「おつかれおかえり~~」

あすかの『おつかれおかえり~~』が耳に響き、あすかの満面の笑みが眼に映る。

妹が出迎えるというシチュエーションに微(かす)かな戸惑いを感じたものの、すぐに違和感が消えていき、

「ただいま。」

と挨拶を返してやり、靴を脱いで揃える。

妹に向き直ったら、妹が、

ゴハン作る前におフロ入る? それとも、ゴハン作って食べた後でおフロ入る?」

と訊いてくる。

おれは迷うことなく、

「フロよりもメシが先だ。カレーライスを兄妹合作(きょうだいがっさく)だ」

と答える。

 

× × ×

 

兄はニンジンを切り、妹はジャガイモの皮を剥(む)く。

妹が右横から、

「おねーさんが今夜は居ないから、ショボーンなんじゃないの?」

とか訊いてくる。

おれに顔を寄せるんではなくジャガイモに向き合えっ。

……と思いつつも、兄として、

「あいつの不在をおまえが埋めてくれるから、ショボーンとはなってない」

と答えてやる。

妹は声を発しない。おれはニンジンを切りながら、

『おれのコトバに照れたから、コトバを返せずに、ジャガイモに集中し始めたのかな』

と推理する。

が、妹が声を発しない状態は長く続かず、

「葉山さんにヤキモチ焼いたらダメだよ。お泊まりでおねーさんをキープされてるからって」

という忠告をおれの耳に入れてきた。

おれに再度顔を寄せてくる気配は無いものの、忠告する声の予想外のオトナっぽさが耳に留まり続けるから、妙なキモチになる。

ニンジンを8割がた切り終えたおれは、

「だーれがあんなオンナにヤキモチ焼くかっ」

と定型文のように言い返す。

「お兄ちゃん、葉山さんに対するリスペクトが足りないね」

妹はおれを明るく批判し、

「わたしは葉山さんリスペクトしてるよー。つい先日も、競馬新聞やスポーツ新聞競馬欄の馬柱(うまばしら)の読み方、懇切丁寧に教えてもらったし」

『馬柱』とはJRAの出馬表をカスタマイズしたようなモノであり、あすかはスポーツ新聞社への就職を目指しているので、『もし、採用された後、競馬担当にされちゃったら……』という仮定のもと、葉山に競馬知識を叩き込まれているのである。

 

× × ×

 

「まるで、おれの周りがJRAのコーポレートカラーで染め上げられてるみたいな感じがする」

スプーンを一旦置いておれは言う。

「なにそのワケわかんない比喩!? 食事中に突然キモいコト言い出すとか、ホントに意味不明だよ」

スプーンを放り出して驚きの大声を上げる妹。もう少し落ち着け。

「これだから、兄貴は……!」

『兄貴』呼びで本格的な罵倒モードに入るのもやめようね。

「愛にしたって、お馬さん知識が加速度的にインプットされていってるし。おれも『とばっちり』を食らっちまって、おれが産まれる前どころか母さんが子供の頃の競走馬の名前まで憶えちまった」

「それの何が悪いの? ミスターシービーシンボリルドルフの名前憶えるのは、得にはなっても損にはならないよ」

「こらこら、口だけ動かすんじゃなくて、手も動かせ」

「兄貴こそ」

スプーンを再び手に取った妹は瞬く間に残りのカレーライスを平らげる。

プレーンなのとはひと味違うスパイシーなカレーだったのに、ゆっくり味わってくれなかったから、ちょっぴり残念だ。

早食いの妹は両手のひらでテーブルクロスをぐぐぐぐっ、と押さえつけ始める。

『なんやねん、テーブルクロスが痛がるやろ……』とエセ関西弁でもってココロの中でツッコむおれに、

「早く食べ終わって一緒にリビングに移動しようよ。わたしは『事情聴取』がしたいんだよ」

「『事情聴取』ぅ? 愛との『ふたり暮らし』がちゃんと出来てるかの抜き打ちチェックか」

「だいたいあってる」

「抜き打ちチェックなら、ダイニングテーブルに向かい合ったままでもできるじゃねーか」

「バカ兄貴」

「は!?」

 

× × ×

 

ケーブルテレビの情報チャンネルのライブカメラ液晶テレビには映っている。

「兄貴はもう少し、夕食当番の分量を増やした方がいいんじゃないの?」

ひとしきり『抜き打ちチェック』を終えた妹が、ソファに座(ざ)すおれの左隣から言ってきた。

兄と同じくソファに座す妹に眼を寄せ、

「愛の負担を軽減してやるためにか?」

と訊き返したら、

「そ」

と妹は答え、

「お兄ちゃんの作る料理、美味しいし。今晩のカレーライスだって……お兄ちゃんのチカラで、あんなにクオリティ高くなったんだと思う」

とホメてくれる。

『兄貴』が『お兄ちゃん』に変化した。

距離を詰めてくるカラダの音も聞こえてきた。

とある「予感」。おれはおれの左腕に注意を傾ける。

おれの左手指に、あすかの手指の感触が芽生えてきた。

あすかは右手指でおれの左手を触り始めているのだ。

触り始めてからしばらくは、触り方を迷っているような手つきが伝わってきていた。やがて、おれの左手指の付け根で指動かしを停(と)めたかと思えば、迷うのをやめたのか、一気に左手全体をくすぐってきた。

「おれの左手は、おまえのオモチャじゃないぞー」

叱る気など全く無い声でそう言うと、

「オモチャだよ、認めてよ、受け入れてよ、許してよ。お兄ちゃんの左手で遊びたい気分なのっ」

と、照れを隠しているようで隠せていない声でお返事してきて、

「わかってよ。お兄ちゃんなら、わかるでしょっ」

と、自分の右肩をおれの左肩に限りなく近付けてくるのだった。