【愛の◯◯】焼くお魚までも知っている母!?

 

1人でアツマくんの帰宅を待つつもりだったのに、今日になって母が突然電話してきて、母娘(おやこ)でアツマくんを待つ羽目になってしまった。

ほとんど「アポ無し訪問」同然じゃないの。これだからお母さんは……!

 

日本全国夕暮れ時になりかかっている時間帯。ダイニングテーブルで母と対峙(たいじ)しているわたしは、ホットかつブラックなコーヒーをできるだけ静かに啜(すす)るのだが、

「不機嫌な顔になりながら飲むコーヒーって、美味しくないんじゃないの?」

と母に問い掛けられて、専用マグカップを強めに置いてしまう。

静かに飲んでいたのに、音を立ててカップを置いてしまった。わたしのせいじゃない。

それから、

「わたしがそんなに不機嫌に見えた? 思い違いよ、お母さんの」

と反発。

けれども、

「不機嫌ってレベルじゃないにしても、『せっかく1人でアツマくんを待つつもりだったのに、完全に水を差された』ってキモチは否定できないんじゃないの?」

と微笑(わら)いながら言われたから、つらくなる。

「ごめんねえ♫」

語尾に音符マークが付くのが確実な声音(こわね)で母が言う。謝るキモチが少しも感じられないから、不機嫌ゾーンに入ってしまいそうになる。……母の手のひらで踊らされているみたいで、なんかイヤだ。

「本棚見るわよ」

母がそう言って席を立つ。

「本棚『見るわよ』」って言い回しは宜(よろ)しくないって思うんですけど。せめて『見せて』って言ってよ。『見るわよ』よりも控えめな表現があるでしょ? 娘を不愉快にさせるのがそんなに面白いの!?

何を言い出すか分からないので、本棚の前に立った母の一挙一動(いっきょいちどう)に注意を注(そそ)ぎ込む。

エマニュエル・レヴィナス関連の本がずいぶんあるわねえ」

母はそうコメントして、

レヴィナスの『全体性と無限』の横にフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』が並べられてるのは、何か意図があるの?」

と問う。

「べつに? 特別な意図なんて無いわ。フィーリングよ、言わば」

母を凝視しながら答えるけど、

「あなたってレヴィナスこんなに好きだったっけ? フッサールにしたって、『そこまで』ではないってイメージだったんだけど」

と、好き放題になり始めた母は、

「哲学だと、あなたが昔から愛読してたのはプラトンの『饗宴(きょうえん)』で」

と言ってから、無断でベルクソンの『思想と動くもの』を棚から抜き出して、

ベルクソンにも、ずいぶん執着してるイメージがあって」

イメージイメージってっ。

お母さんはこの場で何回『イメージ』ってコトバを連発する気なの!?

「あなたがいちばん好きなベルクソンの著書は、『創造的進化』。――そうだったわよね」

どーして知ってるのっ。憶えてるのっ。

「不意を打たれた時の眼つきになってるわねぇ~」

挑発的発言を食らった瞬間にわたしは立ち上がってしまった。

そして、本棚を目がけて何歩か踏み出してしまう。

もちろん、右手はキツく握り締めている。

「最近は、ベルクソンには、こだわり過ぎてないわよっ」

挑発的な母に立ち向かうわたし、だったが、

「じゃあ、誰にこだわってるの?」

と問われてしまう。

ほんの少し迷った後で、床に目線を下げ気味に、

「……イマヌエル・カント。カントっていう哲学者にこだわってると言うよりも、『判断力批判』っていう著作にこだわってると言う方が正確かもしれないけど」

「ふーーーん」

聞き心地の良くない声を出して、母は、

「愛」

と、娘たるわたしの名前をなぜか呼んで、

「あなたもすっかり、『哲学ガール』が身について来たわねえ」

首から上が俄(にわか)に発熱し始めたわたしは、

「お母さん!! 気持ち悪いコト言わないでよっ!!」

と叫んでしまい、

「わたしが哲学を何年専攻してると思ってるの!?」

とさらに叫んでしまう。

「4年」

サラリと答える母。

「で、4年で卒業できなくなったから、少なくとも5年は、専攻するコトになる」

とっても余計なコトを付け加えた母に、

「『少なくとも』なんてヒドい副詞を付けるのはやめて。ゼッタイに来年度で卒業するんだからっ。……イヤでしょう? 家計から余計なお金を大学に出し続けるのは」

と、左手までも握り締めつつ、上半身の熱を冷ませないまま、強い口調で言う。

そしてそれから、母と渡り合い続けるのがムリになって、ズカズカとキッチンに赴いて、調理器具を調理台に出し始める。

「まったくもーっ。いきなり『はんこーき』になっちゃうんだからぁ」

耳を貸すつもりも無いわたしに向かい、

「怒りん坊になりながら夕ごはん作ったら、美味しくできなくなっちゃうわよ? 仕事帰りのアツマくんの舌と胃袋を満足させてあげなきゃ――」

「余計なお世話」

ピシャリとわたしは言ったのに、

「焼かせてよ、世話」

「い、いいかげんにして」

「世話を焼かせてくれないのなら、お魚を焼くお手伝いでもしてあげようかしら?」

「どどどーして分かったのっ、お魚焼くって」

「母親だから」

「その答えは……ズルい……」

「焼くお魚の名前だって分かるのよ」

「うそでしょ!?」

「ホントよ」

冷蔵庫に近付くのが怖くなってきたわたしに、

「娘の表情を見れば、焦り具合が読み取れる。焦り具合が読み取れたら、どんなお魚を焼くのかも割り出せる」

と、さらなる恐ろしい発言を……!!

「そーゆーものなのよ。そーゆーふうに、できてるの」

朗らかに笑う母が、とっても不可解で、コトバにならないぐらい恐ろしい。

『自分の役目を放棄して、調理を全部お母さんに任せてしまいたい』と思うぐらい、わたしはどうしようも無くなってきていて……!!