4月から再び社会人なのである。ダラダラできる期間もあと僅(わず)かなのである。貴重な期間を有意義に楽しみたいものだ。
このお邸(うち)で2番目に広いリビングに来ている。日曜日の午前10時半を少し過ぎたところ。ソファに腰掛け、まさしく羽根を伸ばすようにして両手を拡げつつ背伸びをする。
手前の大きなテーブル上には集めた『資料』。背伸びから猫背気味になり、『資料』の画像にジックリと眼を通していく。
身長180センチ近くの背が高くて力強いカラダの男の子が、向かい側のソファ付近を通りかかった。
「アツマくんじゃん!! ちょっとこっち来てよ」
誘う私。誘われるアツマくん。
「あの、おれ、これからトレーニングを……」
「筋力トレーニング?」
「ハイ、筋トレがしたくて」
「筋トレは午後になってもできるでしょ」
当惑したご様子の表情のアツマくん。
「このお邸(うち)に『プチ帰省』してるアツマくんは貴重だしぃ~~」
わざとワガママな声を出す。27歳らしからぬワガママぶりを24歳の彼に見せつけるが如(ごと)き流れになっていく。
その流れを作り出す張本人の私は、
「テーブルに並べた画像が眼に入らぬかっ」
と言って彼の視線を卓上(たくじょう)に向かわせようとする。
如何(いか)にも警戒しているみたいな風情(ふぜい)で、卓上の『資料』に彼は微妙過ぎる目線を寄せる。
「何処(どこ)の画像だと思う? 答えてくれないと解放しないよ」
パワーのこもったコトバで彼を縛り付ける私に、
「知らない場所の知らない建物の画像ですが……『西日本研究会』の梢(こずえ)さんですから、もしかしたら九州地方に在(あ)る観光スポットなのかなぁ、と思ったり」
と答えてくれるアツマくん。
私のテンションが2段階上昇し、
「ビンゴぉ~~!!」
と叫んで、それから、
「そうだよ九州地方だよ。具体的には、福岡県北九州市門司(もじ)区。『門司港レトロ』って観光スポットなの。JR門司港駅周辺に歴史的な建造物がいっぱい残ってるの」
と説明する。
それからそれから、
「私の近くのソファに座って、もっと間近で画像を見てよ」
と促す、のだが、
「梢さんに拘束されると、昼飯が食べられなくなりそうだし、筋トレもできなくなりそうだし……」
と、彼から、控え目ではあるけど、薄情な反発が。
ジトジトジトーーッと彼を見上げて凝視する私は、
「食事や筋トレがそんなに大事なの?」
と反発に対して反撃する。
彼は、
「しょ、食事は、大事でしょっ。筋トレにしたって……愛と住んでるマンションとは比較にならないほど、邸(ここ)はトレーニング器具が充実してますし」
愛ちゃんの名前が出てきた。アツマくんのカノジョ。
『ふたり暮らし』は3年目に突入する寸前だ。
「なるほど」
最高にわざとらしく何度か頷(うなず)いた後で、私は、
「邸(ここ)で鍛えたカラダを、マンションで待ち受ける愛ちゃんに見せたいんだね。確かに、鍛えるオトコはカッコいいよねえ」
狼狽(うろた)え確率100%のアツマくんの口が半開きになる。アツマくんは私と逆方向に顔を向けてしまう。
「なに?? きみ、もしやデレてんの」
答えを返さない彼に、
「カラダよりも、私のコトバですぐにデレちゃうメンタル面の方を鍛えた方がよくない!?」
と追い討(う)ちをかける。
× × ×
「アツマくんは結局、私のソファに近寄ってくれないまま、マンションに帰っていっちゃって」
「あの子は、年上の女の子の前になると、自分を出し切れなくなっちゃうのよ。だから、梢ちゃんにも過度に遠慮しちゃったりするの」
アツマくんのお母さんたる明日美子さんが語る。
「これまでにそんな事例がたくさんあったわ。自分のカノジョや自分の妹だったら、年下だから、比較的ちゃんと向き合えるんだけどね。『オトナのおねえさん』に弱過ぎるのよね」
日曜日が終わろうとしている。夕ご飯はとっくに食べ終えている。午前中のアツマくんとの『一件』と同じリビングで、眼の前には日本酒の瓶。明日美子さんは私の右サイドに少し間隔をとって座っている。私と明日美子さんのふたりだけの晩酌(ばんしゃく)だ。
ところで日本酒の銘柄は『獺祭(だっさい)』である。ご存知の方も多いコトだろう、山口県岩国市の旭酒造(あさひしゅぞう)が作っている国際的に知名度の高い純米大吟醸酒だ。ちなみに旭酒造はあと3ヶ月ほどしたら社名を『獺祭』に変更するとか。
山口県岩国市のコトなら誰にも負けないぐらい頭に入っている。地理・歴史・政治・経済・メディア・交通・学校・観光地・出身有名人……。『西日本研究会』に入(い)りびたり続けたこの4年間で、岩国市情報はカンペキに私の中に浸透していた。
『地元民でも無いクセに』というツッコミは一切気にしない。山口県岩国市が世界に誇る純米大吟醸酒を飲むのだから楽しさしか無い。
くいーっ、と飲んで味わって、それから明日美子さんに顔を傾けて、
「流(ながる)くんはなんで付き合ってくれなかったんですかね。夕ご飯の直後から自分の部屋に引きこもりっ放(ぱな)しじゃーないですか」
「わたしとあなたのふたりだけの『女子飲み』を演出してくれたのよ」
「演出?」
「そう。演出。自分が出ていかないコトで、わたしとあなただけでマッタリとお酒を酌(く)み交(か)わせる場を作ってくれたのよ」
そっかあー。
やるなあー、彼も。
感謝しなきゃ、なのだが、
「カレンちゃんとのデート、どうだったんでしょうね?」
と、彼の恋人たるカレンちゃんとの様相が気になって仕方が無いから、そんなコトバを発してしまう。
「あらぁ、詮索(せんさく)?」
アルコールに激強(げきつよ)な明日美子さんは、少しも赤に染まっていないお顔でニコニコと笑いながら、私に訊き返してくる。
……明日美子さんの方から徐々に間隔を詰めてきていたのが、ちょっぴり気になった。
ほぼ飲み切ったグラスを置いた私は、声に真面目さを混ぜ込んで、
「だって、もっと『進展』してほしいですし。カレンちゃんがJKの頃からの『おつきあい』みたいだし……『進展』が無くっちゃ、『間延び』するみたいになっちゃう。どうですか、明日美子さん? あのカップルの行く末のコトとかについて、どう思われますか?」
グラスに『獺祭』を注(そそ)ぎ足(た)さずに、明日美子さんからのお返事を待った。
でも、お返事がすぐやって来るコトも無く、間(ま)ができてしまう。
不穏……!?
マズいことを言っちゃってたんだろうか、私!? 私のコトバが不用意なコトバだって、明日美子さん、そう受け取ってたりしてる!?
お邸(やしき)の私たちに明日美子さんは全く怒らない。みんな、叱られるのを全く経験していない。
そうであるがゆえに、今みたいな不穏めいた間(ま)があったりすると、巨大な恐ろしさを肌に感じたりしてしまう。
今ここで明日美子さんに叱られちゃったりしたら、ショックで『獺祭』どころでは無くなって、眼の前が真っ暗になっちゃいそう……。そう思って、自(おの)ずから身が縮こまった。
しかしながら。
明日美子さんは、『お叱り』を発する代わりに、どんどん私のカラダに寄ってきて、とうとう肩を肩にくっつけさせてきた。
柔らかい感触のはずなのに、上手く感じ取れない。
「梢ちゃあーん」
甘く優しい声が私の耳の中に入り込む。
「わたしね? 流くんとカレンちゃんのカンケイ以上にね? とーっても気になってるコトがあるのよぉ」
甘く優しい明日美子さんの疑問に、私の背筋は震え上がる。
「流くんがカレンちゃんとつきあってるのなら、梢ちゃんは……どうなのぉ??」
簡潔な問い。
でも、この問いは……豪速球のストレートみたいになって、私の弱いトコロに直撃してくる。