【愛の◯◯】勝ったと思ったら負けてしまった朝

 

夜明けの少し前から『PADDLE(パドル)』のバックナンバーに眼を通している。結崎純二(ゆいざき じゅんじ)さんと共に大学で作っている雑誌。とあるコネクションのお陰で都内の書店に置かせてもらったりしているのだが、「とあるコネクション」の詳細は文字数その他の都合で省略する。

「2025年度には、流石(さすが)に結崎さんも卒業するよね……。彼が7年生になってわたしが4年生になるから、同時に卒業するコトになるのか」

机の上に高く積まれた『PADDLE』に向かって呟き、一番上のバックナンバーを手に取る。昨年の2月に発行した号である。

ページをぺらぺらとめくり、わたしが執筆を担当した特集記事の所で手を止める。テーマが「雪」の記事だった。見開(みひら)きのど真ん中にドーン、と雪山の画像。本文では、「風花(かざはな)」だとか「しずり雪」だとか「雪」にまつわるいろんなコトバを紹介したり、中谷宇吉郎(なかや うきちろう)の文章を引用してわたしなりの解釈を述べたりしている。

――うん、我(われ)ながら良く書けてる。1年前に書いたモノだけど、上出来。

自己満足になっているのも否めない。だけど、1年間置いた後で読み返しても『良く書けてる』と思えるってコトは、本当に良(い)い文章である証(あかし)なんだと思う。

社会人になったら、この文章力を活かしたい。わたしの文章を書くチカラが活かせるような企業に、わたしは既にエントリーをしている。

自己満足から離れ、今度は結崎さんが書いた『令和になってからの電撃文庫 気になる3つのトピック』なる記事に眼を凝らしていく。本文の3行目でいきなり致命的な誤字を発見したから吹き出しそうになってしまう。

小鳥の鳴き声が響き始めていた。閉じていたカーテンの隙間(すきま)からは陽(ひ)の光がこぼれ出ていた。

 

× × ×

 

自己満足も結崎さんの「粗探(あらさが)し」もやめて、階下(した)のダイニング・キッチンに直行した。

朝食当番だった。巨大冷蔵庫の野菜室からキャベツを取り出し、入念に洗った後でまな板(いた)に載(の)っけて、必要な量を包丁で切っていく。

おねーさんの包丁さばきを長年見てきていたし、おねーさんからはキャベツの上手な切り方を何度も教わっていた。さらに、南浦和のカフェレストランでのアルバイトという「経験」が加わった。キャベツをリズミカルに切るスキルが相当磨かれたのである。超余裕でキャベツを刻めるようになった。高校生になりたての頃は野菜をなかなか綺麗に切れなかったのに、今では多くの野菜を迅速に精確に処理できるようになっている。

キャベツの他にも数種類の野菜を茹で始める。卵焼き専用のフライパンを用意し、大きめのボウルも用意し、巨大冷蔵庫から卵を調達する。幾つかの調味料をボウルの横に置く。

利比古(としひこ)くんの分の卵焼きから作ってあげることにする。彼は甘い卵焼きが好みだから、砂糖が必要になる。

卵を割るためにボウルの縁(ふち)に卵をぶつけようとした時に誰かの足音が背後から聞こえてきた。

長年の経験と勘(カン)によって、誰がやって来たのか瞬時に察知した。

 

× × ×

 

「パンは自分で焼いてね」

利比古くんにそう告げる。

「わかりました」

分かってくれた利比古くんは緩い足取りで食パンとトースターのある場所へ向かう。

食パンとトースターに向かう途中でわたしの方をチラリと見てきた。

「なーにかなっ」

可愛(かわい)がるような声で言ってから、わたしは腕を組み始め、

「Tシャツ1枚と短パンの格好の上にエプロンなのが、そんなにキワドかった?」

と、可愛(かわい)がりを重ねていく。

「朝っぱらからワケの分からないコト言わないでくださいよ」

反発の利比古くんは食パンの入った袋を右手で持ち上げ、

「これだから、朝食当番の時のあすかさんは……」

腕組みを持続させるわたしは、

「わたしの朝食当番に拒否反応!? 勇気あるねぇ」

と再度の可愛がりボイスを発する。

それから、

「わたしが利比古くんに朝ごはん作ってあげなくなったら、甘ーい卵焼きがもう食べられなくなっちゃうゾー」

と、食パンをトースターにセットしようとしている彼に、からかいのキモチを120%込めたコトバを浴びせる。

彼はトースターを凝視しながら、

「卵焼きなら、自分でも作れますし」

わたしはすかさず、

「そのリクツはおかしいっ!!」

と、面白がりながらコトバを浴びせ、

「わたしと同居してる年下の男の子が甘くて美味しい卵焼きが作れるワケが無い」

と、ニヤけていくのを抑え切れなくなりながら、「からかい150%」のコトバで彼を叩きのめそうとする。

食パンが焼けたのをトースターの音が知らせた。

トーストをトースターから取り出した直後、利比古くんが不満げな顔つきでわたしを見てきて、

「どうしてライトノベルの無駄に長い作品タイトルみたいな言い回しでぼくを罵倒してくるんですかっ」

わたしは素早く、

「『無駄』には長くない。『罵倒』もしてない」

と言い、笑い出したくなる寸前の状態になりながらも、

「わたしに反抗してるヒマは無いと思うよ? せっかくわたしが作ってあげた甘ーい卵焼き、冷めちゃうじゃん。冷めない内に卵焼き食べてくれないと、わたし悲しくなっちゃうなーっ」

と、朝食のおかずのお皿に彼を向かわせようとする。

楽しい楽しい。愉快な気分の充満した話し方で彼を朝食の席へと誘導させる……これよりも楽しい行為は、世の中にはなかなか無い。

わたしに打ち負かされて、自分のお皿の前に着席してくれる。そんな確信を持ちながら、目線が下降しつつある利比古くんにわたしの視線をビーーッと伸ばしていた。

しかし、いったん下降したと思った利比古くんの目線が、徐々にではあるが着実に上昇を始めた。

そして予想外なことに、自分のお皿の前に行こうとせずに、わたしの立っている方角へと一歩(いっぽ)前進してきた。

キッチンの窓から注(そそ)がれる朝の陽光(ようこう)が利比古くんの髪のきらめきを際立たせた。

偶然の事象。……でも、元から、実の姉であるおねーさん譲りの栗色の髪色は鮮やかだったし、朝の陽光のせいで鮮やかさが倍増しになっていたから、わたしは、眼を全て奪われ、ココロを半分ぐらい奪われてしまう。

利比古くんがさらに前進してくる。距離を縮められたが故(ゆえ)に、わたしの腕組みがほどける。

「どうしたの、どうしちゃったの……。ゴハンがぜんぶ、冷めちゃうよ」

弱々しい言い方、芯の通っていない言い方。瞬く間に劣勢になり、さっきまでの満々(まんまん)な自信を喪(うしな)って、彼から後(あと)ずさる。

後ずさったのに、少しの夾雑物(きょうざつぶつ)も無い透き通った肌と、綺麗過ぎるぐらい整っていてしかも柔らかな優しさのようなモノが含まれている眼に、わたしは縛り付けられていた。

利比古くんに敗れるのが濃厚になってしまった。

ゴハンがぜんぶ冷める冷めないの問題では……無くなってきてしまった。