【愛の◯◯】初期スピッツのアルバムと彼に対するわたしの『意識』

 

「……そっか。酔い過ぎてしまった勢いでわたしの兄貴を『あっくん』って呼んでしまったから、一晩明けた今朝はとっても恥ずかしかったんですね」

『わたしの回想の要約ありがとう、あすかちゃん』

「どういたしまして」

夕暮れの時間帯。リビングのソファでわたしはおねーさんと通話している。おねーさんは昨晩のコトを説明したのだが、恥ずかしさからか説明を上手くまとめられていなかったので、わたしが『要約』してあげたワケだ。

『あすかちゃんがこれだけ賢いのなら――』

おねーさんからの声。なんだろう。どんなコト言ってくるのかな……と少し身構えた途端に、

『――利比古の暮らしぶりも、上手に説明してくれるわよね?』

と言われちゃったから、動揺が大きくて、体温の上昇を抑えられなくなる。

「お、お、おねーさんっ!!」

『なーに、どーしたの』

「わたし、としひこくんのコト、じょーずにせつめいできるじしん、ないっ」

『どーして?』

カラダが熱くなっちゃったから、なんだけど、そんなコトを利比古くんの実のお姉さんに伝えられるワケも無く。

 

× × ×

 

利比古くんのコトに誰かに言及されると、カラダが熱くなる。

つまり、『条件反射』なワケだが、この『条件反射』が最近では制御できなくなってしまっているのである。

意識が変わったからだ。

意識、とは??

……利比古くんに対する、意識。

わたしは、この『意識』に、名前を、付けたくない。誰が何と言おうと、付けたくない。

 

利比古くんのお姉さんであるおねーさんとの通話を終えたわたしは、クールダウン目的で場所移動をしようとした。

邸(いえ)が広いから、リビングが幾つも存在する。さっきまで通話をしていたリビングを『リビングA』とするのなら、わたしが移動しようとしているのは『リビングB』だ。もっとも、リビングAだとかBだとか、そういう概念は邸(ここ)では全く定着していないのだが。

『リビングB(仮)』に来た。U字型に配置されたソファに腰掛けようとした。

しかし、ソファの手前のテーブルに、

『名前をつけてやる』

という題名のスピッツの初期アルバムが置かれていて、わたしにとっては最高に都合の悪いアルバムタイトルだったから、その場に立ったまま愕然としてしまう。

『名前をつけてやる』だなんて。

わたし、わたしの『意識』に、これっぽちも名前を付けたくなんか無いのにっ!!

そして……ここで、とてつもなく都合の悪い足音。

長年一緒に暮らしているから、足音で『誰なのか』が認識できてしまう。そんな辛い現実がある。

 

× × ×

 

スピッツの『名前をつけてやる』をテーブルに置いたのは、利比古くんだった。

「言ってたよね、『開放弦』の編集部でバイトするって」

真向かいの利比古くんに対して視線を少し下げ気味にして、ソファ座(ずわ)りのわたしは言う。

「ハイ。スピッツのアルバムは言わば『資料』です」

朗らかに答える利比古くんは、さらに、

「『開放弦』は、音楽雑誌。主にJ-POPやJ-ROCKを扱っていて、架空2万字インタビューや編集者同士の対話形式記事が名物企画。そして、J-POPやJ-ROCKが主軸ではあるんですが、海外の音楽シーンも巻末コーナーなどで毎号網羅していて……」

「あからさまな説明ゼリフ、ありがとう」

「あっハイ」

『あっハイ』じゃないよっ。

まったくっ。

「語学力を買われてバイトに採用されたんでしょ? 洋楽も網羅してるから、海外からの文献を翻訳するための『戦力』」

そう言ってから、わたしは一瞬、間を置いて、

「それなのに、スピッツの『名前をつけてやる』が資料なのは、なんで?? 海外からの文献、とっくに利比古くんの手元に来てるんでしょ??」

すると彼は、少し苦笑混じりの微笑で、

「やだなあ、あすかさん。海外文献読みオンリーじゃダメなんですよ。『開放弦』という雑誌のコンセプトを考えるならば、邦楽のお勉強をするのもやっぱり必要になってくるんです。――『名前をつけてやる』は明日美子さんから借りました。彼女が10代の時にリアルタイムで聴いてたらしくって」

「……知ってるよ、売れる前のスピッツ、お母さんはリアルタイムガチ勢(ぜい)だったって。何回も聞かされてる」

『それはそうとして、わざわざ見せびらかすようにしてリビングのテーブルに置かなくたって良いでしょ』と続けて言いたくなった。でも、踏みとどまった、思いとどまった。

言うのは我慢できたけど、利比古くんの喋り方が何だか嫌らしくて、胸の辺りにザラザラした感触が産まれてきていた。

胸が苦しくなりかけていたし、イラつきもあったから薄い頭痛も感じていた。

胸の苦しさや薄い頭痛と因果関係がどのくらいあるのかは分からないけど……下向きだったわたしの視線は上昇を始めていた。

利比古くんの顔全体が視界に入った。

小顔で、整っていて、彼のお姉さんほどではないけど栗色の混じっている髪がアクセント。

眼と眼が合う。

――というより、わたしの眼が彼の眼に吸い寄せられちゃったっていう方が、たぶん正確。

もちろんのコト……ますます、わたしはわたしの『意識』に『名前を付けたくなくなっていく』。