【愛の◯◯】ケーハクの、反対で

 

オンちゃんがノートPCで記事を書いている。リズミカルにキーを押す。高校生にしては滑らかなタイピング。画面を見つめる眼は真剣そのものだ。

窓の外をひたすら見続けていたオンちゃんはもう居ない。立ち直ってる。よしよし、とっても良いことだ。部長として、とっても安心。

温(あたた)かなキモチでオンちゃんを観ていたら、

『本宮(もとみや)部長は受験勉強しなくていいんですか? 参考書とか活動教室に持ち込んでるのを見たこと無いんですけども』

という質問が飛んでくる。

質問の主(ぬし)は1年生のノジマくん。わたしはノジマくんに顔を向けてあげる。わたしを凝視しているノジマくんが居た。彼は160センチ台だからわたしより小柄だ。そして椅子に腰掛けているから一層小さく見えちゃう。

2学年上かつ身長で上回っている余裕でもって、

「このお部屋で部活動やってる時は受験勉強しないよ」

と答えてあげる。

ノジマくんは、

「じゃあ、いったいいつどこで受験勉強を?」

と食い下がる。

「普通に自宅で」

すぐに答えるわたし。本当のことしか言っていない。

「部長は、『長い時間勉強したからって高得点に結び付くとは限らないよ派』なんですか」

なおも食い下がるノジマくん。

それってどういう派閥? と不思議な気分になっていたら、

ノジマが本宮部長の受験にこだわる必要ないだろ」

と、野太い声。

野太い声の主はノジマくんと同じく1年のタダカワくんであった。わたしより背が大きくて、声変わりも終わり切っている。

タダカワくんはいつの間にかわたしの近くに寄ってきていた。机に腰を預けるようにして立っていたわたし。タダカワくんも立っている。彼の立ち位置はわたしの左横。わたしと違って何かに寄り掛かったりしていないから、見下ろされているみたいな感じ。1年生に背丈で負けてちょっぴり悔しい。

「……こだわるさ。部活の先輩の受験を気にして何が悪いのさ」

ノジマくんがタダカワくんに対して言う。不服そうだ。

わたしはノジマくんの心配りが素直に嬉しいんだけど、

「おれは1年だし、大学受験のイロハも知らない。ノジマだってそうだろ? 口が滑って身勝手なことを言ったらマズいじゃないか」

とタダカワくんは応戦してしまうのである。

ノジマくんがさらにムッとした顔になってしまう。

ここで、

「ケンカは良くないよ。ノジマくんもタダカワくんも、ケンカするんじゃなくて取材をしようよ」

と、わたしよりも先にオンちゃんがたしなめる。記事のタイピングもひと段落ついたらしい。

ノジマくんの顔に恥ずかしさが兆す。タダカワくんもバツが悪そうにほっぺたを人差し指で掻く。

「オンちゃんの言う通りだゾ〜、ふたりとも」

両方の腰に手を当てて、わたしは余裕。

オンちゃんも元気に微笑んでいる。

 

× × ×

 

徐々に下級生に権限をシフトさせていた。2学期になってから、主軸を下級生に移すための努力をしていたんである。

11月末なんて、文化部であっても普通ならばとっくに引退している時期。2年のオンちゃんや1年のノジマ・タダカワコンビを主力にさせない方がおかしい。

幸い、下級生3人はわたしの期待に応えてくれて、熱心な活動ぶりを見せてくれている。わたしの助けが無くても校内スポーツ新聞を幾らでも作れそうだ。

ならば後は、わたくし本宮なつきが部長の座を下りるだけ……なのだが、もうちょっとだけ部長として粘りたいキモチがあった。

粘りたい理由。いろいろなんだけど、敢えて誰にも明かさず、胸の奥に封じ込めている。

ただ、部長の座を明け渡す『タイミング』は、わたしの中で既に確定していた。

 

駐輪場の間近まで来た。帰りの電車の駅へ向かうための近道。活動のことは後輩部員3人に任せて、ひと足先に下校するのである。

駐輪場の脇を抜けようとすると、5メートルぐらい前に見知った男子生徒が立っていた。

木内伊織(きうち いおり)くん。同級生。軽薄(ケーハク)と言ったら失礼かもだけど、カノジョを作ったり手放したりを繰り返している男子。もちろん、手放す側であるだけでなく手放される側でもある。ケーハクであるがゆえに……というトコロ。

この近くは木内くんのテリトリーらしいから、下校時に遭遇するのはある程度覚悟していた。

落ち着いてわたしは、

「木内くんも、帰り?」

と訊きつつ、距離を詰めてあげる。

「そーだけど。本宮はもしかしたら、部活に行ってたんか?」

「うん」と言って頷くわたし。

「居座ってる感じだな。12月になる直前なのに部活に行き続けて。卒業までに引退する気が無いんじゃねーのか?」

彼をまっすぐ見据え、

「ある。」

と答えてあげるわたし。

それから、

「あるよ、引退する気は。そこはキチンとするつもり。いろいろと弁(わきま)えてるんだから」

と、動じることなく言う。

「弁えてる、か」

呟くように言った後で、木内くんは、

「なら、いったいどのタイミングで、部長職を貝沢(かいざわ)さんに引き継ぐってゆーの」

『貝沢』はオンちゃんの苗字。

「知りたい? どうしても」とわたしは迫る。

「できるなら」と木内くんは答える。

「あんまり言いふらされたりしたくないんだけど、まあいいや。あのね、2学期が終わったら、オンちゃんが自動的に部長になる」

木内くんに明かすわたし。

「それは貝沢さんには知らせてんの?」

疑問符の木内くん。

「明確には伝えてないけど、オンちゃんは察してくれてるはずだよ」

「へぇ」

彼は、割りと真面目な顔付きになって、

「立ち直ってるんか? 彼女は」

2学期になってから、オンちゃんは、ココロが掻き乱されたり、空回ったり、打ちのめされたり、とにかくツラいことの連続だったのである。木内くんが『立ち直ってるんか?』と訊いたのは、そういう様子をある程度把握しているからだ。

「うん、立ち直ってるよ。今はもう、大丈夫」

「……そうか」

真面目な色の濃い声で、木内くんは、

「春園保(はるぞの たもつ)が、反省してたよ、この前」

「律儀というか、なんというかだね。オンちゃんを振っちゃったことで、未だに良心を痛めてるのかな。受験勉強とかに響かないといいんだけど」

そう言ってから、木内くんに向かう眼つきをジットリとさせて、

「木内くんとは対照的な誠実さだよねえ、それにしても」

わたしのコトバに、間近の彼が口を結ぶ。いささか不機嫌そう。

痛いところを突かれたから機嫌を損ねたのか。そうでないなら、不誠実だという指摘を認められないのか。

彼は口を結び続ける。

なかなかコトバを返してくれない。沈黙を続けているから、わたしの中に違和感が芽生えてきてしまう。

どうしちゃったんだろう? どうしてウンともスンとも言わないんだろう、言ってくれないんだろう?

今の彼の表情に重々しさすら感じ取ってしまう。軽薄男子なはずなのに。なんだかいつもと違う、いや、『なんだか』じゃない、『明確に』いつもと違う。

そんな珍しい態度……見せつけられると、テンパっちゃいそうになるよ、わたし。

慌てつつも、

「ね、ねー、どうしたのかなあ。なにか言ってほしいよ、わたし……」

と促す。

すると。

いったん眼をつぶったかと思えば、スッと眼を見開き、

「本宮。ちょっとこの後、いいか?」

「……えっ!? どーゆう意味、なの!?」

「おれについてきてくれないだろうか」

急速に動揺し始めてしまっているから、

「ついてきてくれ、って……。わたしを、どこに、連れて行くつもりで……」

と問う声が、ぶるぶる震える。

「そう遠くまでは行かないから」

「ぐ……具体的には? 場所、教えてくれないと、わたし、ついていきたくないよ」

それに、

「りっ、理由も、教えてほしい。『場所』と『理由』を教えてくれないことには」

テンパりまくるわたし。

動じない木内くん。

……動じない木内くんは真剣さを表情にみなぎらせて、

「わかったよ。教える。『チャラ男(お)』の汚名も、返上したいしな」