【愛の◯◯】幼なじみが先生で……

 

明智先生は快く引き受けてくれた。安心すると共に、

「ありがとうございます」

と言って、頭を下げる。

「タカムラさん、1年生とは思えないほど頑張ってるよね。なんとしても『KHK紅白歌合戦』を成功させたいんだね」

明智先生が言う。

「成功させたいです。だから、いろんな所を走り回ってます」

わたしは答える。

「2年前の『第1回』の時も総合司会したんだけどさ」

先生は、

「わたし昔からMC的な役をするのが好きで。観客を盛り上がらせるのが得意って自覚していて」

と言って、机の上で両手の指を組み、嬉しそうに微笑んだ。

総合司会を担当するというのがよっぽど嬉しいんだろう。

こうして見ると明智先生はやっぱり美人だ。微笑み顔のくちびるの艷(つや)やかさにわたしの眼は行く。先生はもちろん口紅をつけている。高校1年生のわたしとは段違いの大人のメイク。大人であるからこそ、社会人であるからこその隙の無い容姿。

「紅組白組のキャプテンはもう決まってるの?」

訊かれて我に返る。

「ほぼ決まってます。明後日の金曜日に発表する予定です」

わたしは答える。

「抜かりないね」と先生。

「開催まで1か月切ってますし」とわたし。

 

× × ×

 

今日は、トヨサキくん&守沢先生(顧問)と3人で話し合う予定だった。何を話し合うのかというと、紅組白組キャプテンの役目について。イベントの進行をどこまで両者に委ねるかとか、そういったことを詰めていく。

できるだけ早く旧校舎の【第2放送室】に行きたかった。職員室を出てから、廊下を小走りで歩き始めていた。

今は、職員室などのある本校舎の出口近くまで来ている。明智先生が総合司会を引き受けてくれたから、ココロもカラダも軽くなっていた。だから、走り出して旧校舎まで向かって行きたくなっていた。

廊下を走るのが良くないのは分かっている。だけど、見咎める先生も来る気配無いし……。

今にもわたしは走り出しそうになっていた。

だけど。

走り出す寸前になって、背中に『気配』を感じてしまった。

誰かがわたしの背後に迫っている。迂闊だった。前しか見えていなかった。後ろから誰かがやって来る可能性を考慮できていなかった。

『気配』はさらに背中に近付いてきていた。

『もしかしたら……』

ココロとカラダが寒気(さむけ)を帯びる中、わたしにはある『予感』が芽生えていた。その『予感』はわたしにとって都合の悪い予感だった。

キュッ、という音がした。わたしの後ろで立ち止まった人が居る。

慣れ親しんだ『気配』をわたしは濃厚に感じていた。

恐る恐る後ろを向いていく。

とても若い男性教師が立っていた。

わたしは、わたしの正面に立つ若い男性教師のことを、ずっと前から知っていた。わたしがヨチヨチ歩きの頃から知っていた。

「やあ」

馴染んだ顔で、彼は短く挨拶する。

彼の方から声を掛けられて、ココロもカラダもどんどん縮こまっていってしまったわたしは、情けなくも斜め下向きの目線で、

「菱田(ひしだ)先生、こんにちは」

と挨拶を返した。

校内で出会った時は、「菱田先生」と呼ぶ。それが、自分で作ったルールだった。あまり馴れ馴れしくすると、いろんな点で不都合が起きると思って。

彼の方でも、「菱田先生」と呼ばざるを得ないわたしの事情を理解してくれているはずだった。わたしが敢えて馴れ馴れしくしないのを受け容れてくれているはずだった。

……でも、それなのに、

「かなえ」

と、菱田先生……『志貴(シキ)ちゃん』は、幼なじみのわたしを、下の名前で呼んできて。

それから、

「キンチョーし過ぎだから。学校だからって、そんなに堅苦しくなる必要も無いだろ?」

とシキちゃんは言ってきて。

コトバが滲(し)み込んできた途端に、熱になる。誰にもさとられたくないような、肌の温度の上昇。

わたしは、シキちゃんのコトバに対して、脚の震えをおぼえながら、

「で、で、でもっ。学校は、やっぱり、学校なんだしっ」

と、情けないコトバを、絞り出して。

 

× × ×

 

終始俯きながら旧校舎の2階までたどり着いた。【第2放送室】の目前まで来たところで顔を上げた。

顧問の守沢先生が【第2放送室】に入ろうとしていた。先を越された。シキちゃんと出会った後でトボトボと歩き過ぎていたから、先生に先を越されてしまったんだ。

守沢先生は新任だからシキちゃんより1つ年下なだけ。両方ともフレッシュな若手男性教師だけど、ぶっちゃけ守沢先生はシキちゃんと比べてだいぶ冴えない、冴えていない。青白い顔を見せる時が多い。今も、ドアノブを持とうとするカラダの姿勢が少し猫背で、『冴えないレベル』が高い状態になっている。

……だけど、人のことは言えないのかもしれない。シキちゃんと出会ってしまったショックを引きずっているわたしも、冴えない女子高校生みたいな状態に近いから。

……いや、冴えない、はちょっと違うか。単純に元気が無い。「ダウナー」って言うんだっけ、キモチの矢印が明確に下向きな女子高校生。

 

守沢先生が入室してから約30秒後にわたしも入室する。トヨサキくんはもちろん既に来ている。トヨサキくんだけには察知されたくない、わたしがわたしでなくなっているのを察知されたくない。

部屋の中ほどにパイプ椅子を置いて座った。天井を仰ぎ、大きく息を吸い込み、目線を元に戻すと同時に吐き出していった。

明智先生は無事承諾してくれたんか?」

トヨサキくんが訊いてきた。

「くれたよ」

できる限り弱々しい声にならないように意識してわたしは答える。

「そりゃ良かった。さすが明智先生だ」

普段通りの振る舞いを見せたかったし、後手に回ってナメられるのもイヤだったから、

「トヨサキくんは嬉しいよねぇ。もっとも、キミだけじゃなくて、男子はみんな嬉しいんだろうけど」

と言い、

「鼻の下はあんまり伸ばさないでよ?」

と強く言う。

「コーフンするなってことか? 下品だな、タカムラも」

普段と同じようなムカムカが産まれてきて、

「どこが下品だってゆーの。これだから男子は」

と反発する。

「おまえは男子のことを誤解してるんじゃないのか?」

誤解!? なにそれ!?

さっきまでの沈み込みが嘘のようにキモチが煮えたぎって、

「女子の見えないとこで、女子のことアレコレ言ってるくせに!! どうせ陰で女子の品定めでもしてるんでしょ!?」

「ふ、ふざけやがって」

「ふざけてないよ。ふざけてるのは男子の方でしょ。教室でも男子はよくふざけていて、ときどき小学生みたいに見えちゃうよ」

「お、おまえはおれをおこらせた」

「すぐ逆上する。ほんと、コドモじみてる」

歯ぎしりし始めているトヨサキくん。彼を、より一層わたしは睨みつける。

「まぁまぁ、ふたりとも、仲良く」

守沢先生が割って入る。必然の流れ。でも、わたしの攻撃性は弱まらない。トヨサキくんの攻撃性だって弱まらない。

「話し合い、始めようよ。ぐずぐずしてると下校時刻が来ちゃうでしょ」

その通り。守沢先生の言う通り。

なんだけど。

わたしは、これ以上握り締められないぐらい強く右拳を握り締めて、

「話し合いは、トヨサキくんが負けを認めてからです」

先生が慌て気味になり、

「負けを認めて……って。ケンカを引き伸ばしちゃダメだよ」

わたしは、

「先生のおっしゃる通りです。でも、引き伸ばしたいものは引き伸ばしたいんです」