川又さんがぼくの部屋に来ている。部屋に入ってきた直後から、ずっとベッドに座り続けている。スムースなジャズが流れる中、勉強机の前の椅子に座ったぼくと向き合い、好きな短歌の話などをしている。
「ところで」
彼女はそう言ってから、
「言うまでもないことなんだけどさ。明日は11月14日で、あなたのお姉さんの誕生日。オトナっぽさに磨きがかかってますます眩しい彼女が、また1つ年を重ねて、22歳に」
「そうですね。嬉しいですか、川又さん?」
「嬉しいよ。でも自分が嬉しい以上に、彼女を祝福して嬉しくさせてあげたいキモチが強い。明日も邸(ここ)に来て、あなたのお姉さんの羽田センパイに、とっておきのプレゼントを渡してあげるの」
「プレゼントの中身は何ですか?」
「エーッ。そこ、訊くの? 明日まで秘密に決まってるじゃん。利比古くんって、そういうところが鈍感だよね。もしかして、羽田センパイに、自分が用意したプレゼントの中身ネタバレしちゃってたりする?」
「いいえ、ネタバラシはしてません」
「ふーーん」
彼女がジットリとぼくを見てきた。微妙な顔付きで、やや前のめりな姿勢。なにか不穏なことを言い出すのではと思っていたら、眉間を少し険しくして、それから口を開き、
「アツマさんも、明日は朝から来るんだよね?」
「ハイ。来てくれますが」
ぼくは首肯(しゅこう)。川又さんがアツマさんに苦手意識を持っているのは当然把握している。アツマさんはパートナーたるぼくの姉を祝いたくて、仕事を休んでやって来てくれるのだが、川又さんが過剰に攻撃的にならないかどうか心配だった。
「出会ったら、その場ですぐに『問い詰め』だな」
あのー川又さん。穏やかじゃないですよ、『問い詰め』なんて。明日はいろんな人が来るんですから、アツマさんを詰めたりして空気を壊さないようにしてもらわないと。
× × ×
スムースなジャズの音が止んだ。
「利比古くんは、わたしの態度に懐疑的?」
「態度? アツマさんに対する態度のことですか?」
「もちろん。『苦手な意識の理由がわからない』とか思ってるんじゃないの?」
ぼくは首を横に振り、
「そんなこと思ってないですよ。アツマさんもリスペクトしてるし、川又さんもリスペクトしてるんですから。川又さんがアツマさんに反発したりするのも、アツマさんがその反発を受け止めたりするのも、横で見ていてとっても微笑ましいですし」
素直に答えた。
だが、彼女は表情を柔らかくしてくれない。『マズいこと言ってしまったのだろうか』と不安になり、カラダの強張(こわば)りを自覚してしまい、彼女から次に発せられるコトバが怖くなる。
「そっかぁー。利比古くん、微笑ましいんだねぇー。当事者じゃないゆえに、わたしとアツマさんのやり取り、プロレスを観戦するみたいに楽しんでるんだ」
「ぷ、プロレスって。そんな大げさな表現、しなくたっていいじゃないですか。それに、姉の誕生日のことから話がどんどん逸れてしまっていて、軌道修正するのがだんだん難しくなってきていて……」
ぼくが言い終わらない内に、川又さんがベッドからいきなり立ち上がった。
そしていきなり、
「利比古くん、わたしとプロレスする?」
ぼくは仰天して、
「ど、どーして、唐突に、突拍子もないことを」
ぼくに向かって1歩進んできた彼女は、
「ジョーダンに決まってるでしょ。理解力が欠けてるね、いつも以上に。わたしぐらい高校時代に国語の成績が良かったなら、冗談を冗談と簡単に見抜けられるはずなのに、悲しいことにあなたは国語よりも英語の方が大得意で」
穏やかな罵倒だった。コトバの中身はチクチクしているけど、声が元気で明るい。ぼくとの距離はさらに近付いていて、座り続けのぼくに何事か要求してくるのではと、不安が募ってくる。
不安が積もってきたところに、
「ねえ、利比古くんも立ってよ。年上のわたしの頼みなんだから、とーぜん聴いてくれるよね? あなたを見下ろし続けるのもなんかイヤだし、対等な目線で、『パートナー』らしいことがしてみたいの」
背筋に緊張が走る。情けなくも、「……」とためらって無言になってしまう。
勇気を出して腰を浮かせ始めるまで、沈黙の時間が長くなってしまった。
ぼくは168センチ。彼女は154センチ。彼女の方が小柄だが、小柄に見合わぬ存在感がある。川又ほのかさんは21歳なのだ。もうコドモじゃない。大学3年生。ファッションのオトナっぽさがいつもよりも目立っている。賢い大学に通っているから、装いに知性が大きくプラスされているように感じられる。
緩やかにしかし着実に前傾姿勢の彼女。『あなたに甘えたい』という意思が示された表情が眼に入ったかと思いきや、背中に一気に両腕を回される。両腕でぼくを抱き込み、ぼくの胸にオデコをすり付ける寸前まで顔を接近させ、ぼくの理性を激しく揺らがせる。
「わたしじゃ物足りなかったりする? ……あなたに『物足りない』って言われたとしても、物足りるように努力していくけど」
『物足りなかったりする?』と言った声音(こわね)が、出会った頃の彼女とはかけ離れた声音だった。オトナの登り坂をぐんぐん登っていくような、そんな彼女の声音。
ぼくは思わず1歩後(あと)ずさってしまった。
背中を抱く彼女の握力が強くなった、気がした。