「愛。おまえのバースデープレゼントはもう買ってある」
愛が肉野菜炒めを箸からポロッとこぼした。
「なぜ慌て始める? バースデーは2日後なんだぜ。買ってない方がおかしいまである」
ココロを落ち着かせるようにコップの麦茶を飲む愛。それから、
「アツマくんにしては、用意がいいな……って思って。真面目なのね」
「おれのことをどう思ってたのか。バースデー当日に駆け込みで購入するとか思ってたんか」
ニヤニヤし始めながらおれは、
「もちろんだが、プレゼントの中身は当日まで秘密だぞ?」
「わ、わかってるわよっ」
「わかったら、肉野菜炒めを味わえ。おれの自信作なんだ」
黙って肉野菜炒めを箸でつまみ、黙って口に持っていった。
モグモグした後で、
「確かに、美味しい」
と愛はコメント。
「素直だな。おれがバースデープレゼントをもう買ってあるからか」
「……ちがうわよ」
× × ×
食後の熱くて黒いコーヒーを立て続けに2杯飲んだ後、愛は本棚へと赴いた。
やっぱり素直になり切れていないようだ。さっきからおれの顔を直視できていない。本棚に視線を集中させているのも照れ隠しなのだろう。
見かねておれはダイニングテーブルの椅子から立ち、本棚の前に腰を下ろす愛の右隣まで来て、そこに胡座(あぐら)をかきつつ、同じように本棚に視線を注ぎ始めた。
「キミは今夜は何を読むのかね?」
「アツマくん変な口調はやめて。あと、『キミ』って2人称は使わないで」
「すまん」
「……芭蕉」
「芭蕉は俳句だけじゃないから。『おくのほそ道』だってあるでしょ」
「それはいえるな」
本棚から『おくのほそ道』を取り出すのかなと思っていたのだが、
「今日はやっぱし、蕪村にする」
心変わりが早いおれのパートナーであった。
「芭蕉が可哀想だ」
「芭蕉はこの次に読んであげるから」
そう弱めに言ってから、
「アツマくん、あなたが読む本を早く選んで。5分以内に」
と、おれのパートナーは。
「せわしねーなぁ。いつも以上に」
「……おこられたいの」
愛のピリピリに全く動じることなく、
「そんなに右手を握り締めるな」
と、愛が作った握り拳を左手で握る。
× × ×
おれは講談社現代新書の『あぶない法哲学』という本を選んだ。著者は住吉雅美という学者さんだ。
おれが法哲学の本を読み、愛が蕪村の俳句を読む。法哲学と俳句。摩訶不思議な取り合わせにも思える。
「今、何時かしら」
ソファに座って読んでいた愛が訊いてきた。
本棚をバックに体育座りのような姿勢で読んでいたおれは、
「もうすぐ21時30分だ」
と答えてやる。
「じゃあ30分になったら、蕪村は終わり。日記を書かなくちゃ」
ほう。
「キミのプライベートダイアリーですか、愛さん」
「それどういう喋り方!? わたしをバカにする気なの」
ソファから半分立ち上がっていらっしゃる。一気に怒った。
「怒らせちまったみたいで申し訳ない」
とりあえずそう言っておく。
とりあえず謝っておきながらも、立ち上がり寸前の愛をまっすぐに見て、
「明後日のバースデーパーティーの時は、絶対におまえを怒らせないから」
と告げる。
「約束できるの」と愛。
「約束できるよ」とおれ。
少し肩を落とす愛。
おれに向けてじわじわと視線を伸ばしてくる愛。
いったん眼を閉じたかと思えば、再び眼を開けて、柔らかな表情でおれを見つめてくる。
そしてそれから、
「読書のお時間は終わりよ」
と言い、
「立ち上がって、こっちに来てよ、アツマくん」
と言う。
立ち上がらないわけもなく、接近しないわけもない。
ソファの近くに来て、愛を見下ろす。
そしてそれから、
「日記を書くんじゃなかったのかよ」
と言ったら、
「書く前に、やっておきたいことあるの」
「スキンシップってか」
「どうしてわかるの?」
「経験に裏打ちされた洞察力」
呆れ顔になりながらも、おれとの距離をさらに詰めてくる愛。目線をやや下げて、おれの胸の下辺りに身を傾けてくる。
5秒後には、おれのカラダに顔を埋(うず)めていた。
「11月の半ばだから。冬将軍、どんどん迫ってきてるから」
なんともいえない愛の声。なんともいえないが、おれのカラダで温もりたいキモチは伝わってくる。
「要約すれば、『寒いから温めて』、と」
愛の後頭部を撫で始めながらおれは言う。
「そうよ」
「そうか。やっぱりな」
こちらからも包み込む度合いを上げて、
「11月に入ってから、スキンシップ皆勤賞じゃねーか?」
「皆勤賞ってなによっ」
「皆勤賞は皆勤賞だろ〜」