【愛の◯◯】よろめく彼女の両肩を掴んだは良いものの

 

大井町さんが、中ジョッキビールをぐびぐびと飲み、テーブル上にどーんと置いた。

空(から)になったジョッキを見て、俺は思わず、

「ペースが速くない……?」

と指摘する。

彼女は険しい眼で、

「速くないから。新田くん、あなたが遅いのよ。ジョッキの中身が全然減ってないじゃないの。アルコール弱いワケじゃなかったでしょ!?」

「まあ、弱いワケじゃないけども」

「だったらどーしてそんなにスローペースなのよ」

眼の前の彼女の勢いに圧倒されているから……なのだが、理由を言い出しにくかった。

店内はガヤガヤとしている。俺たちと同年代らしき大学生が騒いでいるのが聞こえてくる。喧騒(けんそう)をBGMとして大井町さんと2人だけでビールを飲んでいる。

注文した海老マヨの皿が俺たちのテーブルの中央に置かれた。

「食べなよ大井町さん。メニュー表に『看板メニュー!!』って書いてあったよ。きっと美味しいよ」

促すのだが、大井町さんはやや不機嫌気味に海老マヨの皿を覗き込んで、

「ビールの方が良い」

と言ったかと思えば、呼び出しボタンを3回連打した。

店員さんがすぐに来る。大井町さんは「生中(なまちゅう)を!!」と大声でオーダーする。

「食欲が無いのかな」

疑問の俺は控えめに言う。

「違うわよ」

苛立ち気味に答える彼女。

「それなら、海老マヨが苦手な料理だとか?」

訊く俺。

「苦手なんじゃなくて、今は手を出したくないの」

彼女の口から発せられる不可解なコメント。

「新田くんが全部食べちゃってよ」

「……今は手を出したくないって、どういうコト?」

俺が言った瞬間。

眉間にシワを寄せて、彼女が睨んできた。

ほとばしる殺気にたじろいで、彼女も海老マヨも上手く見れなくなり、手元の割り箸に視線を落としてしまう。

 

× × ×

 

高田馬場なのだ。

誘ってきたのは大井町さんの方だった。高田馬場ゆえに飲み屋が乱立しているから、『あなたがお店を選んで』と彼女に要求された時はとても困った。『ここなら大きくハズレるコトは無いだろう』と思い、有名なビリヤード場が入っているビルの向かい側のビルにある店を選んだ。

 

早稲田大学が羨ましいわ」

三杯目の生中ジョッキをほとんど飲み干した大井町さんがいきなり言った。

高田馬場まで出れば、飲み屋さんが腐るほどあるんだものね」

そう言ってから、比較的大人数(おおにんずう)で騒ぎ続けている早大生と思(おぼ)しき連中の方角に視線を突き刺す。

「そ、早大生を敵視するのは良くないよ、大井町さん」

「敵視ィ!?」

「ガンを飛ばしたらダメだって」

「飛ばしてないわよっ!!」

大声。早大生グループがこっちを見てこないか不安になる。

あらかじめ持ってきてもらっていたお冷やのグラスを彼女に差し出し、

「これ、俺は口を付けてないから……」

と、飲ませようとする。

しかし、

「わたし、まだ3杯目なのよ??」

と、赤みを帯びた顔で突っぱねられてしまう。

「せめて6杯飲んでからチェイサーを出してよ」

と言った直後に、呼び出しボタンをしこたま連打。

「6杯じゃ物足りないかもしれない。9杯だって……!」

そ、それはマズい。

限度を超えてるよ。

予算ならじゅうぶんにある。でも、生中9杯は幾ら何でも……予算以前の問題だ。

そもそも、

「ねえ大井町さん。きみ、正直言って、アルコールに強い方では無いでしょ?」

「バカ言わないでよ」

「い、言うよ」

ここで、店員さんの登場。

「生中2つ」

彼女は即座にオーダー。俺の分もオーダーした。まだ1杯しか飲んでいないのが許せないのだろうか。

彼女を諭(さと)さざるを得ない俺は、

「羽田さんやワッキーの方がアルコール耐性はあるでしょ。自分の限界を知っておいた方が良いよ」

と言うが、言った甲斐も無く、

「どうしてサークルの同期を持ち出してくるのよ。愛やワッキーくんのアルコール耐性をわたしの耐性と比較するだなんて。……『自分の限界』? 新田くんあなたとってもヒドいコト言うのね。とってもとってもヒドいわ。『自分の限界』を知るべきなのは、絶対絶対絶対、あなたの方なんだからっっ」

ダメだぁ……。

俺1人じゃ、何とかしようとしても、なす術(すべ)が無いよ。

善は急げ、じゃないが、ヘルプしてくれる人間が必要なのではないかと思い、自分のスマートフォンにこっそりと手を伸ばす。

しかし、その瞬間に、

スマホなんか見る気なの!? わたしが怒ってるから、スマホの世界に逃避したいってワケ!?」

と非難される……。

 

× × ×

 

それから約1時間近く、俺は大井町さんにお説教され続けた。

主(おも)に俺の今後について。迫る卒業。定まらない進路。これからどうするのか。

『これからどうするの!?』を10回以上言われ、『お先真っ暗じゃないの!?』を10回以上言われた。

 

× × ×

 

説教も罵倒も、されるのは辛いけれども、受け止め切れられる。

問題は、店を出た後だった。

大井町さんの足取りがフラフラになっていた。「千鳥足」という表現は彼女に相応しくないから使いたくないけど……今の彼女の状況を端的に表すのに便利なコトバではある。

高田馬場駅の間近。

よろめく大井町さんが車道にはみ出る寸前になる。俺は慌てて彼女の両肩を掴んだ。

彼女の両肩を掴んだのは産まれて初めてだった。

必死で制御したいから、両肩を強く掴む。

「……歩ける?」

泥酔した彼女の顔を見つめながら、必死で問いかける。

焦点が定まらない彼女。焦点が定まらないながらも、意外と俺に従順で、俺の束縛を振り解(ほど)こうとはしない。

暴れて束縛を振り解こうとしないのは助かる。

しかし、「……」と沈黙するばかりで、歩けるかどうかという俺の問いかけに答えてくれないので、次第に追い込まれていく。

どうしようもない俺たちの傍(そば)を沢山の人々が通り過ぎていく。高田馬場ならば、酔い過ぎた人間に手を焼くような光景は日常茶飯事であるに違いないが……。

大きな問題は、

大井町さんは、自分のアパートに、1人で辿り着けるのだろうか?』

というコトだ。

西武新宿線沿線某駅にアパートがあるのは知っている。各停(かくてい)しか停まらない駅だが、高田馬場駅からならば乗り換えの必要も無く行ける。しかし、もし彼女が泥酔のあまり眠りに落ちて、埼玉県まで乗車し続けてしまうような羽目になったら……!

……そもそも、今の状態の彼女を電車に1人で乗せて良いのか!?

それ、ヤバくないか。

い、いや、ヤバいだろ、きっと。

誰かが一緒に乗ってあげた方が、100パーセント、ベターだ。

となると。

一緒に乗ってあげるべき、なのは。

 

横断歩道を渡った先には煌々(こうこう)と輝く夜の高田馬場駅

背に腹が替えられなくなってしまった人間が……約1名。