雨は降り止まなかった。窓から光が入ってこない。『漫研ときどきソフトボールの会』のサークル室がいつもより暗く感じられた。
新田くんと2人。例によって向かい合い。他のサークル会員は居ない。
新田くんは何もしていない。漫画雑誌も漫画単行本も読んでいない。スケッチブックにお絵描きもしていない。
指を組みつつ俯き気味になったかと思えば、恐る恐るといった感じで目線を上昇させ、覗き見るようにわたしの様子をうかがい、何かを恐れているかのように縮こまってしまう。
見かねて、
「あなたが不安になってどうするのよ。あなたは当事者では無いでしょ?」
と言ってあげる。
すると新田くんは、
「大井町さんは、コワくないの」
と震え気味の声で。
「結果の連絡が来るのが?」とわたし。
「そう。最終選考の結果が……」と新田くん。
「ジタバタしたってしょうがないでしょ? 過剰に不安がったってしょうがないでしょ? 落ち着いて連絡を待つだけよ。実際、落ち着けているし、緊張感もあまり無い。あなたの方が10倍緊張してるみたいなのが、微笑ましく感じられるほど」
「……強いんだな。俺は、きみみたいには強くなれないよ」
敢えて可笑しそうに微笑みながら、
「すぐ自虐に走るんだから」
と言ってあげる。
「それは……どういう……」
新田くんの顔の角度が上がる。
反対側の席の彼が前のめり姿勢になりかけた時。
わたしのスマートフォンが振動する音が室内に鳴り響いた。
× × ×
サークル室の外に出て、廊下の窓際で着信に折り返した。
あちら側の声がすぐに聞こえてきたので、名乗ってから、不在着信になってしまったのを丁寧に詫びた。
前置きも何も無く選考結果が伝えられてきたのは、わたしが詫びた直後だった。
× × ×
実感が無かった。
喜びが大き過ぎるから実感が無かった、ワケでは無い。
喜びの感情が湧き出てくるワケも無い。
そんな結果だったんだから。
この場合の、喜びの反対は、何だろうか。
失望? 落胆?
だけど、失望の感触も、落胆の感触も、あまり自覚できない。案外、アッサリとしたモノ。歩けないぐらいチカラが抜けたとか、そういうコトは一切起こっていなかった。そういった意味では、選考結果を待っていた時と同様、落ち着いている。
『また頑張れば良い。作品を作って、また投稿すれば良い。今回最終選考まで残ったんだから、次回はきっと――』
こういう風な前向きなキモチが、後ろ向きなキモチよりも強かった。
特に項垂(うなだ)れるコトも無く、サークル室に歩み寄り、扉を開ける。
× × ×
再び入室した瞬間に、新田くんの息を呑むようなリアクションが視界に入ってきた。
彼は彼の視線をわたしに向かって伸ばす。元の席につこうとするわたしから視線を離さない。
音を立てるコトも無く椅子を引き、着席するわたし。
まじまじとわたしを見てくる彼だけど、結果がどっちに転んだのか、把握できていないみたい。もし、項垂れながら入室したのならば、きっと把握できていたんだろうけど。
「新田くん」
勿体(もったい)ぶるコトも無く呼び掛けて、それから、
「ダメだった」
と報告する。
彼のココロが真っ青になっていくのが、彼の表情から読み取れる。
目線は下向きになっていない。動揺のあまり、わたしから眼が離せないのかもしれない。口が中途半端に開いているのが眼につく。
「あなたがダメージを受けなくても良いでしょうに」
彼のリアクションに対して可笑しさすら感じながら、わたしは言っていく。
「また頑張るだけよ。手応えはあったんだから。何しろ、最終選考まで残ったんだもの。今回ダメだったからって、モチベーションは変わらない」
濁(にご)りの無い善意で、
「繰り返すみたいだけど……あなたが落選したワケじゃ無いんだから。大きなショックを受けてるのを見せられると、わたしの方が困っちゃうわ。だから、もう少しココロを落ち着かせて。わたしからのお願い」
と、言ってあげた。
だけど、
「……落ち着けるコトなんか、できない。できっこない」
と、新田くんは、とてもシリアスな声で。
「俺、悔しいよ。マジで悔しいんだ。きみは……きみは、俺の1000倍努力してきたじゃないか。大学4年間、何もしてこなかった俺とは対照的に、きみはきみのスキルを一生懸命磨いてきた。……絵本の新人賞に投稿しようと決意するなんて、並大抵のキモチじゃできないよ。しかも、最終選考にまで残って……。ここまで来たら、受賞してほしかった。ココロからきみを祝福したかった。なのに。それなのに。……なんでだよ、なんでなんだよ」
途中から、わたしは釘付けになっていた。
彼の長いコトバに口を挟めるワケも無かった。心情の吐露(とろ)に引き寄せられる。だから、釘付けになる。彼の表情に視線を固定するしか無くなる。
そして、彼の長いコトバに、途中から、悲しみのキモチが籠もっているのに気付く。
声が。声が……今にも、泣き出しそうで。
長いコトバを言ったあとで、新田くんはとうとう、わたしを直視できなくなった。
わたしを直視できなくなった新田くんから、わたしは眼が離せなかった。
ぐすん。
はっきりと、そう、聞こえた。
ぐすん。
つまり、新田くんが、泣き始めている、証拠となる、声。
涙が流れ続けるのを堪(こら)えたい。だけど、どうしても堪え切れない。距離が離れていても分かる。新田くんの眼からどんどん涙が流れ出している。
最終選考の結果の連絡を受けた時とは、わたしの状態は真逆だった。落ち着きはどこかに消えた。胸の奥が揺れ動いている。不測の出来事。新田くんが、泣いた。まるで、わたしの代わりみたいに。
ダメだったけど、泣くほどでは無かった。すぐに割り切れるし、切り換えられる。……そのはずだった。
新田くんの存在がそうさせなかった。
独りで悲しんでいる。涙まで流して。どうして……どうして、そこまで……。
「……どうしたの!? どうしちゃったの!? 泣く必要も無いじゃないの!? わたし、わたし……あなたがそこまで悲しむ理由、分からない」
自然と腰が浮き、自然と前のめりになる。
新田くんは泣きじゃくっている。痛々しいまでの嗚咽(おえつ)。締め付けられるように、胃袋が痛くなる。彼の激しい感情が、わたしのカラダに徐々に伝わってくる。
前のめりのまま、どうして良いのか分からなくなる。何も、分からなくなる。
分からなく、なり過ぎて。
泣きじゃくる彼を見つめるわたしの眼球から……涙の粒が、こぼれ出た。