朝っぱらから愛にたくさんスキンシップされてしまった。
昨夜はサーロインステーキを作ってやったりいろいろしてやったのだが、やはり「くたびれ」が未だに残っているらしい。
おれが朝飯の準備や出勤の支度をしている間、背中に抱きついてきたり、手をギューッと握ってきたり。
手をギューッと握ってきながら『頭をいっぱいナデナデして……?』と言って甘えてきたもんだから困った。しかし結局いっぱいナデナデしてやった。
「飼い猫のような甘え方」という比喩は不適切だろうか? ……しかし、小動物的な仕草がやけに印象に残ってしまっているのも事実だった。
過剰にも見える甘え方を示しながらも、
『寝グセは、アツマくんの手を借りずに直すから』
と告げてきたコトには、「進歩」が顕(あらわ)れていたが。
× × ×
さて、店で働いているおれは、唐突に来店してきた八木八重子(やぎ やえこ)に、注文されたメニューを運ぼうとしている。
八木八重子。愛の出身校たる世界的名門女子校で愛の2学年上であった女。世界的名門女子校を出たにもかかわらず、おれと同じ大学におれの1年遅れで入ってきて、おれの1年遅れで卒業した女。
なぜ平日の真っ昼間にカフェに来られるのか……という疑問が先行する。しかしヤツは客、おれは店員。ヤツから注文を受けたのだから、ヤツにご注文のメニューを運ぶ義務を回避できない。
だから、カラダを少し強張(こわば)らせながら、丸いトレーを持って八木の席に向かって行こうとしている。
無難にヤツの席の目前まで来たら、
「有給なんだよ。久しぶりの……ね」
と、ヤツの方から、平日の白昼堂々に来店できた理由を開示。
理由を意に介していないフリをして、慎重にドリンクとスイーツをテーブルに置こうとする。失敗したら泣くに泣けないから慎重になるのだ。
「その手付き大丈夫なの!? 戸部くんって大学時代から長年ホールスタッフしてきてるよね!? 不可解なくらい初心者っぽい手付き。こっちが不安で仕方無くなってくるよっ。わたしさ、これでも大学時代、複数の飲食店でアルバイト歴が――」
うるせぇ。
なんだよ、その長ゼリフ。
シェイクスピアの劇じゃねーんだぞ。おのれは、この『リュクサンブール』という喫茶店を劇場にでも見立ててるんかっ。客であるコトに徹しろ。俳優になるなっ!!
「戸部くん眼つきコワいよ」
「どうぞごゆっくりおめしあがりくださいませ」
「ウワッ棒読み。バカにしてるの? ココロが0.1ミリリットルも込められてないじゃん」
怒ってるのが分からんのか……!!
× × ×
もう一度八木のお席に向かわねばならぬ義務が生まれる。空いたグラスや皿を取りに行かねばならぬ……。
で、にっくき八木の眼前(がんぜん)まで来ると、
「あなたのパートナーの羽田愛さん、今日はどーしてんの??」
痛いところを突かれたワケだが、正直に、
「疲れてるみたいで、マンションの部屋で休んでる」
「何それ!?!? 不調ってコト!?!? 120%戸部くんの責任だよね」
椅子から立ち上がる勢いで八木は怒りの絶叫。
ホンマにこいつ社会人なんかいな。
抑えつけてくれる存在が周りに居らんのがアカンのでは……?
× × ×
「おれの周りには暴れん坊の女子が多過ぎる。今日の八木の件もあったし、身に沁みるぜ」
「いいじゃないのよ〜。わたしは、『アツマくんと居ても退屈しない』って証拠だと思うわ」
「女子どもが、か?」
「そーよ。女の子に冷たくされるより、50倍良いでしょ」
50倍、ねぇ。
さしものおれも八木からダメージを食らい、肩を落とし気味にリビングの丸テーブルに右肘をついていたのである。
晩飯は既に食い終わっている。おれと愛、互いにくつろぎタイムだ。愛は、某サンリオさんの某人気キャラクターのぬいぐるみを抱きつつ、ぬいぐるみの耳をさかんにイジくっている。
そんなに耳を引っ張りまくってると、ポ◯ャッコが痛がっちまうぜ……と思いつつ、ボンヤリと愛を眺めていたら、
「そうだ!」
「何が『そうだ!』なんだよ。消耗が癒えた結果、突拍子も無い思いつきが産まれたんでは……」
1ミリメートルもおれに構うコト無く、
「音楽」
「が、どーした??」
「決まってるでしょ。鑑賞するのよ」
言うやいなや、素早くソファを降り、素早くCD棚に接近していく愛。
レコード復権によるCD時代の終焉だとか言われている。しかしながら、おれと愛のふたり暮らしの中では、CDとCD再生機器は未だにフル稼働している。レコードプレーヤーは実はマンションに持ち込んできている。サブスクリプションサービスで聴くコトだってそれなりにある。ただ、ふたり暮らしでの音楽鑑賞の主力はCDとCD再生機器だ。
再生機器とは具体的にはステレオコンポ。複数のCDを再生できるタイプのコンポである。おれの実家にあったのを母さんから譲り受けた。実家とはつまり、以前から本ブログをご購読いただいている方ならばご存知の『お邸(やしき)』である。
――CDの敷き詰められた棚とニラメッコの愛ちゃんであったが、
「アツマくん、どうしよう。オアシスとレディオヘッドのどっちを聴くか、迷っちゃってるの」
と、おれに振り向かず、朗らかな声で。
迷ってる割りには元気な声出しますねー。
アレなのね。Oasisのアルバムか、Radioheadのアルバム。どっちかを聴きたいけど、選べないのね。それで、ご意見をおれにうかがおうとしてるワケか。
ソファに移動していたおれは、
「それはおまえにとって究極の選択だわな。おまえの最愛の『おとうさん』は、オアシスとレディオヘッドを両方とも昔から愛聴していて、おまえも『おとうさん』に両バンドを聴かされて育ち……」
びくん!! と擬音が鳴ったかのごとく愛の背筋(せすじ)が派手に伸びた。
愛はスローに顔をこちらに向けてきて、
「どうして知ってるの。どこで知ったの」
「おまえの口から出た情報じゃなかったか?」
「そんなばかな」
「ばかじゃない☆」
「あ、あのねぇアツマくんっっ」
「なんだよぉ〜、コワい顔になるなって〜。そんな顔して睨みつけるなんて、おまえの美人が台無しだぜ?」
型通り、歯噛みの愛。
先週はしゃぎ過ぎた反動による消耗・くたびれ等(など)は、最早見られない。
何より、である。消耗していない愛、くたびれていない愛の方が、絶対にGOODだ。
苦い顔でピリピリしてはいるものの……通常の愛が、無事に戻ってきた。