ドライヤーで乾かしたのに、まだ濡れているところがあって、自分の髪の長さを恨む。
濡れた部分にドライヤーをあてる。
それから、ふたたび身支度。
約束の時間に遅れるわけにはいかないので、急ぎ足で身支度する。
持ち物を確認していると、ガサツなノック音が聞こえてくる。
ノックの主(ぬし)は弟のヒバリ以外にありえない。
ドアに歩み寄り、
「どうしたの、ヒバリ?」
と訊く。
『春休みの宿題で教えてほしいとこあるんだけど』
ココロを鬼にして、
「ダメよ。教えられないわ。自分で頑張りなさい」
と突き放す。
『なんで』
「理由はふたつ」
『へ?』
「第1に、中学生にもなって自力で宿題を終わらせられないようではいけない、ってこと」
『えー』
「第2に、わたしはこれから外出するから、っていうこと」
『外出!?』
その驚きようはなに。
「あなたもしかして知らなかったの? ちゃんとお父さんとお母さんには言ってあるのよ、夕方から外出するって」
『……夜遊びか』
バカ。
「まったく成長してないのね、あなたって!」
罵倒する。
ドアを睨みつける。
ドア越しにわたしの威圧が伝わったようで、ヒバリはなんにも言い返せない。
「大事な友だちが大阪に引っ越すの。その見送りをするのよ」
『……ヨーコさんの見送り?』
「正解」
× × ×
「ヒバリのせいで遅刻するところだったわ」
「弟さんに責任をなすりつけなくても」
ヨーコの『しょーがないなぁ……』と言わんばかりの苦笑い。
東京駅を歩いているのだ。
「親御さんが見送りに来なかったのは、どうして?」
「わたしの意向だよ」
「……意外」
「自分ひとりで、ちゃんとしたかったから」
ちゃんとしたかったから、か。
偉いわね、ヨーコ。
わたしの弟は、自分ひとりで宿題を仕上げることもできない。
「ヨーコ。あなたを、弟の手本にしたかった。わたし」
「エーッ、そこまで言っちゃうの」
「ずいぶんあなたは成長したと思うの。高校時代の3年間で」
「そう?」
「古傷をえぐるようで、申し訳ないんだけど……」
「なにかな。遠慮なく言ってごらんよ」
「3年生になってからは……挫折も多かったじゃないの」
「や、多くはなかったから、多くは」
「……」
「放送部のコンテストで失敗したのと、受験の共通試験で失敗したのぐらいじゃん?」
「……ごめんなさい。こんな場で、辛かったことを蒸し返しちゃって」
「亜弥ぁ」
立ち止まったヨーコは、
「ちょーっと優しすぎるんじゃないかなあ」
「優しすぎる?!」
「優しすぎ。放送部でわたしのツッコミ役だったとは思えないぐらい」
「……」
「今日は弱いよね、亜弥。弱いのが必ずしも悪いわけじゃないけどさ。だけど本来、もーっと強いじゃん!? あんた」
強い・弱いとか……正直よくわからない。
けれども、ヨーコがどうやら、わたしを勇気づけてあげようとしている……ということは感じる。
勇気づけることの意味も……感じ取ることができる。
× × ×
「お見送りは改札まででいいや」
「えっ、ホームまで行ってあげるわよ、わたし」
「お金かかるじゃん、ホームまで行くと」
「でも。入場料なんて、そんな些細なことまで、気を配らなくても」
「配る。」
「ヨーコ……」
「それに加えて。
ホームでお見送り、なんて、湿っぽすぎるって思うんだ」
「……変わったこだわりね」
「まーね」
まっすぐに見てくるヨーコ。
彼女は、
「厄介な親友で、まことに申し訳ありませんでした」
「な、なに言うの」
「迷惑のかけ通しで、反省しています」
動揺を隠せなくなるわたしに対し、
「――こういうこと、今言えなかったら、一生言えなくなるじゃん?」
とヨーコは。
無数の人々が改札の横を通っていた。
改札を出たり入ったりする人々も無数にいる。
気づけば。
気づけば……わたしは、ヨーコに抱きつかれていた。
強く、抱きつかれていた。
抱きしめてくる強さが、わたしに伝わる。
伝わって、わたしの内部に入っていく。
ヨーコは自分の強さをわたしに分け与えたかったのだ。
「がんばれよ。」
ヨーコのコトバが耳に届いた。
無数の人々の往来の中で……そのコトバが耳に届いたのは、わたしだけ。