日曜朝。
猪熊家。
ヒバリの部屋の前。
こん、こん、こん。
3回ドアをノックするわたし。
返事が無いので、少しボリュームの大きな声で、
「ヒバリ、いい加減、起きなさーい?」
と言う。
爆睡しているみたいだったら、部屋に入っていくことも考えた。
しかし、聞こえてくる足音。
ドアをほんの少し開けて、見るからに眠そうなヒバリが、
「…もうちょい寝てたって、いいだろが」
と、変声期真っ盛りボイスで言ってくる。
「ダメよ」
わたしは、
「いくら冬でお布団が気持ちいいからって。寝過ぎだわ。朝ごはんだって、とっくに出来てるのよ?」
と軽くお説教。
でも、ヒバリは眉間にシワを寄せて、
「朝ごはん、いらねーよ」
と反抗。
…出たわね。
『朝ごはん、いらねーよ』発言。
夏が過ぎてから、『朝ごはん、いらねーよ』と土日にヒバリが言うことが、劇的に増えた。
もちろん、許すわけにはいかず、
「お父さんとお母さんにガミガミ言われても知らないわよ?」
と言う。
わたしの弟は目線を下げたあと、
「……いいよ。怒られたって」
と。
思わず、
「……反抗期ね」
というコトバが漏れた。
うつむきに目線逸らしが加わる、わたしの弟。
「あなたの歳だったころのわたしとは、大違い」
わたしの顔を見ずに、
「自分は反抗期なんか無かったって言いたいんか、姉ちゃんは」
と弟は。
「あなたほどじゃなかったのは確かよ」
余裕で答える姉のわたし。
眼を背け続けている弟。
降参しなさいよ……と、苦笑いになりながら姉のわたしは思う。
でも、ふと、何事かに気づいたかのように、目線を上げて、
「おれ――、憶(おぼ)えてっぞ。反抗期のときの姉ちゃん」
なんてことを言ってくるから……不穏になってくる。
続けざまに、
「すっげえ喚(わめ)いてたことがあっただろ。テレビの前で」
と言い出してきて……わたしのほうに焦りが生まれてくる。
「て、テレビの前? 喚いた? わたしが?」
「うん」
「それは……だれに対して」
「父さんに」
思い出したくない過去が輪郭を帯びてくる。
これ以上、蒸し返してほしくなくて、
「い……いっしょに階下(した)に下りるのよ、ヒバリ」
「え~~」
渋るヒバリの左手を強引に掴(つか)み、
「ほらっ」
と階段へと促(うなが)す。
× × ×
勉強時間が削られちゃったじゃないのよ。
ヒバリへの苛(イラ)つきで、ノートをとる筆圧が強くなってしまう。
シャープペンシルの芯が折れる。
芯を替えるのが面倒くさくなって、ボールペンで雑にノートに書き込む。
わたしらしからぬ崩れた字体。
なぐり書(が)きは続いていく。
あまり真面目じゃない男の子のノートみたいなノートが、出来上がってしまう。
雑になってしまった。
投げやりになってしまった。
まるで、ヒバリみたいな適当さじゃないの……わたし。
途方に暮れる。
読書でもして気分転換しようかとも思った。
勉強机の棚に読み始めたばかりの文庫本がある。
その文庫本に「浮気」する直前で……踏みとどまる。
いったんこの本を読み始めたら、現実逃避になってしまい、勉強に復帰できなくなってしまう気がする。
それからわたしは、こう思った。
『同じ気分転換でも、『場所を変える』ほうが、効果があるんじゃないのかしら』
× × ×
だからわたしは外に出た。
冬で寒くても構わなかった。
気分転換の散歩のつもりだった。
買い物の予定は無し。だから、所持金はほんのわずか。
公園に向かうつもりだった。
公園でただ歩くだけで、おしまいにするつもりだった。
でも、公園に行く途中には、商店街があって。
その商店街のスピーカーから、わたしの好きな作曲家の楽曲が流れてきたから……足を止め、通りのほうにカラダを向けてしまった。
これがありきたりなクリスマスソングだったら、商店街は素通りだっただろう。
でも違った。
もっと品のいいクラシック音楽がBGMとして流れている。
元々、この商店街はBGMの趣味がいい。
きっとBGM担当の人の趣味がいいんだろう。
いい趣味をしている商店街に、吸い込まれていってしまう。
ウインドーショッピングなら、許容範囲だ。
そう、許容範囲……。
自分を正当化させながら、メインストリートを直進していく。
そういえば。
自販機が、あって。
その自販機は特別な自販機で――というのは、ここでしか飲めないドリンクが、買える自販機なのだ。
わたしはそのドリンクが好きだった。
この商店街に来たら、高確率で自販機のボタンを押していた。
どんな理屈で、この商店街限定のドリンクになっているのかは、未だにわからない。
わからないけど、わからないままでもいい。
とにかく、好きなものは好き。
――ホットレモネード風のドリンクなのだ。
寒い季節に合う。
小銭ぐらいなら持ってきているので、自販機のボタンを押すことも、わたしの「許容範囲」に加わる。
その自販機へと、一歩一歩近づいていった。
すると。
自販機の前に、だれか立っている。
ぞわっ、となる……わたしの背中。
知ってる男の子だったから。
知ってる、というか。
同じ学校で、
顔なじみで、
しかも男の子……ということは、
つまり……。
× × ×
驚愕したことは、羽田利比古くんが視界に入ってきたこと、だけではなかった。
自販機の前に立っていたのは……羽田くんひとりだけではなかったのだ……。