日曜日の猪熊家。
自分の部屋で受験勉強をしていた。
勉強するしかない。
11月に入っているのだ。
もう追い込み。
追い込みだから、集中して……机に向かっている。
難しい英語長文問題を解いた。
難しいといっても、ヨーコならば容易に解けてしまうレベルなんだと思う。
ヨーコはどうしてあんなに勉強ができるのよ…と思う。
大阪府の某国立大学がA判定だなんて。
嫉妬しちゃうじゃないの。
しかも国立大学志望ということは、わたしと違って理数系科目もやっているのだ。
どれだけあの子は要領がいいわけ!?
本人に問いただしてみたいけど…そんなのは、やり過ぎか。
ヨーコ……きょうは日曜日だから、勉強そっちのけで遊んでるんじゃなかろうか。
要領、良過ぎるでしょ。
必死に受験勉強してるわたしに電話かけてきたりしないわよね……と思いつつ、問題集を凝視する。
× × ×
2時間近く勉強し続けていた。
さすがに疲労が溜まってくる。
両腕を真上に伸ばす。
そしてその両腕を、頭の後ろで組む。
…勉強机から眼を離し、クローゼットのほうに身体(からだ)を傾ける。
クローゼット。
クローゼットの中には……。
× × ×
出してしまった。
クローゼットから出してしまった。
なにを?
……ワンピースを。
濃紺色のワンピースを。
先週の学校祭。
わたしやヨーコたちのクラスの出し物は、喫茶店兼仮装パーティーだった。
そこでわたしは、魔女の仮装をした。
魔女に扮したとき着ていた濃紺色のワンピースを、持ち帰った……というわけ。
魔女のワンピースを両手で持ち、見つめる。
『そのワンピースに水をこぼしちゃったりしたら、大変だよ』
『ジュースとかコーヒーとか、ワンピースにこぼしちゃったら、もっと大変なことになるよ』
途端にフラッシュバックする……あの日の、羽田利比古くんの、コトバ。
条件反射みたく、首をぶんぶん横に振る。
ひとことで、照れくさい。
……照れくさいのは、いいとして。
羽田くんのコトバ云々は、いったん棚に上げて。
「……部屋着に、いいんじゃないのかしら。このワンピース」
× × ×
荒っぽいノックの音。
『姉ちゃん』
弟のヒバリの声だ。
声変わりのさなかの声。
『姉ちゃん、母さんが呼んでる』
「…あとで行くから待ってて、って伝えて?」
『あとで行く、ってどんくらいかかるの』
「い、いま、考えるから…」
ドアノブをひねる音。
マズい。
「ひ、ヒバリ!! 勝手に入ってくるのはやめて!! わたし何回も同じこと言ってるでしょ!?」
……いったん開きかけたドアが、元通りになる……。
「ノックしてから……ノックしてから、入りなさいよ」
『いや、おれ、ノックはしたんだけど』
あっ…。
い、いけない。ミスった。
「し…したとしても。わたしの部屋のドアを開けるのなら、ひとこと言ってからにして…」
『どーして??』
「そ、それぐらい分かりなさいよっ。ヒバリはもう中学生でしょう!? コドモじゃないんだから……!」
『あーーっ。
姉ちゃん、着替え中だったんか?? もしかして』
恐るべき勘の鋭さ。
弟だから……?!
「と、と、と、とにかく!!! ドアの前から離れてっ。お母さんのところに行って、『取り込み中』だって伝えてっっ」
『…わかった。わかったけどよ、』
「な…なによ」
『母さんに伝言したあとで、姉ちゃんの部屋、入ってもいいか?』
「……どうしてよ?! 理由!! 理由」
『学校(ガッコ)の地理の宿題でわかんないとこあるから、訊きたいんだけど』
「……そうだったのね。
いいわ。
わたしの着替えが終わったらね。
もう一度……ノックするのよ。
ヒバリがノックしたら……『入っていいわよ』って、合図するから」
× × ×
とんだ邪魔が入った。
ヒバリが今にも部屋に突っ込んで来そうだったから、うろたえた。
うろたえるのは当たり前。
だって……。
……姿見に、下着の柄が映っている。
× × ×
「どーゆー格好だよ姉ちゃん!? おかしくなったんか」
驚いて言うヒバリ。
驚き過ぎよ……。
「わ、わたしはワンピースに着替えただけよ??」
「そのワンピースがおかしいんだろが」
な、生意気で汚い口ぶり。
「ど、どこもおかしくなんか……」
「魔女宅(まじょたく)のコスプレか?!」
「魔女宅!? ……あ、ああ、『魔女の宅急便』のこと……」
「だよ。女子高生版キキ、って感じだ」
「……気持ちはわかるけど、断じてコスプレじゃないわ」
「――ま、姉ちゃんが言うなら、そうなんかな」
「……」
ヒバリは……ワンピースに包まれたわたしの身体を……眺め回し始めている。
「ちゅ、中学生にあなたもなったんだから、そういうのは、やめておきなさい?」
「そういうの、ってなにさ」
コトバに詰まるわたしに対し、さらにヒバリは、
「魔女宅コスプレなら……ジジも、欲しいよな」
「ジジ……??」
「猫だよ。黒猫」
「く、黒猫って。わたしの弟なら、わかってるでしょう!? わたしにとって、猫が、どれだけ恐怖の対象なのか……!!」
「おれはわかって言ってるよ」
チカラがヘナヘナと抜け……その場に座り込む。