信じられないような時刻に眼が覚めた。
浅い眠りだった。
浅い眠りだったのに、妙に眼が冴えて、ふたたび眠られそうには無かった。
ラチがあかずに……潜(もぐ)り込んだベッドの掛け布団の中で、ひたすらYou Tubeを視(み)まくっていた。
そうやって、どうにかこうにか……朝になるまで時間を潰していたというわけ。
× × ×
浅い眠りの、原因。
原因は……ストレスというよりも、昨日の「あの出来事」のショックの大きさ、なのかもしれない。
ううん。
かもしれない、じゃなくって、たぶん、そうなんだ。
衝撃が強すぎた。
2日目の学祭の午後3時を過ぎ――『これでようやく肩の荷が下りる』と安堵していたときだった。
わたしの前に。
彼が。
そう、彼が。
× × ×
きょうは月曜日だけど、学祭の振替休日。
『この振替休日を利用して、受験勉強をしよう』
昨日のあの瞬間までは、そういう目論見でいた。
なのに。
わたしの甘い目論見は、彼によって、そう、彼によって……打ち砕かれた。
……なにもできない。
なにもできないのは……彼の行動と、彼のコトバのせい。
彼のせいだ。
わたしが今こんな状態になっているのは……外江(とのえ)くんのせい。
× × ×
自分ひとりじゃ苦しかった。
ひとりじゃ苦しいんだけど、今、野々村家には、わたし以外だれも居なくって。
それにそもそも、家族に打ち明けるような苦悶じゃ無いんだし。
だれかと――話したかった。
ベッドに寝っ転がりながら、スマホを操作した。
電話帳。
五十音順の名前の、最初のほうに、
『猪熊さん』
という文字があって、そこで右手の指が止まった。
× × ×
「…もしもし。」
『はい』
「突然…ゴメン」
『わたしに野々村さんが電話をかけてくるのって、たぶん初めてですよね。――なにかあったんですか?』
猪熊さんは……知らないんだ。
ということは、遍(あまね)く自校の生徒に拡散しているわけでは無い……ということ。
ほんの少し安心する。
でも、ほんの少しの安心に留(とど)まっているわけにはいかなくて、これから猪熊さんに、「なにがあったのか」を打ち明けなければならない。
勇気、出さなきゃ――と、息を吸い込んだ。
そのとき――、スマホから、変声期(へんせいき)の男子のような声が、漏れ出てきた。
え。
猪熊さんの近くに、だれか居るの??
猪熊さんと、変声期らしき男の子が、会話のやり取りをしているのが聞こえる。
もしや。
『――すみません、野々村さん。わたしの問いが、宙づりみたいになってしまいましたね。実は、わたしの部屋に――』
「――弟さん?」
『よく分かりましたね――そうです、弟が、わたしの部屋にノックもせずに入ってきて。それで、取り込んでて』
猪熊さん、弟さんなんていたんだ。
初耳だよ。
「あのさ」
『なんですか?』
「猪熊さんの弟さん、今、いくつ?」
『ヒバリは、13歳です。中学1年生』
「名前、ヒバリくんっていうんだ」
『はい。ヒバリは現在(いま)ちょうど、変声期と反抗期に差し掛かっていて……特に、姉のわたしに対する反抗が、目立ってきてて』
へええー。
「それ、なんかイイね。微笑ましい」
『な、なにが、微笑ましいんですか!?』
「だって可愛いじゃん。5つも上のお姉さんに反抗する弟なんて」
『……こっちは大変なんですよ、結構』
「アンタは、反抗する弟のことが、可愛くないの??」
『可愛がってるヒマなんて……』
「そっかそっかー」
『……』
「弟さんの話、もうちょっと聴きたいかな、わたし」
『横道に……』
「逸れてるのは承知の上」
『……ヒバリのなにを知りたいんですか、いったい』
「ヒバリくんのこと、というよりも、アンタのヒバリくんへの接しかたについて、なんだけど」
『……?』
「猪熊さんってさ。
弟のヒバリくんに対しても……敬語なわけ??」
『……違います。ヒバリには、タメ口です』
そっかそっかあ。
「猪熊さん。アンタのタメ口って、独特なんだってね」
『ど、独特ってなんですかっ』
「語尾に『~わよ』とか『~だわ』とか付けるんでしょ? フィクションの外の世界だと絶滅危惧種みたいな、語尾で――」
『野々村さんっ!!』
「うぉっ」
『話を、これ以上脇道に逸らさないでくれるかしら?!』
「お、タメ口が出た」
『あっ……!』
「『~かしら』って語尾も、アンタの専売特許なんだね」
『のっののむらさんっっ。わたしは……わたしは……あなたがわたしにテレフォンしてきた……動機、を……』
「喘(あえ)がなくたって」
『あえいでないわよっっ!!』
× × ×
猪熊さんが落ち着くのを待ってあげた。
それから、わたしは、すううっ…と息を吸って。
それからそれから。
「――打ち明けたいことが、あったんだよ。
打ち明ける相手を猪熊さんにした理由、自分でも分かんないんだけど。
ヘンだよね。
でも…言うよ。
わたし…言っちゃう。
わたし、ね。
昨日の午後3時過ぎに。
……伝説の樹の、下で。
外江くん……に。」