愛のご両親はあっという間に海外に発(た)っていった。
今は、昼過ぎ。
ダイニングテーブルでコップに注(つ)いだウィルキンソンを飲んでいたら、愛が姿を現してきた。
冷蔵庫にゆっくりと歩み寄り、ドアを開く。
そして某メーカーのミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、コップとともにおれの眼の前の席に運んでいく。
静かに席につき、コップにミネラルウォーターを注(そそ)ぎ込む。
「…コーヒーじゃないんだな」
思わず言ったら、
「わたしにとってコーヒーがお水の代わりだって思ってるみたいね」
と、たしなめ口調で言い返される。
「悪かった悪かった。…だよな。こうも暑くて喉が渇くと、ミネラルウォーターだって飲みたくなるよな」
「理解してくれたら、いいのよ」
コップの中のミネラルウォーターを4分の3ぐらい飲んだあとで、愛は、
「あなただから……打ち明けるんだけど」
と、なにやら切り出してくる。
ほっぺたを少しだけ赤くして、
「とんでもない悪夢を見ちゃったの。それで……いっしょの部屋で寝てたお母さんに……朝まで……甘えちゃって」
と打ち明ける愛。
そうかー。
「そうかー。そりゃ大変だったな」
「お母さんが居てくれて助かった。恥ずかしかったけど」
「おまえのお母さんは嬉しかったんじゃないのか? 娘に頼られて」
「……なのかもね」
コップに2杯目を注(そそ)いでから、
「……それでね」
と言う愛。
「たまにはわたしも、素直になってみようと思って」
「うむ」
「――お母さんの言うことを、聞いてみることにした」
「それって――つまり」
愛は軽くうなずいて、
「わたし――がんばるのを、少し、お休みしてみようと思う」
と宣言する。
愛の宣言を咀嚼(そしゃく)して、おれは、
「――賢い判断だと思う」
と、言う。
「そう言ってくれてありがとう、アツマくん」
微笑の愛。
微笑には、微笑で返す。
…微笑み合って、なんとも言えない気持ちになる。
なんとも言えない気持ちになっているのは…向こうも、そうなはず。
「…行きつけのお店の美容師のサナさんがね、邸(いえ)に来てくれるって。わたしの髪、切ってくれるって」
「いいことじゃないか」
「ありがたいわよね。サナさんとなら野球の話もできるし」
「リフレッシュになるな」
「うん」
「しっかり散髪してもらえ」
「うん」
ボサボサ頭の愛も捨てがたいんだが……という想いは、こころの中にしまっておく。
それはそうとして。
「――なあ。このあと、おれの部屋来ないか」
「え!? 積極的」
「アグレッシブな日もあるさ」
「なに、それ」
おかしそうに愛が笑う。
…そのキレイな笑い顔を味わいつつも、
「おまえを……見ていたいから」
と、見方によってはかなり小っ恥ずかしいセリフを言う、おれ。
「どうしちゃったのよー。くすぐったいこと言うのねえ」
「や、ちょっとことばが足りんかったかも」
「足りなかったら足しなさいよ」
「ああ。
見ていたい、っていうのは……やっぱりおまえ、まだ本調子じゃないし。だから、そばに居てやれるときは、できる限りそばに居てやりたいっていう……。
ま、親心、みたいなもんだ」
「――親心なんて言っちゃやーよ。わたし」
「え、ダメ??」
「だって、アツマくん、わたしの親的(おやてき)ポジションとは、ちょっと違うでしょう?」
「……親的ポジションじゃ、ないのなら??」
「……フフフッ」
「……自重しろよ。はぐらかすようなリアクションは」
「ねえねえ、アツマくん」
「――?」
「今のわたしたちって――夫婦っぽいよね」
――なに言い出しやがる。
「今ってなんじゃ、今って」
「こうやって、ダイニングテーブルで見つめ合ってると――完全に、夫婦な気分」
「――ほざけ」
「眼を逸らしても、顔が赤くなり始めてるのは、隠せないわよー?」
「――ほざけよっ」