【愛の◯◯】葉山がおれのシャツを濡らせば……

 

愛の様子を見てやりに、きょうも葉山が邸(いえ)に来た。

 

「戸部くん、就職おめでとう」

いきなり言われる。

「まぁ、就職といっても――アルバイトの延長線上みたいなものなのかもしれんが」

「なに言ってるの戸部くん。たとえ元バイト先でも、正式な社員になるのよ? 就職って言わずに、なんて言うのよ」

「ま、まぁな」

 

たじろぐおれを葉山はジーッと見て、

「――もっと堂々としたらどうなの?」

とたしなめてくる。

 

「お、おい、なんか……攻撃的だぞ」

「なってないから、攻撃的になんか」

「堂々としたらって、どういうことなのさ」

「どういうもこういうもないから。

 戸部くん、あなたは――立派な社会人としての一歩を踏み出したんだし」

「……」

「背筋は伸ばしたほうがいいわよ」

「……猫背じゃないから」

 

おれから愛の部屋の方角に視線を転換して、

「あとは……羽田さんね」

と言う葉山。

「きょうもよろしくお願いするよ、葉山」

「……」

な、なぜそこで押し黙る。

 

おれにことばを返さないまま、ずんずんと、葉山むつみは、階段に向かって歩いて行く……。

 

 

× × ×

 

態度に違和感があった。

 

なんか、思うところでもあるんじゃないのか…葉山のヤツ。

 

× × ×

 

 

葉山が下りてきた。

浮かない顔だ。

ションボリして見える。

 

「…どうした?」

 

声かけ。

…応答することなく、ソファに腰を下ろす葉山。

斜め下向きの目線。

 

「おまえ、また、この前みたいに、体調が良くないとか…」

 

ふるふる、と首を振って、否定を示す。

 

体調不良じゃないならば…なんなんだ。

 

「…そうだ! メロンクリームソーダ作ってやろうか、おれ」

 

この提案にも、首を横に振って、応じてくれない……。

 

少しイラ立ち気味になって、おれは、

「なんだよ。ハッキリしねえなあ」

と腕を組みつつ葉山に言う。

それから、

「あいつと、部屋で、ギクシャクしちまって……それで、ダメージ受けてるとか」

とも。

 

葉山はシリアスな声で、

「そんなわけないでしょ」

とキッパリ否定する。

「ギクシャクなんか、してないわ」

 

……そうならば。

 

「……だったら、なんでそんなにテンション低いんだよ?」

 

「……」

 

「また沈黙かよ。

 ハッキリ教えてくれたほうが、おれとしては助かるんだぞ?」

 

「……」

 

「はーやーまー。たのむぜー」

 

 

微妙な沈黙が流れた。

 

 

約5分後。

 

突然に、葉山がソファから立ち上がった。

 

葉山の様子を立ったまま眺め続けていたおれのほうに、どんどん近づいてくる。

 

――近い距離で、おれと葉山は向かい合う。

 

 

「……戸部くん」

「……おう」

「……。

 わたしひとりじゃ……限界があるのよ」

「限界?? ……ど、どういうこった」

尖った視線をおれに突き刺し、

「――なんでわかってくれないの」

と詰(なじ)る、葉山。

「わかってよっ」

 

さらに、おれの前に近づく。

問い詰めモード……ってか!?

 

わたしだけじゃダメなのよっ、それぐらいわかってよっ!

 

「お…落ち着け。

 冷静に、冷静に」

 

冷静になってる場合じゃないのっ!!

 

詰め寄られる。

やべえ。

葉山のからだは……もう、眼の前。

 

……声を震わせて、

羽田さん、わたしひとりじゃ、支えきれない……

と、弱音を吐く。

 

「戸部くん」

 

「……?」

 

「あなたしか、いないの」

 

「おれしかいない……って」

 

「バカっ。どーしてわたしが言ってること、理解してくれないのよっ」

 

――それから。

葉山は。

倒れ込むようにして。

おれの胸に。

顔を。

埋めて。

 

お願いだから、羽田さんを、助けてあげてよっ!!

 わたしだけじゃ、無理なの!!

 戸部くんしか、いないのよ!!

 いちばん、羽田さんの、支えになってあげられる、人間は……

 

葉山の涙で。

おれのシャツは。

少しだけ、濡れて。

 

 

 

× × ×

 

葉山の眼の前に、メロンクリームソーダ

 

「……戸部くん。

 いろいろ、ごめんなさい。

 だけど、ありがとう。」

 

「……気にすんなよな。」

 

「するから。」

 

「そっか……」

 

 

遠慮がちに――ことばを交わし合う。

 

泣きついてきた葉山の感触は、まだ残っている。