サークル棟1階の隅っこに、『PADDLE』の『編集室』は存在する。
『編集室』のドアを叩くわたし。
叩いてから、
「戸部あすかです」
と名乗る。
『勝手に入ってきてくれ』と、結崎さんの声。
わたしはドアノブを回す。
× × ×
「もう、ノックしなくてもいい」
わたしに背を向けて、結崎さんが言う。
「ノックされると、作業のリズムが乱されてしまうんだ」
「…繊細なんですね」
「雑誌作りというのは繊細な作業だ。…分かるだろう?」
「――だけど、ノックもせずに突然だれかが部屋に入ってきたら、もっとリズムが乱されるんじゃないですか?」
「そんなことはない。勝手に入って来られるほうがマシだ」
依然として結崎さんはわたしに背を向けている。
わたしの顔を見てくれない。
「編集に没頭するのもいいんですけど――」
結崎さんの背中に向かって、
「少しは、振り向いてくれたっていいのに。」
彼のタイピングの手が止まる。
ささやかな沈黙のあとで、
「……5分。5分待ってくれ。5分したら、きみに向き合う」
× × ×
「お茶を買ってきました。わたしからの差し入れです。代金は要りません。
……エナジードリンクのほうが、よかったかもしれないけど」
「ありがとう」を言わずに、結崎さんはお茶を受け取る。
「何分、休憩します?」と訊いてみる。
「15分」と彼は答える。
「よかった。あの映画の話ができる」とわたし。
「あの映画?」と彼。
少し驚いたふうに彼は、
「きみ、『二銭銅貨』を観に行ったのか」
「ハイ。すっごく狭いシアターでしたけど。映画文化が盛んで、東京はいいですよね」
映画には、副題がついていたけど、そのことはまあいいとして。
あの短編をドラマティックな長編映画に仕立て上げるなんて……と感服しながら、わたしは鑑賞していた。
「『二銭銅貨』っていう短編小説にはドラマなんて無いように見えるんですよね。
だけど、映画の制作者は、一見ドラマなんて存在しないような短編から、ドラマを抽き出した。抽き出して、その抽き出したものを、約2時間の長編映画として、膨らませた」
一気に言って、わたしは、
「結崎さんが『PADDLE』に書いてくれなかったら、一生観ることのない映画でした。結崎さんさまさま、『PADDLE』さまさまでしたよ」
と付け加える。
さらには、
「どうやったら、あんなマイナーな映画の情報を、見つけられるんですか?」
と、彼に迫っていく。
「百聞は一見にしかず……じぶんの足を使って、ミニシアター系の劇場を、回っているから」
「あー。…じゃあ、大学の講義に出てるヒマなんて、ありませんよね」
苦い顔。
遠慮はいらない、遠慮しないほうがいい…と思ったから、わたしは毒舌になった。
自責の念があるのか、苦々しい顔で、結崎さんはうつむきまくっている。
「結崎さん」
「……」
「講義、出ませんか?」
「……」
「ひとりだけで『PADDLE』を編集してると、負担が多すぎるでしょう。結果、講義に出られなくなる」
「……」
「つまり、わたしはなにが言いたいかっていうと――結崎さんの負担を減らすために、編集作業をアシストしたいんです」
「……アシスト?」
「今週は毎日この部屋に来てるのに、ぜんぜんPCも触らせてもらえないし、つまんないんですよ、わたし」
「きみも……編集作業がやってみたいということか」
「まさに! わたし、結崎さんの助手になりたい!」
「助手って……」
「高校時代、校内スポーツ新聞をひたすら作っていたので、編集スキルならあります」
「新聞ではなく、雑誌なんだが」
「結崎さんがアドバイスしてくれたら、すぐに呑み込みます」
軽く腕組みをして…結崎さんは、
「きみの自信満々は、どこから来ているんだ……戸部さん」
「『戸部さん』じゃなくって『あすかさん』って呼んでほしいんですけど」
「ぬ……」
「ねっ? お願いしますよ~」