放課後。
旧校舎の近くを歩いていたら、ひとりの女子生徒が、眼の前に現れた。
放送部部長の猪熊さんである。
「待ち伏せ……してたの?」
どこからともなく姿を現したみたいだったから、ドッキリしちゃったよ……猪熊さん。
「あるいは、そう言えるのかもしれませんね」
「き、きみにしては珍しく、ハッキリしない物言いだね」
「……。
学食に行きませんか」
え?
お誘い??
「羽田くんに用があったのは……事実です」
× × ×
このシチュエーションは何ヶ月ぶりだろう。
学食のテーブルで、ふたりっきりで向かい合う。
ぼくと猪熊さん以外のだれもいない空間。
静かな空気のなかで、自販機のボタンを猪熊さんが押している。
「…バナナジュースか。前回と同じだね」
「前回? …去年の2学期のことでしょうか」
「そう。そのときもきみは、バナナジュースを飲んでいた」
「記憶力がいいんですね」
「そうでもないよ」
「ありますよ」
珍しく? ぼくを立てる猪熊さん。
…猪熊さんと交代で自販機に向かい、少し迷ったのち、アップルサイダーのボタンを押した。
「アップルサイダーですか」と猪熊さん。
「バナナにはリンゴだと思って」とぼく。
「希少ですよね。アップルサイダーがある自販機なんて」と猪熊さん。
そうなのかなあ。
「――羽田くんは、自動販売機やソフトドリンクに、詳しいんじゃないですか?」
え。
「いかにも詳しそうに見えるんですけど」
……そんな認識なの。
「あのね。脳のなかに百科事典が入ってるわけじゃないんだよ」とぼくは言う。
猪熊さんは苦笑ぎみに、
「そこまでオーバーに認識してるんじゃありませんから」と返す。
続けざまに、
「だって。だって…脳内に百科事典が入ってるんだったら、羽田くんはもっと成績優秀者なはずですし」
と言ってくる…猪熊さん。
× × ×
「…きみのほうが成績が上なのは、確かだ」
「まあ、確かでしょうね」
「理数系科目は、ドッコイドッコイだけども」
「社会と国語は、羽田くんより、はるかに上」
「…きみに勝ってるのは、英語だけ」
「うかうかしてると、英語も追いついちゃいますよ?」
まさに…不敵な笑みの彼女。
「ね、ねえ。ここに来てから、しょうもない雑談しかしてないじゃないか、ぼくたち。グズグズしてたら日が暮れるよ。用件があるんでしょ? 用件が――」
「そうですね、羽田くんに訊きたいこと、あります」
「いったい、なに?」
「――その前に」
「??」
「わたし、誤解を招いてしまったみたいで」
「???」
「まあ…誤解を招くようなことを言ったのは、ヨーコなんですけど」
小路さんが、誤解を招くようなことを?
……記憶を、ほじくる。
……もしや。
「もしかすると、『放課後になるやいなや、猪熊さんが、男子とふたりで、学校を出ていった』疑惑?」
「そうです。それです」
「先月、だったよね……。アレは結局なんだったの」
彼女は、余裕の微笑みで、
「気になるんですか?」
「だって……事態が、事態だし」
「――ぜんぜん、大したことじゃないですから」
「……」
「あのとき、わたしといっしょに校外に出た男子は、陸上部の外江(とのえ)くんです」
外江くん。
理系クラスの、文武両道で名高い男子だ。
「外江くんと……なにを?」
「あの日は、他校との定期交流会の日だったんです」
「定期交流会……? あったかな、そんなの」
「妙なところで情報に疎いんですね。驚きです」
「…ごめん」
「しょぼくれないでください。
話を先に進めると……わたしと外江くんは、桐原高校の代表として、定期交流会に赴いたんです」
あっ。
もしかして。
「どうやら、把握してもらえたみたいですね。…つまり、わたしが文化系クラブ活動の代表、外江くんが体育系クラブ活動の代表で、会に出席したというわけです。それだけのことなんです」
なるほど…。
「…小路さんが、思わせぶりだったからさ」
「どんなふうに騒いでましたか、ヨーコは?」
小路さんのはしゃぎっぷりを伝えるぼく。
「はあ……」と猪熊さんは、それなりに大きなため息。
「もう、怒る気力もないです」
無理もない。
無理もないので、
「放っておこうよ。放っておくのが、小路さんにはいちばん、こたえるよ」
「……あの子に容赦しないという点では、わたしと羽田くん、一致してるみたいですね」
「目に余るから」
「たしかに。
ところで――」
「――んっ??」
「どうやらわたし、本来の用件を忘れてしまったみたいなんです」
「……きみはきみで、先が思いやられるよ」