台所で食器を拭いていたら、流(ながる)さんがやって来た。
「あ。流さんだ。
コーヒーでも飲みたくなりましたか?」
「どうしてわかるんだい。すごいな、愛ちゃんは」
「…いつから、いっしょに住んでると思ってるんですか」
「…いつからだっけ」
どうしてそこでとぼけるかなー。
ま、いいや。
「舐めないでください。経験に裏打ちされた、わたしの冴え渡る直感を」
「タハハ…」
「ちょっと待っててくださいね。すぐにこの食器終わらせて、コーヒー淹れてあげますから」
× × ×
ミルクは入れないけど、角砂糖はひとつだけ入れる流さん。
いつもどおりだ。
「――愛ちゃんは」
「はい?」
「いつから、コーヒーをブラックで飲むようになったんだい?」
「このお邸(やしき)に来たときには、すでに」
「それって――中2の秋、だったよね」
「そうですよ」
「そんなころから……」
「早熟だったんです、コーヒーに関しては」
「ほんとうだね。
……でも、どうしてきみは、そんなにコーヒー愛が強いんだろうか?」
「あれー?
説明したこと、なかったですかー? わたしがコーヒーを愛する理由」
「……語って、くれたかな」
「語ったはず」
「ごめんよ……」
「いえいえ」
いまここで、コーヒー愛の理由を語ってもいいんだけど。
長話になっちゃうしなー。
自重。
コーヒーを飲み終えた流さんが、
「愛ちゃんの大学も、長期休暇に入ったみたいだけど」
「入りましたねぇ」
「大学の1年目は、どうだった?」
…わたしはイジワルに、
「どうだった、と言われても。漠然とし過ぎじゃありません?」
笑顔を作って、牽制する。
「ぼ……ぼくにも、きみの大学での様子を知っておく、義務と権利があると思っててさ」
「――かもしれないですね。流さん、戸部邸のお兄さんポジションなんだし」
わたしはテーブルに片肘をついて、
「知りたいことって――、具体的には?」
「ええーっと、きみはたしか、哲学専攻で」
「はい、哲学です」
「哲学専攻では……どんなこと、してるの」
「哲学をしています」
「……??」
「哲学をすることを、学んでいるんです」
「……なんだか、深いんだね」
「ですかー?」
「大学教授っぽくない先生もいて。哲学者のイメージとはぜんぜん違うんですけど、単著を出されているんです」
「大学教授っぽくない、とは?」
「高校の先生っぽいんですよねー。ラフな格好で講義にやって来て、スーツなんかしてるところ見たことない。哲学の演習なんですけど、なんだか大学というより、高校の授業みたいな雰囲気で」
「…なるほど」
「教授の肩書きがなかったら、どこにでもいるオジサンにしか見えない」
「そ、そこまで言っちゃうか」
「言っちゃいます、あえて」
「…学問が楽しそうで、よかった。ところで、サークルのほうはどうなんだい? 漫画研究部兼ソフトボール部、だったっけか」
「違います。『漫研ときどきソフトボールの会』が、わたしのサークルの名前です」
「おぼえてくれると、嬉しいかなーって♫」
「サークルの名前は、おぼえていてほしいんですけど。
サークルのことなんかよりも、」
「……えっ?」
「わたし……流さんのほうからも、近況報告をしてもらいたいかなー、って」
「……無茶振り??」
女子高生みたいに、イジワルに微笑んで、
「――就職のことですよ。」
と、流さんを揺さぶっていく。
「だってー。なかなか就職先のこと、教えてくれないんだもん、流さん。」
「あっ…」
「約束しませんでしたー? クリスマスには、どんな仕事に就くか、教えてくれるって」
「うっ」
「クリスマスからもう、2ヶ月ですよぉ??」
さらに、生意気っぽく、
「ひどいんだからー、もうっ」
と、彼を追い詰めていく、わたし。
性格悪くてゴメンナサイ。
「参っちゃうな、愛ちゃんには」
「就職先教えてくれないかぎり、小悪魔モードです」
「いや、小悪魔、って」
苦笑いながらも、彼は、
「大学職員だよ」
「――職員って、どこの?」
「母校の。――院の修士を終えてからも、母校に居残り続ける、というわけだ」
ほーっ。
「ちょっと、意外かも」
「そ、そう?」
「それにしても。
ずいぶん、引っ張った割には……驚きのない、就職先でしたね」
「……平凡でごめんよ」
「就職先は、平凡かもしれないけど」
「ん?」
「流さんは、平凡じゃないですから。…そのことは、こころに留めておいてほしいなー、って」
「…ほめられてるの? ぼく」
「えへへー☆」
「……そんなリアクションじゃ、わかんないよ」