講義が終わって、一目散に学生会館に飛んでいき、『MINT JAMS』の入り口まで来る。
ムラサキ、いるかな? と、期待してドアを開けた。
……だが、期待とは裏腹に、中には星崎姫がひとり座っているだけ。
思わず、舌打ち。
すると、おれの舌打ちを敏感に感じ取ったらしき星崎が、にらんでくる。
にらみ返すように、
「――星崎おまえ、どうやって部屋に入ったんだよ。会員でもないくせに」
「開けてくれたのよっ、会員の男の子が。川原くんだっけ、下原くんだっけ? ――彼に。部屋を開けたら、どっかに行っちゃったけどね」
大きなため息をつくおれ。
「どうしてそんなオーバーリアクションで落胆するわけ!?」
「ムラサキが、いてくれてると思ってたのに……よりによって星崎」
途端に、星崎がのけぞるようにして、
「ムラサキくんのこと……そんなに好きなの!? 戸部くん」
「当たり前じゃ。貴重な後輩男子は、可愛い」
「うわぁ……」
「『うわぁ……』ってなんだよ」
「ドン引き」
こいつまさか。
「星崎よ……100パーセント、良からぬことを想像してるだろ、おまえ」
「戸部くんの言動のせいだよ!」
「おれはムラサキを好きで可愛い後輩だと言ったまでだ!」
「それがいけないんじゃないの!!」
× × ×
「はぁ」
「はぁ」
……疲れて、互いに同時にため息をついた。
おれは、くたびれた視線で、星崎を見ながら、
「なあ……もうおまえ、このサークル部屋に常駐してる感じなんだし、いっそのこと正式な会員にならんか? 部屋のロックも、じぶんで解除できるようになるし」
「……いま、どんな時期か、わかる? 戸部くん」
「3年の、秋」
「3年の秋にもなって、いまさら入会しろとか言うわけ」
「入会時期は問題にならん。そこらへんは緩くて自由なのが、ウチのサークルだ」
「はぁ……」と、またため息をつきながら、
「なんだか、サークルにうつつを抜かしてる、って感じだよね……」と星崎。
そこからがひどかった。
星崎が、お説教モードに入ったのだ。
「甘いよね」
「遊んでる場合?」
「1年後のこととか、なんにも気にしてないわけ?」
「『就活』の漢字2文字が、戸部くんの辞書にはないんだ」
「意識がべつに高くなくても、動いてる子たくさんいるよ。戸部くんの意識、低すぎ」
「キャリアセンターの場所も知らないんじゃないの!?」
「どうせ、自己分析の具体的なやりかたもわかんないんでしょ」
「わたしはやってるよ、自己分析」
「企業研究だってしてる」
「グズグズしてると、内定1個も出なくなるよ。――これ、脅しでもなんでもないから。当たり前のことを、ありのままに言っただけだから」
「――痛い目に遭うのは、じぶんなのよ!? 社会、なめすぎ」
× × ×
「なによー、ずいぶんくたびれてるわねー。体力だけが取り柄のアツマくんなのに」
「……ちょっと、理不尽なことがあって」
「理不尽?」
「理不尽なんだけど、いっぽうで、筋は通ってたんだ」
「なあにそれ? アツマくんのダメージの原因が、さっぱり見えてこない」
「……だよな。ごめんよ」
「消え入りそうな声で謝るのはやめてよ」
居間のソファで絶賛消耗中のおれに近寄って、愛は、じぶんの右手の人差し指を、ちょこん、とおれのオデコに当てる……。
「ダメだから。そんなんじゃ。元気出せっ、アツマ」
愛の呼び捨てを咎(とが)める気力もない。
「あなたの部屋で、話を聴いてあげるから」
穏やかに笑い、愛は言う。
× × ×
「――それは、星崎さんが正しいわよ」
「……」
「ま、星崎さん、若干言い過ぎな印象もあるけど、それでも」
「……」
「いつかは自立しなきゃ。――そうでしょ? アツマくん」
『自立』という漢字2文字が書かれた巨大な岩が、おれの頭にぶつかってきそうだ。
「働いたら負けだとか、思ってるわけじゃないんでしょ?」
「……アホか。そんなこと思うほうが、おかしい」
「だったら、がんばろーよ。自立に向けて」
背後のベッドに座って、激励してくる愛。
「わたしだって――自立する、ってのは、大きな目標だし」
「……早すぎないか。大学入ったばっかりで、ひとり立ちのことを考えるとか。おまえが……そんなに、真面目だったとは」
「ときどきは真面目よ。いくらあなたが性格ブスと言おうと」
愛がベッドから降りる。
あぐらをかくおれの背後に限りなく接近する。
優しく、やわらかに、おれの右肩に、手を乗せてくる。
……それから、もう片方の手で、左肩をぎゅっ、とつかんで、おれの背中全体に、じぶんの体重をかけてくる。
「――逆に緊張しちゃうかしら?」
「――るせぇよ」
「ことばだけじゃ不十分だから、からだでも、なぐさめてあげたくって」
「アホ」
「今晩何回『アホ』って言うつもりなのよ、あなた。おかしい♫」
まぶしくてキレイな、栗色の髪が――おれのほっぺたに、触れる。
ちょっとだけ――ダメージが、癒(い)える。