愛が、テーブルの前に座り、鉛筆をクルクルと回している。
「おーい」
「……」
「おーい」
「……」
「おーいってばっ」
「……」
なんだ、コイツ。
まるで反応しねえ。
うわの空(そら)状態だ。
考えごとにふけり中、ってか??
ラチがあかない。
こんなときは、実力行使だ。
……愛が持っている鉛筆を、ひょいっ、と奪い取る。
「あ」
「『あ』じゃねーからっ。ちょっとはおれの気配に気づきやがれ」
「――ごめんなさい」
反発がない。……ヘンな気分だ。
「――あのね」
「んん?」
「きのう、わたしが出かけるとき、あなた、言ったでしょ。『友だち付き合いは大事に……』って」
「……言ったが」
「あのことばを、ひたすら、朝から噛みしめているわ」
……なにがあったんじゃ。
「大井町さんと美術館に行ったんだよな? ――トラブルでも、起こったか」
非常にビミョーな顔つきで、愛は、
「――教えない」
「ええぇっ……」
「デリケートだから……敏感肌みたいに」
おい。
× × ×
「ところで、おまえ、大学の講義は?」
「きょうは、休講よ」
「またかよ!?」
「教授が、持病の癪(しゃく)で――」
「――信じていいんだよな、それ」
「あなたこそ、どうなのよ? アツマくん」
「夕方に、ひとコマ。だから、まだ慌てて出なくてもいい」
「よかった」
「なにがだ」
「受け入れ体制は……バッチリね」
?
「どんな受け入れ体制だよ。もっと詳しく言ってくれや」
時計を見上げて、愛は、
「――あと30分したら」
「したら??」
「アカちゃんとハルくんが――お邸(やしき)に来るわ」
ズッコケそうになるおれ。
――いや、実際にズッコケるわけはないが、そんなこと、いっさい知らされてなかったので。
「な、なにしに来るんだ!? そもそも、あのふたりにしたって、大学に通わなくては、なんじゃあ……」
「教授のテレビ出演があるから、アカちゃんの講義は休講」
「……」
「ハルくんに関しては、不明」
「ふ、不明なのかよ。不安だな」
× × ×
「モヤモヤしてるんです。わたしたち」
アカ子さんはそう切り出した。
え……ケンカか!?
ううむ……。アカ子さんとハル、お互いに、ピリピリしてるようにも……見えなくもない。
「いいかげん、機嫌を直してくれないかな」
そう言ってハルがアカ子さんのほうを向くが、彼女はツン、としてしまう。
「ハル。……なにがあった?」
「それはですね――」
言いかけたハルをさえぎって、
「ハルくん! 言わない約束でしょう」
すごい剣幕で……アカ子さんが、ピシャリ。
「アツマさん。詳しくは話せませんが、ハルくんがとっても無神経なことをしたんです」
「そう言われちゃうと……ますます気になるんだけど、おれ。アカ子さん、やっぱり詳しく話してくれない?」
なぜか、顔を伏せるアカ子さん。
彼女の顔が、急激に熱を帯びる。
おれのとなりの愛が、いきなり腕をつねってきて、
「あなたってほんっとう、デリカシー欠乏症よねえ!!」
「んなっ……!」
「ちょっと口にチャックしててよ!!」
……おれにそう、ガミガミと言ったかと思えば、アカ子さんに向かっては、優しさに満ちあふれた口調で、
「――ハルくんのほうに非がある、っていうのは、ふたりのあいだでは、合意が成立してるのよね?」
「……ええそうよ、愛ちゃん。あとは、ハルくんに対する『罰』の重さだけ。」
「……そこで考えが合わないんだよな」とハル。
罰?
「いったいどれくらい、おれが罪を償(つぐな)えばいいのか。……そういう点で、アカ子と意見がどうにも一致しないんです」
「損害賠償的な……なにかか」とおれは問う。
「まあ、裁判みたいな駆け引きかもしれませんね」と苦笑いのハル。
「おいおい、物騒だな」とおれ。
おれの腕に爪を立てながら、
「要するに、賠償金の多い少ないで、もめてるんでしょ?」
と愛がハルに問う。
「そうなんだよ。おれが、アカ子にいくら支払うかを、『ここ』で決めたいんだ」
?? 『ここ』って??
「ハル――『ここ』で決めるって、どういうこった」
「アツマさん」
ハルは言う。
「お願いがあるんです。――このお邸(やしき)の裏庭に、バスケットコートがありましたよね?」
「……あるけど?」
「1on1(ワン・オン・ワン)だったら、じゅうぶんにできる広さでしたよね?」
「……できる。できる広さ、なんだが……おまえら、まさか」
「バスケで決着つけたいんです」
衝撃的な発想の突飛さ。
「おれが勝ったら、おれの提示した額。アカ子、きみが勝ったら、きみの提示した額。――恨みっこないよね?」
「ないわよハルくん。さっそくだけど――わたし、着替えてくる。愛ちゃん、1階のお部屋を借りるわね?」
「どうぞどうぞ、アカちゃん。空き部屋を、ご自由に」
アカ子さんが……着替えの部屋に、向かって行く。
× × ×
「なーに立ちすくんでんのよっ」
「そんなに……おれんちのバスケットコートが……使いたかったんか、あのふたり」
「協議の末の結果、なんでしょ」
「にしてもなあぁ……。なにがあったか知らんが、ハルが謝って、それで水に流す、じゃ、いけなかったんかいな」
「そういうところが、デリカシー欠乏だってゆーのよ!」
「はぁ?」
「たとえば」
「たとえば?」
「いま、アカちゃん着替え中だけど。……彼氏に、じぶんが着替えてるとこ見られたりしたら、どうよ? もちろん、彼氏のほうは、不可抗力だとして」
「それは……彼氏にとっては、いわゆる『ラッキースケベ』ってやつだろ」
「これだからオトコはっ」
「――えっ」
「どーして彼氏のほうの立場でしか物事を考えられないの!?」と言われるがままに……足を踏まれていた。