スカートのホックを留める。
ベルトを回す。
鏡で、じぶんの顔を見て、小さくため息をつく。
わたしは、じぶんの顔が、好きになれない。
もっと柔らかい顔立ちだったらよかったのにな、と思う。
人当たりが強い性格だということを、自覚している。
その攻撃性が、ダイレクトに顔に反映されているような気がして。
こんな顔を好きになるひとなんかいるんだろうか。
こんな顔を好きになる異性なんかいるんだろうか……。
……文化祭の後夜祭のとき、わたしに手を差し出した彼。
濱野くん。
濱野くんは、わたしのどこを気に入ったの?
顔を、気に入ってくれたとしたなら、それはそれで、戸惑う。
わたしは――鏡の前で、笑ったことがない。
きょうも、鏡に映る眼つきが、キツい。
母にドアをノックされて、我に返る。
登校する時間が迫っていた。
× × ×
放課後。
進路指導室を退室して、廊下に出たときだった。
向こうから、濱野くんが、歩いてきていた。
彼は立ち止まる。
真っ正面のわたしと、微妙な距離感。
わたしもその場から動けない。
いきなり、ばったり出会ってしまったから、どうしていいのかわからない。
彼はわたしに言う。
「徳山さん……ここ、よく来るの?」
「……ほとんど常連よ」
「……そうなのか」
「濱野くんこそ……」
「おれはめったに来ないよ。2学期になってから、初めてだ。受け取りたい資料があったから」
「じゃあ……早く、用を済ませてきたら」
「きみの言うとおりだ」
「きみの言うとおりだ」と彼が言った瞬間に、胸の奥がざわり、とした。
なぜなんだろう。
彼の声音(こわね)に対する、過剰反応?
それとも、彼の整った顔立ちが、真っ正面から、わたしに食い込んできたから……?
数分で濱野くんはふたたび廊下に出てきた。
この場所に、わたしと彼だけ。ほかにだれも来る気配がない。
また、見つめ合いになる。
見つめ合い続けになるのが苦しくて、わたしは、窓際のほうに、微妙に顔を傾ける。
「徳山さん」
「……」
「お願いが、あるんだ」
動揺と不安が、混ざり合う。
「せっかくだから。せっかくだから……いっしょに、帰らないか」
× × ×
何人かの生徒に目撃された。
そのなかには、同じクラスの男子もいて――あしたが来るのが、怖くなる。
金曜日なら、よかった。でもきょうは木曜日だ。
それは、あしたも学校がある、ということで……だれかしらに、なにかしら言われるのは濃厚で。
後夜祭でいっしょに踊ってしまった時点で、目立ちすぎるくらい目立ってしまっているのに。
これ以上、目立ちたくは、ないのに。
「……濱野くんは、怖くないの」
「なにが?」
「冷やかされたり、茶化されたりするでしょう、確実に」
「まあね。……でも、怖がりなんかしていない」
「わたしは……今夜、眠れなくなると思う。こんなところ、同級生の男子にも見られて、すごく後悔してる」
「後悔してるにしては……ずっととなりにいるよね」
「この期に及んで、あなたから走って逃げたりしたら、もっと注目を浴びるし、それに――そんなみっともない真似は、したくないから」
「――覚悟が決まってるんだな」
「仕方がないからよ」
自転車が、何台か通り過ぎていく。
どの自転車も、乗っていたのは、じぶんの学校の生徒。
「……息苦しいわ」
「ごめん」
「謝らないでよ。いまさら」
「おれから謝るべきことは、ほかにもあって」
「ほかにも……?」
「LINE。LINEであんまりやり取りできてなくって、ごめん。連絡先交換したのに、ずっと、放置してしまってた」
「LINEが放置されてるのは、どっちのせいでもないでしょ? ……そもそも、つきあってるわけでもないんだから」
「――残酷なぐらい、ストレートに言うんだね」
「事実でしょう」
「これ以上ないぐらい、はっきりした物言いだ」
「あいにくね」
「――きみと踊って、正解だったよ」
「……どういうことよ、正解って」
「後夜祭のとき、きみに、手を差し伸べた理由――」
わたしの前に立って、背中を向けて、
「――理由は、きみのそういう性格が、ずっと前から、気に入っていたから。はっきりした物言いで、ことばを濁すことがない。なにに対しても、物怖じせず、立ち向かっていく。それになにより……真面目だから」
なかなか、返すことばが、出てこない。
苦し紛れみたいに、
「濱野くんは……わたしの『中身』だけを……見ているの?」
と言ったけれど、余裕がなくて、不用意な言いかたになってしまって、後悔する。
『中身だけしか見てくれていないの』という思いを、隠せなかった。
慌て気味に、
「――いいえ。ごめんなさい。わたし、変なこと訊いちゃった。厚かましいこと言っちゃった。忘れて」
ゆっくりと、振り向く、濱野くん。
振り向きざまに、
「中身『だけ』なわけ、ないじゃないか」
心臓が飛び跳ねる音が聞こえてきそうだった。
「いい顔してる、なんて言ったら――怒るかな」
「……」
「端正な顔立ちで、スタイルもいい、なんて言ったら――もっと怒っちゃうか」
「――『スタイルもいい』が、余計」
「やっぱり。」
「女子に『スタイルいい』なんて言うのは――不用意。喜ぶ子も、いるんだろうけど」
「だよな。失言した」
「許してあげる。政治家の失言とは、わけが違うんだし」
「うん……」
舞い降りる、沈黙。
なにか言うべきなの、という焦り。それと、なにか言ってきてよ、という焦り。
「でも……」
伏し目がちのわたしに対し、ゆっくりと濱野くんは言う。
「やっぱり……『中身』だよ、きみは」
なんとも言えない、気持ち。
ことばの続きを、ひたすら待つしかなくて。
「人間は見かけじゃないと思う。見た目以上に、きみの中身が好きだ」
「……わかってるわよね? 『人間は見かけじゃない』なんて、濱野くんみたいな外見の人間が言っても、果てしなく説得力に欠けるって」
「わかってる。わかってるからこそ、おれは押し通す」
「押し通すって……」
「きみの中身が好きだという気持ちを、曲げたりしない」
その場に、立ち尽くす。
濱野くんは、わたしの様子を、静かに見ている。
考えて、考えて、考えて、考え続けて……。
ようやく、口を開いて。
「……宿題を、出すわ」
「宿題、か」
「ええ、宿題よ」
「どんな?」
「きょう、濱野くんに言われたことで……わたしが、いちばん嬉しかったのは、なにか。それを、考えて」
「――ムズいな」
「ちゃんと考えてきてね。わたしを、嬉しい気持ちにさせたからには」