「羽田くん、放送部の猪熊さんが……」
教室の入り口から野々村さんが呼びかけてくる。
ぼくが教室の入り口に来るのと入れ替わりに、野々村さんが離れていく。
離れぎわの彼女が、猪熊さんに対し、冷たい視線を送っていたような気がするけど……気のせい……だよね?
「猪熊さん、どうしたの」
猪熊亜弥(いのくま あや)さん。桐原高校放送部の新部長である。
教室まで呼びに来るなんて、ちょっと予想外だ。なんの用件なんだ?
「わたしといっしょに来てください」
「え、なんで」
「お話があるんです」
「……いっしょに来て、って、どこに」
「学食がまだ開いているはずです」
「学食で?」
「人目につきにくいし、話すには好都合です」
んーっ。
「猪熊さん。人目につきにくいって言うけどさ。
この時点で、けっこう――注目を浴びてるよ、ぼくたち」
後ろからの、クラスメイトの視線が痛いのである。
猪熊さんは、動じることなく……じーっとぼくを見つめてるけど。
× × ×
たしかに放課後の学食は好都合なのだ。閑散としていて、あまり人目につかない。だから、話し込むにはもってこいの場所とも言えるのかもしれない。
密談、というかなんというか……。猪熊さんはほんとうに、密談をやりたそうな気配だ。
正直、戦々恐々としている。
先週の、『宣戦布告』。いままでよりも、なおさら強い態度で、猪熊さんはぼくに接していくものと思われる。
「羽田くんはなにを飲みますか?」
学食内の自販機の前で猪熊さんが言う。
「猪熊さん……100円玉なら、あるけど。悪いよ、おごられるなんて……」
「わたしは羽田くんがなにを飲みたいか訊いているんです」
ぐぅっ。
「100円の出費が200円になるぐらい、どうということはないじゃないですか。……早く飲みたいものを言ってください」
「……じゃあ、カフェオレ」
「ホットとアイス、どっちですか?」
「アイス」
うつむきがちのぼくの前に、紙コップが置かれる。
猪熊さんのほうの紙コップに入っているのはバナナジュースらしい。やや意外。
ぼくは紙コップに口をつけずに、
「あのさ……やっぱりさ、敬語で話されるのは、堅苦しいよ。猪熊さんだって普通にしゃべれるでしょ? タメ口で」
同じ2年なんだし……。
――彼女は、ゆっくりとバナナジュースを飲んでいく。
そして、
「KHKと放送部は、昔はかなり仲が悪かったそうですね」
ぼくの話を……聴いてくれよ、猪熊さん。
「まあ、昔といいましても、KHKの独立から、まだ2年も経っていないようですけども……」
「猪熊さんっ」
「なんですか」
「きみの……言いたいことが、見えてこないよ」
「そうですか。ならば、話を端折(はしょ)って――」
「そ、そうしてくれ」
「――このままいくと、KHKは、メンバーが羽田くんひとりになってしまいますよね?」
そのことかっ。
「……わかってる。3年に上がったら、新しいメンバーを集めなきゃいけない」
「率直に言いますけど、できるんですか? 羽田くんに」
「メンバー集めが、できるかどうか? ――やるしかないよ。KHKを存続させるためには」
「はぁ」
い、いきなりため息かっ。
やれやれまったく……というふうな顔で猪熊さんは、
「やるしかない、と言いますけど。どれだけ、現実を見ていますか? 可能性を、高く見積もりすぎていませんか?」
ぼくは、猪熊さんの言ったことを、あたまのなかで噛みくだいて、
「つまり――来年度、ぼくがKHKでひとりぼっちになる確率は、極めて高い――きみは、そう思ってるんだね」
「はい。――そして、羽田くんだけのクラブになると、KHKの将来が極めて危うくなるのは、目に見えています」
考える。
どうして彼女は……KHKのことを、ここまで気にしてくれてるんだろう。
「気にかけて……くれてるの? 放送部部長のきみにとっては、むしろKHKは鬱陶しい存在なんでは……」
探りを入れるように、言ってみたのだが、
「――『鬱陶しい』?」
「だっだってさ、放送系クラブが共存してると、不都合も――」
「心外ですね」
…怒らせてしまったッ!?
「鬱陶しいなんて、微塵(みじん)も思っていません。誤解です。放送系クラブが共存していくことに、不都合は存在しない……わたしの考えは、むしろ、こうです」
「じゃあ、やっぱり、気にかけてくれてるんだ」
「勘違いしてほしくないのは、」
「ないのは…?」
「べつに、羽田くんのことを助けてあげたいとか、思っていないんですからね…ということです」
「……」
「……わたしは、羽田くんに、もっと『自覚』を持ってもらいたかったんです。KHKの先行きが、羽田くんにかかっている、という『自覚』を」
「そっか。――厳しく言ってくれて、ぼくとしては、ありがたいよ」
ありがたいよ、と感謝されたのが、想定外だったのか、ぼくから視線を逸らし気味になる彼女。
そんな彼女に、
「ところでさ」
と言って、
「なんども言うみたいだけど――敬語は、やめにしようよ。肩がこらない? そんな話しかたを続けてると」
「……肩が、こる?」
「もっと、自然な感じで――」
「……」
「――猪熊さん??」
ここに来て……戸惑いが、彼女の顔に現れ始めている。
なぜ??
「羽田くん」
「――うん」
「『自然な感じ』とは……いったい、なんなんでしょうか? わからないです、わたしには」
ああ。
そうか。
そういうことか。
ぼくは、言ってあげることにする。
「たとえば、いまのきみの様子。戸惑い加減になっているところが。」
「わ……わたしっ、戸惑ってなんかっ」
「『自覚』、ないかな? 顔つきも、話しぶりも、いまのきみは、ホントに自然体だよ」
「――もてあそぶように言うのは、やめてくださいっ」
瞬時に立ち上がって、背中を向ける。
どうしていいか、わからなくなっちゃったのかな。
「猪熊さん。バナナジュース」
「はい!?」
「残ってる。バナナジュース」
「……飲んでください」
「……キツい冗談だね」