お邸(やしき)宛てに、利比古くんへのバースデープレゼントを送った。
あれで――良かったのかなあ?
本の、プレゼントを、送ったんだけど――。
本を選んで、プレゼントするのって、結構勇気が要る。
というかそもそも、本をだれかにプレゼントすること自体が、初めて。
その初めてが……利比古くんっていう、男の子。
齋藤孝さんの『読書力』(岩波新書)の、196ページからの「本のプレゼント」という節を、読み返してみた。
でも、読み返しても、なんだかよくわからなかった。
問題なのは、わたしが贈った本を利比古くんが読んで、どんな反応を示すかだ。
こんど、彼と会うようなことがあったとき、贈った本のことに話が及ぶかもしれない。
贈った本を読んで、彼がどう感じたか――それを聴くことの、不安と期待。
読んでも、なにも感じなかった――が、最悪のパターン。
彼に響かない本を贈ってしまったのなら、完全なる失敗だ。
選書ミス、の可能性が怖くて……夏なのに、背中が冷え冷えとする。
× × ×
喫茶店フロアのカウンターに頬杖ついて、
「はぁ」
とため息ついていた。
そんな、わたしの不安な背中に、
「しょぼくれて、どうしたよ」
と、父が声を浴びせる……。
「しょぼくれとは、ちょっと違うよ。…いつの間にここに来たの、おとーさん」
わたしはムーッとにらむように父を見る。
「お盆で店休日にしたから、ヒマなんだ」
「…あっそ」
わが家――喫茶店『しゅとらうす』は、お盆休みに突入していた。
家族で帰省するでもないのに。
「さいきん、疲れてたから、ここで盆休みが入るのは、ちょうどいい」
「なにを言ってるの。おとーさん、そんなに疲れてないでしょ」
「オトナにはオトナの気苦労が――」
「どうでもいいっ、おとーさんの気苦労なんか」
さりげなくわたしの左肩に手を置く父。
ウザい。
「くたびれてるのは、ほのかみたいだな」
「……」
「おいおい、ソッポ向くなよ」
「……」
「考えごとか?」
「べ・つ・に」
「――ほのかが物思いのときの、典型的な突っぱねかたじゃんか」
「べ・つ・に!!」
じぶんの部屋に逃げ込もうとして、立ち上がった、その瞬間、
「好きな男の子でも、できたか?」
――父がそう言って、
よろめくぐらいの衝撃を受けて、
それから、ひとりでに上半身の体温が上がってきて、
それで、それで――。
× × ×
母が部屋をノックした。
『ほのかがひきこもっちゃった、ってお父さん嘆いてるよ』
ひきこもらせるようなこと――言うからでしょ。
父に謝ってほしい気持ちすら――浮かんでこない。
『夕ごはんできちゃうよ、ほのか。
お父さんだって、きっと反省してるよ』
「――あとで、おかずあっためて、食べるから」
ドアに向かって言う。
父を直視する危険性があるのに、家族3人で夕ごはんなんて、ムリ。
『ひとりで食べるつもり?』
母がドアを開けた。
「おかず、久々に、お魚なんだけどなー。焼き魚」
お魚。
…週明けから、お肉系統のおかずしか、食卓に乗らなかった、川又家。
牛肉・豚肉・鶏肉・ミンチ肉・ハムソーセージベーコン…と、お肉系食材のオンパレードに食傷気味だった、わたし。
ついに、母がやる気を出してくれたのか――、焼き魚が、食卓に乗る…!!
「…うれしそうね」
「やっとお魚が食べられるし」
「そんなにほのかはお魚好きだった!?」
「お魚好きというか――お肉のおかずに、飽き飽きしてただけだよ」
「ゴメンね、お肉ばっかりで」
「焼き魚――うれしい」
「――でもお父さんといっしょには食べたくないんだ」
「それは――ヒドイこと、言われたから」
「どんな?」
『おかーさんになら、伝えてもいい』
『おかーさんにも、伝えたくはない』
ふたつの気持ちが、せめぎ合う。
「嘆いて、反省してるばっかりで、肝心の『なにを言ったか』を、お父さん教えてくれないんだもん」
「……」
「お母さんにも、言いづらい?」
……少しだけ、うなずいてみる。
……なぜか、わたしのベッドに、勝手に腰掛ける母。
「ほのかは――ここ最近、アクティブになったよね」
「アクティブ?? な、なにそれ」
「友だちのおうちに、お泊まりに行ったりとか。今年に入ってから、二度も」
――そうですけど。
それで??
「あとこの前、男女共学の桐原高校に行ったでしょ」
「…『男女共学』を付ける意味は」
「だって、ほのかは、女子校なんだし。男女共学のところに行くのは、『おたのしみ』じゃん」
「『おたのしみ』!? ますます意味がわかんないよ」
「わかってないなあ~~」
「お、おかーさんっっ……!」
「――慌てた素振り、ってことは、
桐原高校で、男の子との接触、あったんだ」
「……あったけどっ。」
それ以前に、利比古くんと、何度も接触があったということは、知らせるつもりもない。
「お父さんが、ほのかになんて言ったか、お母さん、わかってきちゃった」
「……」
「『好きな男の子でも、できたか?』って、からかったんでしょ」
「……。
夕ごはん、ほったらかしにしちゃってて、いいの」
「こっちのほうが大事(だいじ)だよ」
「興味本位は……やめて」
「――そっか。
じゃあ、個人的な楽しみに、とどめておく」
「それもイヤだ」
「イヤだって言ったって聴かないよっ♫」
「おかーさん!!」
汗ばむ手で拳(こぶし)を作り、椅子を蹴っ飛ばすように立ち上がり、ベッドの母に詰め寄る…。
「わー、ほのかが怒った怒った」
「なんなの…その、棒読み」
後先(あとさき)のことなんか考えられないぐらいムシャクシャして、
「出てって」
「えーっ」
「出てって!! 夕ごはん抜きでいいからっ!!」
――素直に、ベッドから立って、
いっしゅん、謎の興味深げな眼つきで、全身を見回すように、わたしのほうを見てきたかと思えば、
すぐに踵(きびす)を返して、ドアまで歩いていって、
それから、
「応援してるよっ、ほのか!」
と――大声で言ってきたから、
わたしのなかで――怒りと、うろたえが、ゴチャマゼになって――、どうしようも、なくなっていく。
× × ×
太陽が沈んで、暗くなっても、カーテン開けっぱなし。
精神(こころ)の落ち着きを取り戻せず、ベッドのシーツをしわくちゃにする。
しわしわになったベッド。
わたしの内面を反映してるみたい。
おなかがすいたな……。
でも、ベッドのシーツは、食べられないな……。
……病んだ感情を、整理できない。
おなかが、すきすぎて、
『羽田センパイの作った料理が、食べてみたい……』とか、脈絡のない願望を、抱いてしまう。
両親に、当たってしまったから、尊敬する羽田センパイに、逃げる。
甘えてるんだ。
『いま、羽田センパイに電話かけたら、なだめてくれるかな……』という欲求が芽生えて、
でもそれも甘えで、センパイにそんな頼りかたをしたら、じぶんがダメになるいっぽうだと思って……。
× × ×
あと2時間で、8月14日になる、利比古くんの誕生日になる。
……苦しい夜。
『利比古くんなら……こんなわたしを、助けてくれるかもしれない』
ひとりでに、唐突に、
そんな気持ちが、ベッドの中でうずくまるわたしを、襲ってきて、
一気に、暑苦しくなる。
利比古くんの整った顔立ちが、眼に浮かばずには、いられない。
彼に対する意識だけが、強まっていく。
あたまを抱える。
ラチがあかない。
衝動的に――掛け布団を跳ね飛ばして、部屋の外に駆け出した。
× × ×
「どうしたの」
ダイニングキッチンに居た母。
「…わかった。おなかペコペコなんでしょ」
娘のわたしを安心させるように、
「いまからでも、なにか作ってあげるよ?」
「……それよりもっ」
「?」
「……『応援してる』、って言ったよね!? おかーさん…」
「――ほのか。」
「――だったら、さ。
応援する、というか――、わたしを、元気にしてよっ」
「……泣いた?」
「泣いてないけど……いま、泣きそう」
「それは、ほのかの、ピンチだな」
「そうなの。ピンチなの」
「……どうしてあげたら、いいかな」
なにも答えず、
座っている、おかーさんの胸もとに、
ぽふっ、と上半身をゆだねる。
「あらら」
「あらら……じゃないよっ」
「涙声だ、ほのか」
「しかたないじゃん……」
「――恋わずらい?」
ポツンと、おかーさんは訊く。
答えられない。
答えられるわけない。
「……娘からの、お願い」
「なに?」
「いま、ここで、おかーさんに甘えたこと……ゼッタイに、おとーさんには言わないで」
「――わかってるよ。それぐらい」
「約束。」
「わかったわかった――、約束するから。
…見守ってるよ、ほのか」
「…多いよっ、ひとこと」
「…多くも、なるって」