リビングで、夏休みの宿題をやっていたら、
利比古くんが、やって来た。
「利比古くんだぁ」
「利比古ですよ」
「……」
「な、なんですかその微妙な顔つき」
「爽やかだよね」
「爽やか!?」
「じぶんで、気づかないんだ」
「え……!」
「あすかさん、高校野球は観ないんですか?」
「観たいのは山々だけど、NHKの中継に一日中張り付いてるわけにもいかないんだよ」
「なるほど……いろいろ、忙しいんですよね。あすかさん、受験生ですし」
「そゆこと。
宿題だって、片付けないと」
「宿題か……」
「利比古くんさ、」
「はい?」
「ゼッタイ、わたしより、夏休みの宿題、積んでるでしょ」
「…ううぅ」
「『…ううぅ』じゃないよっ。
宿題、『積んでる』と、『詰んじゃう』よ??」
「…ごもっとも、です」
「ねぇ、利比古くん。
あなた、夏休みに入ってからも、ずいぶん桐原高校に行ってるよね?」
「それが……どうか?」
「夏休みにわざわざ登校して、いったいなにをしてるの?」
「それは……クラブ活動ですよ。KHKです」
KHK(桐原放送協会)ねえ……。
「そんなにKHKの活動は、スケジュールがハードなわけ?」
「会長の板東さんが、なかなか休ませてくれないんです」
ふーーん。
「ふーーん」
「なっ、なんですか、その反応はっ」
「板東さんって――3年生でしょ?」
「そうですね――受験生ですね、あすかさんと同じく」
「推薦先が固まってる、とか、そういうわけじゃないんでしょ、一般入試受けるんでしょ」
「おそらく」
「悠長だね」
「まぁ……じぶんの進路も、気にはしてるんでしょうけども。クラブ活動引退なんか、考えてないぐらいに……フルに活動してますね」
「わたしも他人(ひと)のことは言えない」
「はい…」
「わたしもスポーツ新聞部でフル活動中だから……板東さんと『おあいこ』って感じ」
「『おあいこ』、ですか」
「……」
宿題の手を止め、両手を組み合わせるわたし。
「どうしたんですか…? 不穏な空気が、あすかさんから…」
「……不穏なことしゃべっていい?」
「あすかさん……」
「板東さんって娘(こ)――ずいぶん、おねーさんを尊敬してるみたいだよね」
「――はい。
美人ですごいとか、なんでもできてすごいとか、ハンバーグの作りかたをもう一度教えてほしいとか」
「へえぇ……言うじゃん」
「ふ、不穏ですよ、あすかさぁん!」
「不穏なことしゃべるって言ったじゃん」
「でも……」
「……常日頃、おねーさんの間近で、お料理だったり、いろんなことを教えてもらってるのは、わたしなんだよ!?」
「妬(や)いてるんですか!? 板東さんに」
「違う。逆じゃん。妬くのは板東さんのほうじゃん、ふつう」
「ああ……」
「――妬かせちゃおっかな。」
「……遊び感覚で、不穏に不穏を重ねてません? あすかさん」
「板東さんって……校内放送のパーソナリティやってるとか、聞いたような気がするけど」
「はい。学校があるときは、月から金までしゃべってますね」
「そんなにしゃべってるんだ……」
「ほぼ、板東さんの単独で」
「しゃべるの、得意なんだね」
「滑舌もいいですし。まるでアナウンサーみたいで」
「……、
わたしは文章、
彼女は、おしゃべり、か……」
「――対抗心が、燃え上がってる」
「そう思う?」
こくんとうなずく利比古くん。
彼に、
「負けるのはイヤだなぁ、わたし」
「勝ち負けの問題に――持ち込むんですか」
「持ち込んだほうが――面白いでしょ?」
右手の指でシャープペンをくるくる回して、
「少なくとも、ハンバーグなら――板東さんより、上手にこねられる」
「そ、そこで対抗してどうするんです」
「ハンバーグのタネをこねこねする段階で、彼女との格の違いを見せつけられる」
「ハンバーグ対決ですか!?」
「そうだよ。審査員はおねーさん」
「なんだかあすかさん……板東さんを、お邸(やしき)に呼ぶ気まんまんのような……」
「かもね~」
「……敵として見てるんですか? それとも、仲良くなりたいんですか?」
「――ど~だろ」
「……あいまいな」
「あいまいな日本の戸部あすかだよ」
「…?」
× × ×
夕食後、
そそくさとじぶんの部屋にシケ込もうとする利比古くんに追いついて、
肩を叩く。
「――びっくりしました」
「あ、そう」
「――用件を」
「戸(と)ゼミ」
「え、いきなりですか!?」
「夏休み特別企画だよ」
「戸ゼミ、ということは……勉強道具を持ってこい、と?」
「うん」
「……なんだか、ものすごい長丁場になる気がしてるんですけど」
「ま、夏休みで、夜は長いよね」
めんどくさそうに、肩を落とす利比古くんに、
「なにやる前から気力萎(な)えてんの!?」
と怒る。
「しっかり勉強して、夏を乗りこえるんだよ!!」
と叱る。
困り顔の利比古くん。
んーっ、困ったちゃん。
「…しっかり勉強するんじゃなきゃ、利比古くんの誕生日、祝ってあげないよ!?」
脅すと、彼は青~くなって、
「そこまで言いますか……」
「言いますよ。」
「サディスティックあすかさんモードですね」
「はぃ!?
なーに、サディスティック・ミカ・バンドみたいな言いかたしてんのっっ」
「サディスティック・ミカ・バンド…!? それは、いったい」
「聞いてわかんないのっ、ロックバンドに決まってんでしょ。
70年代の日本の伝説的なロックバンドで、代表曲は『タイムマシンにおねがい』。
『黒船』っていう、有名なアルバムが――」
わたしは、お母さんの部屋の方角を見て、
「――『黒船』のCD、お母さんが持ってたはず」
「まさか――あすかさん、聴くつもりなんですか!? その、サディスティックなんとかっていうバンドのCDを」
「サディスティック・ミカ・バンド!! バンドの名前をおろそかにしないで」
「す、すみません」
「お母さんから借りよう、『黒船』」
「……あのぉ」
「聴きたくないわけ、ないよね!?」
「……それ以前に、
戸ゼミは、どこに行ったんですか」
「――タイムマシンに乗っていったんじゃない?」
「――無理に、うまいこと言おうとしなくたって」