【愛の◯◯】惚れっぽいわたしの前に、また――

 

髪がなかなか決まらない。

何度、ブラシで梳(と)かしても決まらない。

ナットクできない。

姿見にうつるじぶんが、嫌になってくる。

 

――どうにかなんないの?

そりゃ――どうにかしたいけど、髪。

――でも、どうにもなんない。

 

ブラシの手を止めて、考えごと。

『どういう髪型に決めるべきか』というその考えごとも、しだいに迷宮入りしていって、

時計は残酷にチクタク、チクタクと音を立て、

電車に乗る予定の時刻が容赦なく迫ってくる。

 

べつに、乗る電車を遅らせてもいいんだけど――、

これ以上、じぶんの髪や姿見と格闘してても、ラチがあかないと思って、

髪型を妥協する。

 

とりあえず、リボンはつけよう。

星崎姫がつけるリボンだから、

姫ちゃんのリボン』……。

……ああっもう!!

いつの時代のアニメ!?

いつの時代の、少女マンガ!?

SMAPだって解散したでしょっ!

 

どうでもいい思考に襲われたわたしは、

たまらず、

ヘアブラシをそこらへんに勢いよく放り投げて、

部屋を脱出した。

…ヘアブラシが床に当たって、すごい音がした。

 

× × ×

 

講義はない。

戸部くんとかと違って要領ピカイチだから、土曜に講義入れる必要なし。

となると大学に来た目的は、学生会館だ。

 

きょうも『MINT JAMS』にもぐりこんで戸部くんをいじめてやるぞ~と思いながら、学生会館に入る。

 

…1階の一角に、なにやらブースが出ている。

勧誘のためのブースなのかしら。

この時期に、めずらしい。

 

思わずそのブースの近くで足を止めてしまった。

 

お笑い文化なんでも研究会

 

……らしい。

 

ブースにはポニーテールの男性がいる。

ポニーテールと眼鏡が、奇妙なまでにオシャレに似合っている。

年齢は……わたしより、たぶん上。

 

「こんにちは」

あちらから挨拶されたので、少しだけビクリ、となる。

勧誘するつもりなのかな……? と訝(いぶか)しみつつも、

「……おはようございます」

と、挨拶を返してしまう。

するとその男性(ひと)は笑って、

「『こんにちは』に『おはようございます』で返すなんて、センスあるね」

!?

「センスって……なんの?」

「笑いの」

「……」

 

彼は名札を付けている。

『所 水笑』

 

下の名前が読めない。

読めなくて、

「ところ……『すいしょう』、さん、ですか?」

と訊く。

すると、

「あ~ごめん、おれの名前、一発ではだれも読めないのよ」

読めない下の名前だから「ごめん」と謝る必要もないのでは……と思う間もなく、

「『みずえ』。水に、笑顔で、『みずえ(水笑)』」

「な、なるほど……」

「若干、女っぽいよね? 『みずえ』って」

「い、いえ!? べつにそんなことは――」

 

どういうやり取りしてんの――わたし。

 

 

 

…所水笑(ところ みずえ)さんは、4年生だった。

サークルの人手が足りなくて困っているという。

だからブースを出したのだ、という。

 

『お笑い文化なんでも研究会』…。

古今東西のお笑いを考えているんだという。

落語から、テレビのバラエティ番組まで……それから、ギャグ漫画の『笑い』なんかについても、考えを深めているとかなんとか。

 

ブースの机の傍らには、哲学者ベルクソンの『笑い』という本が置かれていた。

 

わたしは勧誘に乗らず、適当にお茶を濁していたが、

ブースを去るとき、後ろから所水笑(ところ みずえ)さんが、

 

「また来てね~~」

 

と言って来たので、胸がちょっとだけ、むず痒(がゆ)くなった。

 

 

× × ×

 

『MINT JAMS』に入室。

 

「八木さんだ。八木さんだけ?」

「そうだよ。戸部くんとか、来てない」

「うれしいね」

「うれしいんだ星崎さん」

「戸部くん、うるさいから」

「わかるわかる、わかるよー」

 

そうやって、わたしと八木さんは、遠慮なく微笑み合う。

 

サークル部屋のPCを操作して、Spotifyを開く。

「ねえ、八木さん」

「なあに、星崎さん」

Spotifyでさ、落語、も聴けたりするんだよね」

「あーっ、あるねぇ、落語のプレイリスト。

 …興味あるの?」

「…つい、今しがた」

「?」

 

彼女をキョトン、とさせちゃった。

良心の呵責。

責任を感じる……けど、

唐突に唐突を重ねるように、わたしは、

 

「――部屋に女子ふたりだから、言うんだけど」

「言うって――、なにを?」

「八木さん。わたしね、わたし、

 すーーっごく、惚れっぽいんだ……

 

「ほれっ……ぽい……!?」

 

「すぐ、じぶんだけで、カーッ、と盛り上がっちゃうの。

 ひとめ惚れだって、一度や二度じゃなく」

 

「そう……なの……」

 

「……ごめん。戸惑わせちゃった。

 もう少しだけ、言わせて?

 たしかに、惚れっぽいのね、わたし。

 じぶんでも呆れるくらい、惚れっぽい。

 だけど――、

 時と場合によっては、すぐには惚れっぽくならないこともあるの。

 ――そんな出会いを、したときは、じわじわと、惚れていってしまう。

 そっちのほうが、ケースとしては、少ないんだけれど」

 

戸惑ってる。

八木さん、戸惑ってる。

無理もない。

『いったいなにを言ってるんだろう、なにが言いたいんだろう』

内心、そういうこと、思ってるはず。

 

でも――、

さっきの、季節外れの勧誘ブースでの一件ゆえ、

わたしはわたしの胸のうちを、八木さんに打ち明けざるを、得なかったのだ。

 

――所水笑(ところ みずえ)さん、か。

面白い名前とは裏腹に、

カッコよさを漂わせているような……そんな第一印象だった。