【愛の◯◯】「ぷは」は不穏の合図

 

星崎に丸めこまれ、アカ子さんファミリーのお邸(やしき)で、酒を飲むことになった。

 

「……なんか罪悪感があるな」

「どうしてよ、戸部くん」

「こんな早い時間帯から、酒盛りみたいな……」

「戸部くん、そんなに真面目ちゃんだったの!?」

 

……眼を見開きすぎだろ、星崎。

 

星崎とサシ飲み状態を強いられている。

星崎が飲み干したビールの缶がどんどん増えていく。

大丈夫かコイツ。

 

あらかじめ、蜜柑さんは、

「悪い酔いかたになりかねませんので……」

と、おれたちの酒飲みに付き合うのを自重する意思を示していた。

 

孤軍奮闘で、星崎の酒の相手をするのも苛酷だが……まぁ、致し方ない。

 

「強いんだな、酒に。予想通りというか、予想以上というか」

「……」

「おい、どこみてんだ」

「ニブい」

「はぁ?」

「ムラサキくんと蜜柑さんの様子を観(み)てるに決まってるじゃない」

 

向こうで、ムラサキが、蜜柑さんにおもてなしされている。

その、おもてなしの様子が、星崎には興味しんしんらしい。

 

紅茶を振る舞われるムラサキ。

蜜柑さんお手製のお菓子のオマケ付きだ。

焼き菓子のいい匂いが、こっちにまで漂ってくる。

愛が作る焼き菓子の匂いに似ている。

美味しいんだろうな。

さすがは蜜柑さんだ。

 

ムラサキと蜜柑さんがなにかことばを交わしている。

会話の内容はこっちの耳にまで届いてはこない。

とりとめのない雑談、という感じだろうか。

…蜜柑さんのほうが、背が高い。

だいぶ高い。

 

「…なあ、蜜柑さんって、170センチぐらいだったよな」

「168センチよ」

星崎が答える。

「ふむ……ならば、ムラサキとは約10センチ違い、ってところか」

「蜜柑さんより10センチも低い!? ムラサキくん」

「いや、おれは、ムラサキの正確な身長、訊いたことないんだが…」

「アバウトね」

うぐ。

痛いところを。

「正確な身長はおいとくとしても、ほんとーにちっちゃいよね、ムラサキくんは」

楽しそうに笑いながら星崎は言う。

右手には、アサヒスーパードライ

おれは同意を込め、

「そうだな……いまだに『少年』なんだ、あいつは」

「そして、蜜柑さんは、オトナの、おねーさん」

「ムラサキのとなりにいると、蜜柑さんの、オトナのお姉さん属性が……」

「それ、どんな属性よぉ、戸部くん」

「……星崎も思うだろ? 思うというか、感覚で」

「オトナのお姉さん属性の、強さ?」

「強さ。」

「――フフッ」

「なんだよ、その笑いは」

 

ぐびぐびとスーパードライを飲み干し、

勢いよく、缶を置く。

含みを込めた、笑い顔。

それほど、酔いに火照(ほて)ることもなく。

 

「……あんまり、いかがわしい眼で観るもんでもねーぞ」

「……あっちのこと?」

「そーだっ」

「…そーですかっ」

 

ロングサイズのスーパードライの缶を、おれの手前にトンッ、と置く。

 

「もっと呑もーよ、戸部くん」

「酔わせる気かよ」

「テンション上げてこ」

「酔わせたい気、満々ってか」

「夜は長いし」

「あのなあ…」

 

説教のひとつやふたつでも食らわせるべきなんではないか……と思い始めてきたところに、

アカ子さんが大学から帰ってきた。

 

× × ×

 

蜜柑さんと入れかわりのようなかたちで、アカ子さんがムラサキを接待している。

ムラサキのとなりに、アカ子さん、か――。

同い年だよな。

同い年で、背の高さも同じぐらい。

 

「――お嬢さまが、ぜひムラサキくんとお話したい、と」

蜜柑さんはおれたちのほうにやって来ていた。

「『蜜柑がずっとそばにひっついてるのは、かわいそうだし…』とか言うんですよ。ほんとうに、ヒドいですよね」

アカ子さんに対する不平。

おれは思わず、

「…そばにひっついていたかったんですか? もうちょっと」

 

「――えっ?」

 

あ、

やべ。

ことばの選択、ミスっちまったか??

 

シラフならば、蜜柑さんに、こんなことは言ってないはず。

星崎に飲まされたスーパードライが『まわった』せいだろうか。

ならば、おれの失言は、星崎の責任でも――。

 

「戸部くん不用意。蜜柑さんに失礼」

 

たしなめてくる星崎。

おまえのせいもあるんだぞ……という感情を抑え、

 

「申し訳ないっす、蜜柑さん。ヘンな質問、しちまって」

と素直に謝る。

 

ところが――謝り相手の蜜柑さんの様子が、なんだか、おかしい。

おれに反応を、返してくれない。

まるで、蜜柑さんだけ時間が止まっちまったかのように――完全に、固まってる状態。

 

「み、蜜柑さ~ん?」

 

「……」

 

ダメだ。

おれが再度呼びかけても、反応してくれない。

 

まさに、『心ここにあらず』とは、このこと――!!

 

 

「あ~あ」

星崎は、呆れ顔…。

「ど、どうしたらよかろうか、星崎…」

「どうしたらいいんだろうね~~? 戸部くーん」

おれはしどろもどろに、

「お、おれとしては、そこまで、か、からかうつもりは……」

「説得力、皆無」

「ま、マジで悪気はなかったんだって。しっ、信じてくれや」

「なに言ってもムダよ。わたしに対しても、蜜柑さんに対しても」

「お、おたすけあれ、ほしざきっ」

「だから、ムダだから」

「頼むっ。なんでもする」

「……」

「頼むっ……!」

「……しょうがないなあ」

「恩に着る……!!」

「戸部くん、ちょっと、大げさ。

 …調子に乗るから、こんなことになったんだよ?」

「わかってる」

「ほんとにもう。反省よ」

「ああ、わかってる……」

 

星崎が……なんとかしてくれるみたいだ。

蜜柑さんを、本来の状態に――。

 

――しかし、おれの期待を大きく裏切るかのように、

星崎は、ビール缶を手に持ったかと思うと、

蜜柑さんに近づいていき、

なにを考えてか――ビール缶を、差し出した。

 

「『これ』で緊張をほぐしましょう、蜜柑さん」

 

意味不明。

すばらしく意味不明。

 

「飲めばスッキリしますよ?」

 

スッキリってなんだよ、スッキリって!

 

「おおおい星崎、無理に蜜柑さんに飲ませる気かよ、あらかじめ『アルコール自重する』って蜜柑さん言ってただろ、忘れたんかおまえ――」

 

あわてふためき早口になるおれ。

止めるべきか!?

 

――だが、おれは目の当たりにする。

 

蜜柑さんの右腕が、すーーっと動き、

星崎の差し出したビール缶に、手が伸びていくのを……。

 

ビール缶を左手に持ち替え、

ゆっくりと右手の指を缶に持っていき、

ぷしゅ、と飲み口を開ける。

そして、ごくごく……と、ビールを喉に流し込んでいく。

ごくごく……と飲み続けていく蜜柑さん。

なかなかに、いい飲みっぷり――、

とか、言ってる場合じゃなくないか!?

大丈夫ですか!?

蜜柑さん!?

 

ぷは

 

小さく、彼女は「ぷは」、と言って、

ビール缶をストン、とテーブルに落下させる。

ビール缶が転がって、残っていた泡混じりのビールが、細く漏れ出していく。

 

拭かねば、と思ったおれだったが、

瞬間、蜜柑さんの顔に、釘付けになっていってしまう。

 

満足そうな顔……。

それは、いいのだが、

彼女のほっぺたに急速に赤みがさしていくのが、

不穏な未来を――予兆しているかのようだった。

 

果たして――おれの不安は見事に当たり、

蜜柑さんは――あっけなく、酩酊(めいてい)した。

 

 

 

それからどんな展開になったのかは――文字数の都合で、省略せざるを得ないが、

いろいろなことが起こった。

そう、いろいろなことが……。

 

……缶ビール1本で極悪な酔いかたをした蜜柑さんが、

ムラサキにどんな絡みかたをしたのかは、

蜜柑さん本人の名誉のために……こころのなかだけに、しまい込んでおく。