【愛の◯◯】少しばかりの波風

 

土曜日だが、スポーツ新聞部の活動があって、登校している。

休日出勤、というやつである。

 

活動教室の机で、編集作業をしていたのだが、教壇の『へり』に腰掛けた戸部先輩が、むす~っ、としたご様子なのが、眼に入ってきてしまう。

どうして彼女は怒っているのか。

おそらく、理由は――。

 

とりあえず、眼鏡を拭いて、それからまた眼鏡をかけ直して、

「戸部先輩。どうしたんですか?」

と訊いてみる。

「ウッ」

「ウッ、じゃわからないですよぉ」

ボクは苦笑いしながら言う。

「そうだよね……ごめん。

 ひとことで言うとね、ムカッときてるの」

「加賀先輩が休んだからですか?」

「…わかるんだ。会津くん」

「せっかく土曜にまで部活をやるんだから、サボられると、出鼻をくじかれた感じになりますよね」

「そう。まさにそう。

 にしても、会津くんも辛口だね」

「加賀先輩に対してですか?」

「やっぱ、加賀くんのサボり、悪印象?」

「悪印象とまではいきませんが、サボるよりは、来てほしかったですね。

 きのうとか……加賀先輩、すごくがんばってたし。きょうもがんばってほしかった」

「……たぶん、きのう、わたしをカバーするためにがんばった、その反動だと思うよ」

「疲れてしまったんでしょうか?」

「そんなとこだよ、きっと」

 

戸部先輩はスマホを取り出し、画面をしげしげと眺め、

「――休みの連絡、必ず入れてくるところだけは、律儀なんだよね」

「ドタキャンはしない、と」

「副部長なのにサボり魔なのは――もうどうしようもないけど」

「やっぱり残念ですよね、加賀先輩の不在は。ボク、いちど、彼に将棋を教えてもらいたいんですよ」

「ホントで将棋は強いよ、彼。会津くんにも容赦ないと思うよ」

「教わるのなら、容赦ないぐらいが、ちょうどいいです」

「…強い、会津くん」

「メンタルが、ですか?」

「メンタル。強靭(きょうじん)なメンタル」

「それほどでも」

「…わたし、加賀くんに将棋で1回も勝ててないけど、会津くんなら加賀くんに勝てるかもしれない」

 

ここで、ボクはひらめいたことがあって、

 

「――加賀先輩とボクの対局を、紙面に載せてみるとか、面白いかもしれません」

「あ、その発想はなかった」

「どうですか?」

「いい!! その発想、採用」

 

次第に、戸部先輩のテンションも上がってきた。

なによりだ。

 

× × ×

 

日高と水谷が話しこんでいる。

野球の話題で――どうやら、昨晩のオリックス対広島の試合について話しているらしい。

 

「山本由伸すごいよね」と日高。

「すごいよね~。オリックス交流戦1位になっちゃった」と水谷。

オリックスも、バカにできないよねえ」

「腐ってもパ・リーグ、だよ、ほんとう」

「ソラちゃんソラちゃん、『腐っても…』は、言い過ぎ、言い過ぎ」

日高はそうやって、笑いながら水谷にツッコんでいく。

明るい笑いだ。

「言い過ぎちゃった。…それにしても、完全試合は惜しかった」

「あたし、『いまの山本由伸だったら、やっちゃうんじゃないかなあ!?』と思いながら観てたよ」

「甘くはなかったね」

「難しいよ、難しい。なんだかんだで、30年近く出てないんだから、パーフェクトゲームは」

 

日高によると、プロ野球において完全試合は、30年近く、達成されてないという。

最後の完全試合は、だれが、いつ?

 

「――あれっ、会津くんが、いつの間にやら、あたしたちの会話に興味を示してる」

日高がこっちを向いてきた。

ボクは釈明する。

完全試合、っていうのに――興味があって」

「おーおー」

「ちょっと質問していいか? 日高」

「遠慮せずどーぞ」

「30年近く、って、言ったよな。――最後に完全試合が達成されたのは、西暦何年なんだ?」

「1994年。――だったよね、ソラちゃん」

「うん、たぶん94年であってる」

水谷が日高にうなずいた。

94年……平成6年、だよな。

「だったら、もうひとつ訊くけど」

完全試合達成したピッチャーが、だれか、ってこと?」

「そうだ、日高」

「槙原だよ、槙原」

「槙原?」

槙原寛己(まきはら ひろみ)。巨人のエースのひとりだったんだ」

「巨人のピッチャーが達成したのか」

「相手はたしか、広島だったと思う。あと、巨人の試合だったんだけど、福岡ドームだったんだよね」

福岡ドームで、巨人と広島が、公式戦を?」

「そういうこともあるんだよ」と日高。

会津くんはまだ、野球の勉強が足りないね、そういうところで」と水谷。

 

水谷に『足りない』と言われて、少し悔しくなる。

 

ボクの悔しさを素早く察知したらしく、日高が、

「あーっ、会津くんが、悔し顔になっちゃった」

と言って、

「ダメだよソラちゃん、『もっと勉強しようね!』みたいなこと言っちゃうと、人と場合によっては、ダメージ大きくなっちゃうんだよ」

咎(とが)められた水谷は、

「……本心で、言ったんだから、『勉強足りない』、って」

 

『『もっと勉強しようね!』の、どこが悪いの?』

……水谷が、まさにそんな表情になる。

 

「そ、ソラちゃぁん、会津くんが、怒っちゃうよぉ」

慌てながら、水谷とボクの顔を交互に見る日高。

 

「……怒りはしない」

「ほ、ほんとに!? 会津くん」

板挟み状態の日高に、

「ほんとだよ。」

と、柔らかく、答え返してみる。

まるで、妹を、落ち着かせるように――。

もっとも、ボクには妹なんかいない。

でも、なんだか、いまの日高が、妹っぽく見えたから。

なぜなんだろう。

日高はどうしても、幼く見えて――思わず、子ども扱いしてしまうときもあって。

まさにいまが、そうだった。

 

「日高が焦る必要、ないだろ」

「……」

「焦るなって」

「……ごめん」

「――ボク、あんがい、負けず嫌いで」

「……そうなんだ」

「だから、水谷の負けず嫌いには、負けず嫌いで対抗したい、というところではあるんだが」

腕を組む水谷と、

うつむき加減の日高、

ふたりの女子のあいだに、ことばを、投げかけるように、

「負けず嫌いを、ぶつけ合うよりも――いまは、仲良くいきたい」

「仲良く……」

日高が眼を見張り、言う。

水谷は、不意を突かれた反動なのか、視線をボクの逆方向に逸(そ)らしていく。

 

「水谷、」

水谷が素直じゃないことを重々(じゅうじゅう)承知しながらも、

「水谷。もしここに、加賀先輩が来てたら……『ケンカ両成敗だっ』って、叱られてたかもしれない」

「……会津くんはなにがいいたいの」

気持ち、水谷の視線が、こっち寄りに、動いていた。

「水谷の指摘通り……ボクはボクの『勉強不足』を、認める」

「そっ、それでっ??」

声が甲高くなる水谷に、

「不穏な空気は……避けたい。繰り返しになるけど、仲良くいきたい。和気あいあいと」

 

…すがるように、日高の顔を見る水谷。

しかし日高は手厳しく、

 

「あたしの顔色うかがっても、しょーがないでしょ、ソラちゃん」

 

言われて、うろたえ、

さまようばかりの視線で、

それでも、

 

「わたしが――いちばん、悪かった」

と、ようやく、反省のことばを、言ってくれた。

 

「よしよし」

水谷の左肩に手を置いて、日高がなぐさめる。

 

「あんまり――申し訳なくなりすぎても、困っちゃうぞ」

苦笑しながら、ボクが言う。

 

「うん――反省は、ほどほどにする」

立ち直った顔で、水谷は、戸部先輩に、

「あすか先輩。きょうやってる運動部を――教えてください。

 わたしたち1年組3人で――取材に行きたいんです。

 ――いいよね? 会津くんも、ヒナちゃんも。

『結束を深める』とか、そこまで大げさには、考えてないけど。

 だけど、3人で――行くべきだと、思うんだ。」